大野山の「柚子胡椒」に胡椒が入っていない











4 江戸でとうがらし、「同音衝突」で敗北 



(1)何故、江戸で南蛮胡椒はたうがらしになったのか



寺島良安により江戸時代中期1712年に編纂された日本の類書(百科事典)「和漢三才図会」に、次の記載があります。とても奇妙な記述です。
編集者の寺島良安は大坂の医師で、大阪の杏林堂より刊行されましたが、この時期には江戸でも「番椒」と書いて、「たうがらし」と呼ばれていました。



「畨椒(たうがらし):畨は南蛮の意味。俗に南蠻胡椒という。今は唐芥子という。」


畨椒   畨椒

「和漢三才図会」-早稲田大学24/44より引用

「畨」は「番」の異体字。その他の異体字「 鄱 蹯 蕃 潘 䮳 䆺 」。
 



何故、「畨椒」と書いて、「たうがらし」と読むのか。
「畨椒」の「畨は南畨」ということは、「畨椒」は「南蠻胡椒」の省略形。また、「畨椒」は唐辛子の中国名。両方の意味から、「畨椒」と書いて「たうがらし」と呼ぶようにしたのか。

「俗に南蠻胡椒 という」とあるので、「世間一般では南蠻胡椒という」、または「以前は、南蠻胡椒という」でしょうか。

「和漢三才図会」の記述は次の様になります。

以前一般に南蠻胡椒(なんばんこしょう)と言われた畨椒(たうがらし)は、今は唐芥子(たうがらし)という。」


畨椒は胡椒でありながら、芥子に変っています。



(2)「ナンバン」の「同音衝突」



南蛮胡椒から唐芥子に変った理由として、高橋保の「同音衝突説」があります。

近畿地方で、南蛮胡椒から前部が省略された「ナンバン」が、玉蜀黍の名称である「ナンバン」と同音衝突を起こし、敗北した南蛮胡椒の「ナンバン」は「トウガラシ」になった。その「トウガラシ」が上方から江戸に飛び火した。


トウガラシの名称 としての「ナンバン」は、とうもろこしの 「ナンバ ン」と同音衝突


一方、本州の東部には広 く 「ナンバン」の称呼が分布 している。ナンバンは「南蛮胡椴」の後部が省略されたものと考えることができる。この語形は出雲地方にも分布領域をもっている。おそらく近畿あたりを中心 として、過去のある時期に勢力を拡大 したものであろう。

しか し、この語形は現在、出雲を除き、近畿を含む西 日本には分布 していない。この点については、この地域におけるとうもろこしの名称 としての 「ナンバン」類の発生が関わりをもっているとみられる。トウガラシの名称 としての「ナンバン」は、とうもろこしの 「ナンバ ン」と同音衝突を起こしたと推定される。そのプロセスの中で、衝突を避けて生まれたのが、「トウガラシ」である。「トウガラシ」の定着の時期については、前掲の 『和漢三才図会』の記述にみるように、多分、近世中期あたりであろうと推定される。

トウガラシなる語は、上方を中心 として新 しく勢力を拡大 した。そしてとくに注目されるのは、この トウガラシが上方から江戸へ飛火したらしいことである。 トウガラシの類は現在、関東周辺にも広 くみられるが、この分布模様は、江戸を中核 として拡大 していったその姿をまさに反映 している。したがって、江戸そして東京で使用されていた トウガラシが現代標準語形の地位を占めるようになったのは、当然のなりゆきであったであろう。 しか し、この語形 も、本来は上方方言に出自するものであることを、この語の分布模様が語っているのを忘れてはならない





しかし、この説は「番椒・トウガラシ」に関する江戸時代の史料に記載されていないのが問題です。他の項目で、やみくもにGoogol検索を行っていた時に二つの同音衝突説に出会いました。江戸時代ではありませんが、①1928年(昭和三年)の柳田国男「玉蜀黍と蕃椒」、②国立国語研究所編纂「日本言語地図」です。



①1928年(昭和三年)の柳田国男「玉蜀黍と蕃椒」

前半は玉蜀黍のことを書いて、「殊に長たらしい最初からの呼称の如きは、自身に改造變形の誘因を蓄えて居たともいへる。ナンバントウキビが、末々ナンバになるべきは殆ど約束であった。」と、ナンバ、ナンバ呼称発生を説明します。

後半に玉蜀黍のナンバと蕃椒のトウガラシ・ナンバンコショウの複雑な関係を論じています。
「参河遠江の平野に於いては、どうしても玉蜀黍をナンバとは呼べない理由があった。それはこれから述べようとする蕃椒(トウガラシ)との抵触の為であった。」として同音衝突があったことを示し、まず蕃椒のトウガラシ・ナンバン・コショウの領分について論じます。

次に蕃椒の方言としてコショウの競争相手は、越後でも信州でも又美濃の東南の一隅でも共にナンバである」として、そのナンバがトウガラシのナンバと玉蜀黍のナンバであると書いてます。

次に、玉蜀黍のナンバンと蕃椒のナンバンの三河地方における同音衝突の結果を示しています。ここでは、玉蜀黍のナンバンが負けてナンバントウ、ナンバンキビに変っています。

しかし、近畿地方のナンバンの同音衝突には触れず、「トウガラシ」名称の誕生の謎は残ります。


柳田国男著「方言覚書 」のなかの「玉蜀黍と蕃椒」抜粋   ナンバンの同音衝突


ナンバントウノキビはナンバ、トウガラシ・ナンバン・コショウの領土



柳田国男著「玉蜀黍と蕃椒」 柳田国男著「玉蜀黍と蕃椒」 柳田国男著「玉蜀黍と蕃椒」 柳田国男著「玉蜀黍と蕃椒」


蕃椒の方言としての「コショウ」の競争相手は、 蕃椒のナンバと玉蜀黍ノナンバ




柳田国男著「玉蜀黍と蕃椒」



「ナンバ ン」の同音衝突、三河、遠州、美濃で蕃椒が勝った地域



柳田国男著「玉蜀黍と蕃椒」



方言覚書 のなかの「玉蜀黍と蕃椒」 95/219- 国立国会図書館デジタルコレクション よりi引用

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年〈明治8年〉7月31日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた[1]。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章(没時陞叙)。
柳田は『日本民俗学』(1942年)において「民俗学は微細な事実の考証から出発する」とし、随筆や紀行文等との差異からも確なる学的立脚を求め、計画調査を重要視した。柳田の日本民俗学の祖としての功績は非常に高く評価できる
柳田國男 - Wikipedia
 



②国立国語研究所編纂「日本言語地図」

①柳田国男「玉蜀黍と蕃椒」は ナンバントウノキビのナンバ、蕃椒のトウガラシ・ナンバン・コショウが入り乱れて読み解くのに疲れましたが、こちらはその名称の分布図を示して、説明しています。

「近畿から中国にかけてあった古いナンバンは,玉蜀黍のナンバンによって駆逐されたとしたいが,出雲以外にナンバン類の残存のないことが,弱点となる。」と、弱点はあるが近畿地方でのナンバンの同音衝突で蕃椒が敗れた可能性があると書いています。

「単純な分布ながら解釈がむずかしい地図の例とすることができよう。」といって、各項目に断定しない記述です。

ここでも、「言語地理学的にトオガラシ類が最も新しいものである」としていますが、その名称がなぜ出てきたかは記載していません。


国立国語研究所編纂「日本言語地図」第183図とうがらし(蕃椒)
 
「さて,トオガラシ類,ナンバン類,コショオ類の3類の関係をみると,言語地理学的にトオガラシ類が最も新しいものであることはあきらかである。この語は関東に侵入してその領域をひろげるとともに九州北岸・東岸に新しい領地を獲得しつつあるようである。ところがナンバン類についてはかって中央で用いられたものであって,それが東海・北陸以東および出雲に残存したものであるか,出雲のものは,何らかの事情で東日本方面から伝播したものなのか,十分にあきらかでない。言語地理学的には前説をとって,近畿から中国にかけてあった古いナンバンは,玉蜀黍のナンバンによって駆逐されたとしたいが,出雲以外にナンバン類の残存のないことが,弱点となる。


「ここでは言語地図の解釈であるから古く中央でコオライゴショオないしはナンバンゴショオの形が使われており,それが四周に伝播する過程でコショオまたはナンバンが生じ(あるいは中央を発するときすでにコショオまたはナンバンになっていたかもしれない)近畿地方で後にトオガラシが発生し,現状が形成されたと考えておくが,そのほか,コショオ類のあるものは海上交通によって飛火したものとする考えや蕃椒が九州にはいってはコオライゴショオと命名され(それが沖縄に伝わり,本土ではコショオになる),近畿にはいってはナンバンゴショオと命名され(それが東日本と山陰にナンバンやコショオとなって残る),後トオガラシに改められたとする考え方なども,捨てないでおく。九州にナンバンがないのは南瓜をナンバンということと関係があるかもしれない。『物類称呼』に「奥の仙台にてこせうといふ」とあることなどは,飛火的伝播が過去にあったことを示している。単純な分布ながら解釈がむずかしい地図の例とすることができよう。」



 
この蕃椒の地図は,見出し語はかなりあるようにみえるが,榿で示したトオガラシの類,緑で示したナンバンの類,紺で
示したコショオの類およびほとんど勢力のないその他の類にわけることができ,地理的分布も比較的単純であって,
各類のあいだの交錯もすくない。

蕃椒の地図


『日本言語地図』地図画像 183とうがらし| 国立国語研究所より引用(PDFで拡大できます)


 国立国語研究所編纂「日本言語地図 第184図

「とうもろこしのナンバン類」(182図)と「とうがらしのナンバン類」(183図)との総合図

 
「この地図は,182図・183図の内容のうち,陸図で緑の符号を与えたナンバン類の内容をとりあげて,総合的に示したものである。
すでに、それの図で示した内容を転載しただけのものであるから,特に新しい内容を持つものではない。 ただし,石川。福井・長野・岐阜・静岡・愛知,島根の諸県において,玉蜀黍におけるナンバンi類と,蕃椒におけるナンバン類とがどのように接し,また交錯しているかを,地点ごとに点検することができる。 特に,静岡県浜名郡湖西町鷲津(6650.70)の農民(1891年生)が,「とうもろこし」も「とうがらし」も,ともにNANBANといっているなどのふしぎな現象を発見することができる。」




玉蜀黍におけるナンバンi類と,蕃椒におけるナンバン類とが交錯している石川。福井・長野・岐阜・静岡・愛知の拡大図を表示。これが柳田国男著「方言覚書 」のなかの「玉蜀黍と蕃椒」の説明図にもなっています。




>「とうもろこしのナンバン類」(182図)と「とうがらしのナンバン類」(183図)との総合図


「とうもろこしのナンバン類」(182図)と「とうがらしのナンバン類」(183図)との総合図



『日本言語地図』地図画像 184とうもろこしととうがらし| 国立国語研究所より引用(PDFで拡大できます)






以上、三文献で蕃椒のナンバンと玉蜀黍のナンバン衝突が各地であり、近畿地方では蕃椒が負けたため、「トウガラシ」という新しい名称ができたようです。しかし、何故、「トウガラシ」になったかは記載されていません。そのため、「トウガラシ」名称追跡を行いました。


(3)トウガラシの名称追跡

次の四点の解明を目的に「トウガラシ」の名称追跡を行いました。

①玉蜀黍の名称である「ナンバン」と同音衝突を起こしたというのは納得できる説であるが、何故その時に新たに「トウガラシ・外国の芥子」が登場したか不明です。
 ここで使われている「トウ・唐」は中国だけではなく、外国を意味します。

②上方で「南蛮胡椒」「南蛮」が「唐芥子」になってその勢力が拡大しても、「ナンバン」の同音衝突がない江戸では、「唐辛子」に変える理由が不明です。

③何故、「番椒」と書いて「たうがらしと読むのか。

④いつ頃から、何故、「唐芥子」から「唐辛子」になったか。現在、「トウガラシ」に最も多く使われる漢字は「唐辛子です」




「トウガラシ」の史料が最初の方で出てくるのは、同音衝突が起こったとされる山城畿内の稲荷です。京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が神道上の稲荷神社の総本宮となっているところです。10  文献の古事類苑画像検索システム「蕃椒」の「特産地」の史料にもありますが、次のサイトで知りました。


江戸初期からトウガラシの特産地 伏見とうがらし

寛永二十一年(1645)刊行の『毛吹草』では「諸国名産ノ部山城畿内」に「稲荷(中略)唐菘(とうがらし)」とあり、貞享三年(1686)刊行の『雍州府志』にも「唐芥子 所々に之れ有り 稲荷辺所ろ佳なりとす」と記されている。江戸初期には、トウガラシが京都伏見稲荷近郊の特産品であったことがうかがえる。




伏見とうがらし

伏見とうがらしは、江戸時代の『毛吹草』に、畿内・山城の古今名物として挙げられている「唐菘(タウガラシ=トウガラシ)」ですから、まぎれもなく京の伝統野菜です