大野山の「柚子胡椒」に胡椒が入っていない
7 トウガラシの名称 白芥、唐菘、番椒


トウガラシの名称一覧表から、新たに付けられた「トウガラシ」の名称を抜粋し、その名称表記の由来を調べた。ここでは下表の(1)から(4)の検討を記載します。



表 トウガラシの新規名称と、その漢字、振り仮名の変移


  西暦 著者史料名 出版元 漢字 振り仮名 
1631年 林羅山著「多識編」 京都 白芥 多宇可羅志 初版から4版(1612・30・31・70)
『本草綱目』が底本
1645年 松江 重頼著「毛吹草」 京都 唐菘 タウカラシ 諸国名産ノ部 山城 畿内
3 1666年 中村惕斎 編「訓蒙図彙 」 京都 番椒 ばんせう 俗云 たうがらし
1683年 新井玄圭著「食物摘要 京都 番椒 タウカラシ 「番椒」に初めて「タウガラシ」の振り仮名
5 1686年 黒川道祐著「雍州府志」 京都 唐芥子 無し 城国(現京都府南部)の地誌
唐芥子は、中華にいはゆる番椒これなり
6 1692年 井原西鶴著「世間胸算用」 江・京 唐がらし とうがらし 一般庶民向けの書物では「唐がらし」か
7 1693年 酒堂編「俳諧深川集」 芭蕉の俳句 京都 唐辛子 無し 現在最も多く使われている表記である
「唐辛子」が最初に記載された史料です
8 1783年 醒狂道人何必醇 輯「豆腐百珍、続編」 大阪 唐辛  たうがらし
 明治-昭和終戦まで各種辞書で採用
9 1804年 曾槃,白尾国柱著「成形図説」 薩摩 唐芥
タウカラシ
本文の正式名称






(1)1631年刊の


「トウガラシ」を記載した最も古い史料は林羅山著「多識編」です。(当方のおおまかな文献調査の結果です)

「白芥」に「多宇可羅志」の万葉仮名が付いています。

この多識編は以下に示すように中国の「本草綱目」を底本にして、そこに書いてある物の漢名を和名に変えて記述した書物です。

林羅山は「本草綱目」菜部菜之一の葷菜類にある「白芥」に、多宇可羅志(タウガラシ)という和訓を付けた。林羅山が間違って「多宇可羅志(タウカラシ)」と付けたと推察します。

以下、その検討内容を記載します。



林羅山著「新刊多識編」  1631年(寛永8年) 整版本

新刊多識編巻之三菜部第二にある白芥に関する記載はこれだけです。万葉仮名と異名の記載です。

「白芥 今按多宇可羅志 【異名】胡芥子 蜀本草

林羅山著「多識編」の「白芥」(多宇可羅志

他の菜の記載もほぼ同じです。同様です。

 
   
 
多識編:本草。辞書。林羅山編。明の林兆珂が『詩経』中の動植物を分類して注を施した『多識篇』に倣ったもので、『本草綱目』から物の名を抜き出し、万葉仮名で和訓を施したもの。『羅山林先生文集』の「多識編跋」に、「壬子之歳本草綱目を抜き写して附するに国訓を以てす」とあり、慶長17年(1612)の著述(林羅山自筆稿本)。配列は水部門から蔴苧門までの部門別。版本に寛永7年(1630)古活字版3巻本があり、翌寛永8年に諸漢籍から異名を抜き出し追加し、万葉仮名に片仮名ルビを施し、5巻に仕立て直した整版がでる。当館本は慶安2年(1649)版で、寛永8年版の覆せ彫りである。本草学者白井光太郎の「白井氏蔵書」の印記あり。(岡雅彦))
   多識編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
より引用



ここで掲示しているのは 寛永8年(1631年)刊です。

出版:村上 宗信〈京〉,田中 長左衛門〈京〉 寛永8年(1631年)

古活字版:文祿年間(一五九二‐九六)から寛永年間(一六二四‐四四)頃にかけて、木活字または銅活字を使って印刷、刊行された書物
整版:活字版に対して、ふつうの版木の呼び名。木版・瓦版(かわらばん)など、一個の印刷面の版。


林 羅山(はやし らざん、天正11年(1583年) - 明暦3年1月23日(1657年3月7日))は、江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。寛永7年(1630年)、将軍・家光から江戸上野忍岡に土地を与えられ、寛永9年(1632年)、羅山は江戸上野忍岡に私塾(学問所)・文庫と孔子廟を建てて「先聖殿」と称した


林羅山著「多識編」の「白芥」(多宇可羅志)


 
 


新刊多識編 書名:1 古今和名並異名 2 古今和名本草並異名
著者林 道春  出版:村上 宗信〈京〉,田中 長左衛門〈京〉 寛永8年(1631年) 成立年寛永七刊(1630年)

新刊多識編65/154-新">学習院大学・日本古典籍総合データベース
 



この林羅山著「多識編」のテキストは以下の四種が知られている。
①慶 長十七年(1612年)月瀬文庫所蔵の羅山自筆草稿『羅浮渉猟抄多識編』
②寛永七年(1630年)に古活字で刊行した『多識編』
③寛永八(1631年)にほぼ同内容 だが整版(木版本)に改めた『新刊多識編』
④この整版本はその後も数度復刻された他、寛文十年(1670年)には滝野元桂(敬)が増補した『改正増補多識編』

真柳誠「『本草彙言』と烟草」『たばこ史研究』36号1480-1488頁、1991年5月より

新日本古典籍総合データベースで「多識編」で検索すると出てくるのは③寛永八年刊整版本の『新刊多識編』、④改正増補本で①林羅山自筆稿本、②古活字本は出てきません。ネットでは、①林羅山自筆稿本、②古活字本は見ることはできないようです。

①林羅山自筆稿本、②古活字本は次の書物で見ることができそうです。
「多識編自筆稿本刊本三種研究並びに総合索引 (1977年) (古辞書大系) Unknown Binding – Antique Books, March 1, 1977by 中田 祝夫 (編集), 小林 祥次郎 (編集)」

①1612年の林羅山自筆稿本に「白芥(多宇可羅志)」の表記があると「トウガラシ」に関する最も古い史料となります。

この多識編は上記したようにに中国の李時珍著「本草綱目」を底本にしています。
「本草綱目」に出てくる物の名前を抜き出し、万葉仮名で和訓を付けた簡単な和訓辞書といえます。




「本草綱目」とは、中国の本草学史上において、分量が最も多く、内容が最も充実した薬学著作です。


『本草綱目』(ほんぞうこうもく)は、作者は明朝の李時珍(1518年 - 1593年)で、1578年(万暦6年)に完成、1596年(万暦23年)に南京で上梓された。日本でも最初の出版の数年以内には初版が輸入され、本草学の基本書として大きな影響を及ぼした。中国では何度も版を重ねたが、日本でもそれらが輸入されるとともに和刻本も長期に亙って数多く出版され、それら和刻本は3系統14種類に及ぶ。

慶長12年(1607年)、林羅山が長崎で本草綱目を入手し、駿府に滞在していた徳川家康に献上している。これを基に家康が本格的に本草研究を進める契機となる
 本草綱目 - Wikipediaより




国立国会図書館デジタルコレクションにある「本草綱目」は1590年刊の初版本で「金陵本」と呼ばれています。
その「本草綱目」菜部菜之一の葷菜類に「白芥」が出てきます。「白芥」の項には、釈名(名称の考証)・集解(産地の注解)・正誤(それまでの文献における間違いを訂正)・修冶(製造方法)・気味・主治・発明・処方(民間に流布される処方を収集)など、2ページにわたる記述があります。『新刊多識編』では和訓と異名しかありません。

その「金陵本」に各項目の漢文の名称の上に、手書きの和訓が書かれています。まるで、林羅山が書いたのではないかと思ってしまいます。白芥(多宇可羅志)、「芥子(可良志)」同じ「カラシ」と思うのですが、(可羅志)と使い分けており、『新刊多識編』も同様の記述です。


著者(明)李時珍//撰, (明)李建中「本草網目」  1590年(万歴8年)

「本草綱目」菜部菜之一の葷菜類に「白芥」が出てきます

くん‐さい【葷菜】〘名〙 ネギ、ニラ、ニンニクなど、においの強い野菜。葷菜物 精選版 日本国語大辞典「葷菜」



 

上記印と識語から、本資料は田沢仲舒が幕府医学館の館主を代々勤めた多紀家に献呈(題箋はその折、『本草綱目』の最良本という久寿堂本にあやかって貼付したらしい)、のち榊原芳野を経て東京図書館(当館の前身)に移ったとわかる。『本草綱目』の初版本は冊1の「輯書姓氏」欄に「金陵後学胡承竜梓行」と記すので「金陵本」と呼ばれるが、本資料の同欄にはこの字句が存在するので、金陵本に間違いない。




「本草綱目」の白芥


 
 
「本草綱目」の白芥

白芥の説明は後2ページ有りますが省略。


著者(明)李時珍//撰, (明)李建中//図 出版万暦18(1590)

本草綱目. 第18冊(第26-28巻)第18冊(第26-28巻) [27/105] - 国立国会図書館デジタルコレクションより引用




林羅山の「白芥」(多宇可羅志)を間違いとした根拠

『本草綱目』(ほんぞうこうもく)は、1578年(万暦6年)に完成、1596年(万暦23年)に南京で上梓された。しかし、初版の金陵本は1590年刊とあります。

中国でトウガラシが渡来したのは日本より遅く、史料に登場するのは1591年の高濂 著「雅尚斎遵生八牋」です。そのため、『本草綱目』にはトウガラシは記載されていません。

しかし、京都や江戸で盛んに出ている「トウガラシ」は『本草綱目』に記載されていると思い込み、葷菜類の「芥」の次に記載されている「白芥」に「多宇可羅志」の万葉仮名を付けたと推察します。
また、のちに「白芥」は「シロカラシ」と訂正されますが。「多識編」執筆時に江戸では「シロカラシ」が使われていなかったと推察します。

「シロカラシ」はアブラナ科シロガラシ属の一年生植物で種子をマスタードの原料とするほか、野菜ないしはハーブとしても利用される。地中海沿岸原産で荒れ地などに自生している野草だが、現在では帰化植物として世界的に分布している。中国では『本草綱目』のように「芥」と「白芥」を区別してきました。「白芥」の伝来ははっきりしません。芥子(ガイシ)と白芥子(ビャクガイシ) - 生薬の玉手箱 | 株式会社ウチダ和漢薬参照



高濂 著 雅尚斎遵生八牋.    万暦19[1591]序

畨椒

 
  
 


雅尚斎遵生八牋. 目録,巻之16 2,28/142-早稲田大学より引用より引用
 

漢文読解不可のため詳細は不明ですが「畨椒」は花に関連した所に記載。「訓蒙図彙とほぼ同じ位置づけ。

(「瓶花」:花瓶に生けた花)
(瓶の異体字)か     


雅尚斎遵生八牋. 目録,巻之16 28/142-早稲田大学より引用



番椒 叢生白花,子儼禿筆頭,味辣色紅,甚可觀。子種。

(番椒〔トウガラシ〕は、群がって生え、白い花を突ける。実は使いつぶした筆先のようで味は辛く色は赤い。実に見べきものである。実はタネをつける。)
*花の所に記載して、味は辛いと記載しています・

カレーから見る世界史3(辛さの王トウガラシ)|川口秀樹|noteより引用




林羅山著「多識編」と同時期に刊行された曲直瀬玄朔著「日用食性」にも「」白芥(タウガラシ)の記載があります。
初版が1613年ですが、ネット上で見られる最も古いのは1633年刊行版です。

次に示すように、曲直瀬玄朔著「日用食性」も「多識編」と同じように、李時珍著「本草綱目」を底本にしています。

1608年の『薬性能毒』も「本草綱目」を底本にしているが、ここには、白芥子(タウカラシ)の記載はないようです。

    
   曲直瀬玄朔『食性能毒』における『本草綱目」の取捨   ○加藤伊都子・真柳誠

江戸期の食物本草は少くないが、刊本となり普及した噛矢は曲直瀬道三・玄朔による『日用食性』である。本書は古活字版やその一六三一年重刊本をはじめ、一七一二年までに計い11版本の存在が確認されており、本書が江戸期の食物本草に占める位置は大きい。一方、玄朔は渡来したばかりの『本草綱目』を即座に利用し、一六○八年に『薬性能毒』を著している。当時、最新中国医学の受容と日本化が進む中、食物本草もその例外ではなかった。『日用食性』の一部である玄朔の『食性能毒』も、収載品の項目分類や配列順まで『綱目』を底本としている。そこで『食性能毒』と『綱目』を比較検討し、中国本草学の受容と玄朔の編纂視点を考察することにした。

 加藤伊都子、真柳誠「曲直瀬玄朔『食性能毒』における『本草綱目」の取捨より引用



曲直瀬玄朔も林羅山と同じように、『本草綱目』にはトウガラシは記載されていないことを知らなかったと思います。

しかし、『日用食性』は食物本草の書物ですので、和訓を付けるだけではなく、少ないですが臨床応用の記述があります。


曲直瀬玄朔著「日用食性」  1633年(寛永10年)

日用食性-食性能毒-菜部に

「白芥(タウカラシ)」



 
   
 
日用食品を撰び、食性と能毒にわけ、簡潔に記した二巻の書に、梅寿撰の諸疾禁好集を加え、最後に日用灸法を付したもの。短期間に異版も加え十四回(1613・31・33・41・42・55・67・68・73・74・79・、1701・12)出版された。(改定版では形態、内容も異なるようです)
江戸期の本草・名物・物産・博物書 成立・初版年表

1613年の初版に「白芥(タウカラシ」の記載があるかもしれません。現状見られる1633年版を記載しました。

曲直瀬 玄朔(まなせ げんさく、天文18年(1549年) - 寛永8年(1632年)は、安土桃山時代・江戸時代の医師。義父は曲直瀬道三。天正11年(1583年)には、卒中で倒れ意識を失った正親町天皇の治療に成功し朝廷の信頼と名声を得て、天正14年(1586年)に法印になった。

出版風月宗知 京都

     
 
   『本草綱目』の「白芥」の一部               日用食性 20、28/140- 新日本古典籍総合データベースより引用

日用食性-食性能毒-菜部-白芥は、『本草綱目』の白芥の一部(赤線)を抜粋して記述しています。





「白芥」のその後の展開



多識論その後:1670年の滝野元桂(敬)著「改正増補多識編」でも「白芥 和名 今按多宇可羅志」 です。

しかし、次の増補版で「此ノ和名誤リ也當ニ云志呂加羅志(シロカラシ)」と白芥をシロカラシと云うのは誤りと言っています。

滝野元桂(敬)著「改正増補多識編」  1670年(寛文10年)

改正増補多識編―巻之三-菜部第七-葷菜類は1633年刊と同じです。

「白芥 和名 今按多宇可羅志」 


しかし、次の増補した記載があります。
「愚按スルニ此ノ和名誤リ也當ニ云志呂加羅志(シロカラシ)
わたしが考えるに此の和名の多宇加羅志(タウカラシ)誤りで、志呂加羅志(シロカラシ)が正しい」と言っています。
(漢文の素養がないため間違っているかもしれません)
愚按は「わたしが考えるのに」の意。
 


 
 

改正増補多識編 古今和名本草並異名  著者名1. [林 羅山] [著] 出版事項[元禄頃]
成立年寛永七刊(1630)東京大学駒場図書館

改正増補多識編109/238-新日本古典籍総合データベース


*このページでは林 羅山著、成立年寛永七刊(1630)と有りますが、これは原書のことです。出版は[元禄頃1688-1704年]とありますので、真柳説の滝野元桂(敬)が1670年に増補した『改 正増補多識編』を採用します。
>


食性日用その後:異版も加え十四回(1613・31・33・41・42・55・67・68・73・74・79・、1701・12)出版

 1642年刊の[曲直瀬]玄朔著「日用食性」


<


1642年(寛永19年)[曲直瀬]玄朔著「日用食性」  1633年版と同じ内容   「白芥 (タウカラシ)」 
 
       
 

日用食性 28/141- 国立国会図書館デジタルコレクションより引用
1645年(正保2年)曲直瀬玄朔著「日用食性」  1633年版と同   「白芥 (タウカラシ)」 

   日用食性28/141-早稲田大学<より引用
 
1654年(承応3年) 福田 松珀著「増益日用食性」  「白芥 (シロカラシ)」  和名志呂可良志
>
 
玄朔著の日用食性に、季時珍の本草網目等により、121品目の増補を行い、前書の食性と能毒とを一つにまとめ、食品名の上に出典を挙げ、上・中・下品を示し、多識編 和名鈔により、和名を訂し、そのあとに諸疾宜禁集と日用灸法が付く。初版は万治二年(1659年)以前の刊


1654年 振り仮名を多宇可羅志からシロカラシに変えて、異名の胡芥、蜀芥を追加。本文はほぼ同じ

    


増益日用食性(ぞうえきにちようしょくせい)著者福田 松珀成立年承応三序(1654)

増補日用食性59/134-弘前市立弘前図書館新日本古典籍総合データベース より引用


 1673年(寛文13年)刊曲直瀬玄朔著「日用食性」  「白芥 (シロカラシ)」

曲直瀬玄朔著「日用食性」1673年(寛文13年)刊 1633年版に比べ横長版

  


「たうがらし」の記載無し


曲直瀬玄朔著「日用食性」 1673年18/87早稲田大学より引用

 
 1690年(元禄3年)福田 松珀著「増益日用食性」  「白芥 (シロカラシ)」  和名志呂可良志


1654年(承応3年) 福田 松珀著「増益日用食性」と同じ整版か。最終頁の元禄三年の年号だけは追加

 

「たうがらし」の記載無し

増補日用食性59/205 - 国立国会図書

1692年(元禄5年 北村四郎兵衛著新編日用食性大成5巻 「白芥 (シロカラシ)」
 


「白芥 (シロカラシ)」になって、同じ本に「番椒(タウカラシ)」が初めて登場(白芥の次に



北村四郎兵衛著新編日用食性大成5巻より引用
 1696年(元禄九年)曲直瀬 道三 (東井 玄朔) 原著 壺中子著日用食性指南   「白芥 (シロカラシ)」
 
白芥子(シロカラシノミ・シロカラシノコ)
新編日用食性大成と同様に 「白芥 (シロカラシ)」になって、同じ本に「番椒(タウカラシ)」が登場(白芥子の次に)



日用食性指南48/173-新日本古典籍総合データベース

1712年(正徳2年)東井 玄朔著「日用食性」  「白芥 (タウカラシ)」 
 
1642年(寛永19年)と同じ版板で発行年だけ変更追加したか。 そのため「白芥 (タウカラシ)」 

「洛下玄朔敬識 東井」の記載がある日用食性では「白芥 (タウカラシ)」
 




出版事項 錢屋 茂兵衞〈洛下〉 正徳2(1712)

日用食性30/144-九州大学医学図書館・新日本古典籍総合データベースより引用


題名「日用食性」と異なる曲直瀬 玄朔著作本の流れ

1687年(貞享4年)-1755年宝暦5年 曲直瀬 玄朔, 編集渓上 野白(訂)「霊寳薬性能毒備考大成」/td>
 
<
「白芥子 (ヒャクガイシ) 和名 志呂加良志 

曲直瀬 玄朔, 1549-1631編集
渓上 野白(訂)

日本橋万町(江戸) : 松葉清兵衛, 貞享4[1687]序




霊寳薬性能毒備考大成. 巻之1-2,4-7 / 道三知苦斎 編集 ; 渓上野白 [訂
]111/234-早稲田大学







同じ内容で1755年でも刊行
著者:曲直瀬道三 1755年宝暦5年

霊宝薬性能毒備考大成4 17/41-独立行政法人国立公文書館


 



1640年(寛永17年)梅寿著「新添修治纂要」

白芥子が初めて登場、漢名はヒャクカイシ 、和名は 多宇可羅志とシロカラシ。よくわからない。

「白芥子 ヒャクカイシ 和名 多宇可羅志 シロカラシ也 



出版事項:西村 又左衛門 寛永17(1640)
梅寿『新添修治纂要(付 本草異名并和名・雷公薬性論炮製)』(1631 1640・46・58・77・86)


 
 
 



新添修治纂要 104/233京都大学・新日本古典籍総合データベースより引用




■1678年刊の「本草薬名備考」


白芥(タウカラシ)。「番椒」は出てこない。出版は京都。



 1678年(延宝6年)刊 本草薬名備考   

菜部

白芥(タウカラシ)


一~七巻には無く。八巻 「讀引」に記載

出版者 【京都】梅村弥右衛門

本草薬名備考. [8] -〇太-△菜部 29/86- 国立国会図書館デジタルコレクション より引用
 
九巻 「遺集」に「以下倭名集出」では「番椒」というとの記載

 

本草薬名備考. [9] 18/59- 国立国会図書館デジタルコレクションより引用




■1680年刊の若耶三胤子編「合類節用集

白芥(タウガラシ)の記載が同じで発行年台の異なる3冊を記載。近世節用集の代表格であるこの三冊が、トウガラシを白芥(タウガラシ)と記載しています。槙島 昭武編「合類大節用集」幕末の1861年刊行もあります。

『合類節用集』の特徴はその名の示す通り合類形式(意義分類をいろは分類の上位に置く語の配列

「出典として示されている書の中では最も引用例数の多い『多識編』からの引用例」とあるように。1630年刊の林羅山著「多識編」を参考にしています。
米谷, 隆史_『合類節用集』の増補態度について : 『多識編』からの引用を中心に


1680年(延宝8年)刊 若耶三胤子編「合類節用集」

「白芥(タウガラシ ハクカイ)」  「蕃椒(バンセウ) 同」

 



江戸時代の分類体実用辞書
出版皇都(京都) : 村上勘兵衛
合類節用集198/530-名古屋大学大学・国文学資料館より引用


 
 1717年刊の槙島 昭武編 村上平楽寺出版「和漢音釈書言字考節用集」
 
「白芥(タウガラシ カウライコセウ)」  「蕃椒 同」

 

「和漢音釈書言字考節用集」巻六15/37-早稲田大学より引用
 
 1861年刊行 槙島 昭武編「合類大節用集」
 
槙島 昭武編「合類大節用集」1698年成立して、この版は1861年刊行


「白芥(タウガラシ カウライコセウ)」  「蕃椒 同」


 

出版皇都(京都) : 村上平楽寺

合類大節用集・広島大学 245/531-新日本古典籍総合データベースより引用

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■本草綱目の白芥も1805年にタウガラシからシロカラシに訂正されています



1805年(文化2年)刊著者 小野蘭山(職博)口授・小野蕙畝(職孝)等編 「本草綱目啓蒙」

巻之二十二菜部 菜之一 葷辛類三十二種

白芥(シロガラシ 江戸ガラシ)


 
出版年1805年文化2年
著者 小野蘭山(職博)口授・小野蕙畝(職孝)等編

《本草綱目》に関する蘭山の講義を孫職孝(もとたか)が筆記整理したもの。《本草綱目》収録の天産物の考証に加えて,自らの観察に基づく知識,日本各地の方言などが国文で記されている。日本本草学の集大成とされる




本草綱目啓蒙 48巻 712/1582| 京都大学貴重資料デジタルアーカイブより引用
 




「白芥(タウガラシ)」の名称変遷のまとめ

トウモロコシとの「ナンバン同音衝突」に負けてトウガラシとなった南蛮胡椒は、1630年林羅山著「多識編」と1633年曲直瀬玄朔著「日用食性」で「白芥(タウガラシ)」と名付けられた。

この「白芥」は中国の「草本綱目」を底本として名付けたのですが、「白芥」は現在「シロカラシ」と言われるトウガラシとは異なる植物でした。

そのため、1654年福田 松珀著「増益日用食性」で「白芥」は「シロカラシ」と訂正されました。その後、「日用食性」系の書物では「シロカラシ」となりました。

しかし、「洛下玄朔敬識 東井」の記載がある日用食性では1712年の最終版でも「白芥 (タウカラシ)」です。底本の「本草綱目」でも1805年小野蘭山著「本草綱目啓蒙」で「シロガラシ」になっています。

また、多識編を底本にする1680年若耶三胤子編「合類節用集
などで「白芥(タウガラシ)」と表記されています。そのため、江戸時代の草本関連の書物では「蕃椒」が主流と思いますが、「白芥(タウガラシ)」も幕末まで続きます。林羅山著「多識編」の力恐るべきです。



西暦 著者史料名 出版元 漢字 振り仮名  備考
1630年 林羅山著「多識編」 京都 白芥 多宇可羅志 初版から4版(1612・30・31・70)
『本草綱目』が底本
1633年 曲直瀬玄朔著「日用食性」 京都 白芥 タウカラシ 初版から十四回(1613・31・33・41・42・55・67・68・73・74・79・、1701・12)『本草綱目』が底本
1640年 梅寿著「新添修治纂要」   白芥子 ヒャクカイシ 和名 多宇可羅志 シロカラシ
1642年 曲直瀬]玄朔著「日用食性」1633年版と同じ 京都 白芥 タウカラシ 「洛下玄朔敬識 東井」の記載がある日用食性では「白芥 (タウカラシ)」
1645年  曲直瀬玄朔著「日用食性」1633年版と同じ 京都 白芥 タウカラシ  
1654年 福田 松珀著「増益日用食性」   白芥 シロカラシ 和名 志呂可良志
1670年 滝野元桂(敬)著「改正増補多識編」   白芥 多宇可羅志  
1673年 曲直瀬玄朔著「日用食性」  /td> 白芥 シロカラシ  
1678年 「本草薬名備考」   白芥 タウカラシ  
1680年 若耶三胤子編「合類節用集」   白芥 タウガラシ
ハクカイ
「蕃椒(バンセウ) 同」同はタウガラシの意味か
1683年 新井玄圭著「食物摘要」  京都 番椒  タウカラシ 番椒(タウカラシ)が初めて登場
1687年 曲直瀬 玄朔編集渓上 野白(訂)
「霊寳薬性能毒備考大成」
  白芥子/td> ヒャクガイシ 和名 志呂加良志
1690年 福田 松珀著「増益日用食性」   白芥 シロカラシ 和名志呂可良志
1692年 北村四郎兵衛著「新編日用食性大成」   白芥 シロカラシ  
1696年 曲直瀬 道三 (東井 玄朔) 原著 壺中子著
「日用食性指南」 
白芥 シロカラシ
1712年 東井 玄朔著「日用食性」 京都 白芥 タウカラシ 1642年(寛永19年)と同じ版板か。 
1717年 槙島 昭武編 「和漢音釈書言字考節用集」   白芥 タウガラシ 
カウライコセウ
「蕃椒 同」 同はタウガラシの意味か
1755年 曲直瀬 玄朔編集渓上 野白(訂)
「霊寳薬性能毒備考大成」
白芥子 ヒャクガイシ 和名 志呂加良志
1805年 小野蘭山著 「本草綱目啓蒙」   白芥 シロガラシ 「本草綱目」でも「シロガラシ」
1861年 槙島 昭武編「合類大節用集」 白芥 タウガラシ 
カウライコセウ
「蕃椒 同」 同はタウガラシの意味か
1868年 明治元年 江戸時代の終わりまで「白芥(タウガラシ)」が通用していた。
1889年 大槻文彦 編「言海 」 シロカラシの項目なし。タウガラシは「唐辛」








(2)1645年松江 重頼著「毛吹草」の「唐菘(タウカラシ)」

『毛吹草』(けふきぐさ)は、江戸時代の俳諧論書でその中での諸国名産ノ部で「唐菘(タウカラシ)」が出てくる。
菘 ①すずな。カブ(蕪)の古名。春の七草の一つ。 ②とうな(唐菜)。野菜の名。つけな。
「つけな」の中に「カラシナ(芥菜)」もあり、唐の芥菜で「唐菘(タウカラシ)」として表記した、と無理やり推察する。
俳諧論書なので草本類の厳密な命名ではないと思います。




(3)1666年中村惕斎 編「訓蒙図彙 」の「蕃椒(ばんせう)」

中国の高濂 著「雅尚斎遵生八牋」万暦19[1591]序の花関連のところに「畨椒」が載っており、「訓蒙図彙 」でそれを描いて掲載。「日本では(たうがらし)と言われている」との記載が有るので、「畨椒(ばんせい)」が「トウガラシ」と認識している。
1671年の『庖厨備用倭名本草』の調飪類に「番椒(バンセウ)」が出てきます。
「元升日番椒ハ西國俗ニ云フナンバンゴセウナルベシ京関東ニテタウガラシト云フ」と書いています。
この「番椒(バンセウ)」は薬関係ではよく使われており、現在の辞書にも掲載されています。




(4)1678年刊の新井玄圭著「食物摘要」で「番椒(タウカラシ)」

本編ではなく附録に記載。この史料で初めて「番椒」を「タウカラシ」と読ませています。
その後、1697年 人見必大著「本朝食鑑」、1697年 宮崎安貞著著『農業全書 』、1698年 岡本一抱著「広益本草大成」、1709年 貝原益軒著「大和本草」、、1712年 寺島良安編纂「和漢三才図会」に「番椒(タウカラシ)」として掲載されます。「番椒(タウカラシ)」は、本草、植物の書物では江戸時代から昭和の戦前まで主流となります。
漢名の「番椒」に和訓の「タウガラシ」を付けるという草本関連書の伝統と推察します。