1 御坂黒岳の
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2 三ツ峠山の
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3 三ツ峠山の
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4 清八山、造り岩、
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5 周辺の山の
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6 「みっちゃん」は
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6 「みっちゃん」は何故、吉田大沢にいるのか 江戸時代中期の1707年(宝永4年)に宝永大噴火が発生宝永大噴火は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に発生した富士山の噴火である。2024年現在、富士山の噴火としては最も新しいものであるとともに、記録が残されている10回の中でも最大のものとされる[3]。噴火は約2週間続き、総噴出量は、約0.7 km3 DREと推定されている。 噴火による直接の死者は記録されていないが、噴煙から降下したスコリアや火山灰による火災やそれらの急激な堆積などで、主に富士山から東側の地域で甚大な被害が発生した。 宝永大噴火 - Wikipedia ![]() 宝永大噴火を描いた絵図「夜ルの景気」 宝永大噴火 - Wikipediaより引用 富士山の東南に大きな宝永火口ができました。 ![]() 腰切塚から眺めると富士山中腹の半分以上が宝永火口が占めています。 ![]() 上の地図に示すように富士山の西側には大沢崩れがあります
![]() 大沢崩れの下側から眺めると崩壊により層状になった山肌が見える。 王岳からの富士山。富士山山体に噴火、沢崩れなどの損傷が見られないのが富士山北部です。
![]() 沢崩れの進行が心配となるのが吉田大沢ですこの吉田大沢の形状は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に発生した宝永大噴火直後の形状としてみていただきたい。 ![]() 宝永大噴火の三年後、木花咲耶姫は大きな決断をして富士山に住むといわれている「眠る犬」を尋ねました ![]() くろみっぽちゃん、久しぶりにお会いできてうれしいです 今回会いに来たのは重要なお願いのためです。 三年前に富士山の南側で宝永の大噴火があり、山体に大きな火口と宝永山の凸部が出来ました。 富士山西部の大沢崩れは崩壊が進み山体が削られていきます。 富士山北部では、864年に貞観大噴火が起こりましたが、溶岩の上に樹林ができ青木ヶ原樹海として見事な景観になっています 咲耶が心配しているのは、富士山北東部にある吉田大沢です。 富士山の中でも三ツ峠山からの形状は、優美な風貌で、大和の国の人心を一つにしており、大和の国が誇る宝であります。 この優美な形状は頂上から左下に流れる吉田大沢が創り出しています。 そこでこの吉田大沢が、大沢崩れの様に崩壊が進み優美な風貌がなくなると、と大変なことになります。 大和の心のささえがなくなり、人心がバラバラになり大和の国が乱れます。 ![]() 咲耶姫は意を決してて眠る犬にいいました ![]() 咲耶姫 吉田大沢の崩壊を止めてください。 眠る犬 承諾 ![]() 眠る犬は吉田大沢の下に座ります。 ![]() ![]() ![]() これにより吉田大沢の崩壊は進んでいないようです ![]() ![]() 1710年から300年間、眠る犬は吉田大沢の下側の山体にいます。 下に示す同じ志の仲間がいて代わりばんこで富士山体と一体化しており、 それらの仲間を「くろみっぽ」と呼んでいるようです。 ![]() 黒ちゃん、みっちゃんがいます 完 |
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