大野山の「柚子胡椒」に胡椒が入っていない
9 トウガラシの図 平賀源内、伊藤圭介等


唐辛子は俳句だけではなく、絵画の題材としても魅力的な植物です。江戸時代からのトウガラシの図を集めました。



(1)平賀源内の(1728-1780年)の「蕃椒図」


平賀源内といえば、「エレキテル(摩擦静電気発生装置)の復原」で有名ですが下記にあるように、万能の天才です。このコラムでは草本学者として登場して、1763年(宝暦13年)「物類品隲」を出版しています。その中に産物図絵1巻があり画家としての才能を示しています





平賀源内 物類品隲


物類品隲

平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年) - 安永8年(1780年)は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。平賀源内 - Wikiwandより引用




その平賀源内が「蕃椒図」を描いています。


平賀源内(1728-1780年) 「蕃椒図」 
中国の文献にでてくる植物名が自国の何にあたるのかを調べるのは古来より「名物学」といいまして、日本でも韓国でも漢文に堪能だった昔の人の研究のほうが今よりよっぽどまともだったりします。江戸時代のトウガラシ研究で出色なのは、平賀源内の『蕃椒譜』。彼が偉いのはここに挙げたような文献集めだけでなく、当時栽培されていたトウガラシを収集、図解するという自然科学的な視点も備えている点です。中には黄色くて金柑のような姿のものや、ハバネロみたいなベル形のものもありますが、いったいどんな味だったのでしょう。

この資料は源内自筆の稿本が昭和になって発見されて、戦前に完全復刻されている(なにしろ上から紙を貼って加筆した部分もオリジナルに忠実に)ため、今でも見ることができますが、そのオリジナルは戦火を逃れることはできたのでしょうか……。


  平賀源内(1728-1780年) 「蕃椒図」 平賀源内(1728-1780年) 「蕃椒図」







(2)曾槃,白尾国柱著「成形図説巻之二十五」 1804年(文化元年)の「番椒」 >



曾槃,白尾国柱著「成形図説巻之二十五」 1804年(文化元年)  



「成形図説巻之二十五」 1804年(文化元年)













(3)伊藤圭介(1803-1901年) 「蕃椒図説」 

よくぞ集めて、よくぞ描いた魅了溢れるトウガラシ。彩色された作品が見たかったです。




伊藤圭介(1803-1901年) 「蕃椒図説」 





伊藤圭介 「蕃椒図説」





伊藤圭介 「蕃椒図説」





伊藤圭介 「蕃椒図説」





伊藤圭介 「蕃椒図説」





伊藤圭介 「蕃椒図説」





伊藤圭介 「蕃椒図説」





伊藤 圭介(いとう けいすけ、享和3年(1803年) - 明治34年(1901年)は、幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者。日本初の理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。尾張国名古屋(現愛知県名古屋市)出身。名は舜民、清民。 字は戴堯、圭介。号は錦窠。伊藤圭介 (理学博士) - Wikipedia








(4)毛利梅園 (1798-1851年) 「梅園画譜」




毛利梅園 (1798-1851年) 梅園画譜




毛利梅園 (1798-1851年)梅園画譜




毛利梅園 (1798-1851年)梅園画譜




毛利梅園 (1798-1851年)梅園画譜




毛利梅園 草木実譜



草木実譜4,24/53 - 国立国会図書館デジタルコレクション





毛利梅園 (1798-1851年)梅園画譜

毛利梅園  梅園草木花夏の部



毛利 梅園(もうり ばいえん)は、江戸時代後期の旗本、本草学者。諱は元寿(もとひさ)。
『梅園画譜』:自ら採集、知人より得た実物を中心に写生し、写生日、実写か模写かを記し、更にしばしば入手元を記載している点が先進的と評価される一方、縮尺を示さず、分類学に意識が向けられていないことが欠点である 毛利梅園 - Wikipedia







(5)飯沼慾斎著 「草木図説」 1856年




飯沼慾斎著 「草木図説」 1856年(安政3年)刊



飯沼慾斎著 「草木図説

タウガラシ



飯沼慾斎著 「草木図説」タウガラシ





飯沼慾斎著 「草木図説」タウガラシ





飯沼慾斎著 「草木図説」タウガラシ

テンジクマモリ




飯沼慾斎著 「草木図説」タウガラシ

ムラサクタウガラシ




飯沼慾斎著 「草木図説」タウガラシ

キダチトウガラシ




飯沼慾斎著 「草木図説」 1856年(安政3年)刊


「草木図説」;日本最初のリンネ分類による植物図鑑。飯沼慾斎(いいぬまよくさい)の執筆。草部20巻、木部10巻。草部は1856年(安政3)から1862年(文久2)にかけて刊行された。

飯沼慾斎:;28歳のとき江戸に出て、蘭学(らんがく)を学び、大垣に帰り、蘭方医を開業する。1832年(天保3)隠居して、大垣近郊の長松村(岐阜県大垣市長松町)にある別荘平林荘で、博物学の研究に専念した。

草木図説ARC古典籍ポータルデータベース190/316より画像を引用









(6)村越三千男 編大植物図鑑   1925年(大正年14年)




村越三千男 編大植物図鑑   1925年(大正年14年)





村越三千男 編大植物図鑑



村越 三千男(むらこし みちお、1872年4月20日(明治5年3月13日)[1] - 1948年4月[2])は、日本の博物学者、教育者。特に牧野富太郎『日本植物図鑑』と同時期に刊行した『大植物図鑑』の著者として知られる。また他にも動物図鑑や昆虫図鑑の編集も行なっている。









(7)牧野富太郎著「日本植物図鑑・増補版(訂正版)」  1956年(昭和31年)




牧野富太郎著「日本植物図鑑」  1940年(昭和15年)

牧野富太郎著「日本植物図鑑・増補版(訂正版)」  1956年(昭和31年)




牧野富太郎著「日本植物図鑑」 たうがらし


牧野富太郎著「日本植物図鑑」1940年刊 p154-北隆館より引用





牧野富太郎著「日本植物図鑑」 たうがらし




牧野富太郎著「日本植物図鑑・増補版(訂正版)」 1956年刊 p1077-北隆館より引用






(9)ドイツ人ケーラーのトウガラシ図




ケーラーの薬草' トウガラシ 1887
ケーラーの薬草' トウガラシ 1887


ケーラーの薬草' トウガラシ 1887





トウガラシ - Wikipediaより画像を引用






(10)トウガラシの写真



トウガラシの写真





トウガラシの写真草型


草型





五色トウガラシの写真


五色トウガラシ





トウガラシの写真パラペーニョ


パラペーニョ





トウガラシの写真パプリカ


パプリカ





ニューメックス・トワイライト


ニューメックス・トワイライト





トウガラシの花


トウガラシの花








トウガラシ - Wikipediaより画像を引用









minimum








Prairie Fire








Canary Bell








White Cloud









ハラペーニョ





Listi yfir Capsicum afbrigði - Wikipedia, frjálsa alfræðiritiðより引用




















「成形図説のトウガラシ」を描く





上掲(2)曾槃,白尾国柱著「成形図説巻之二十五」 1804年(文化元年)の「番椒」に感銘し、トリミングを行い塗り絵の原画を作り、楽しく、懸命に彩色しました。






成形図説のトウガラシの彩色





塗り絵をしている時に気が付いた。右側に一茎のトウガラシがあり、左に4種のトウガラシがある

植物図鑑で種類の異なる唐辛子を、一枚の紙に描くときは(3)伊藤圭介「蕃椒図説」、
(4)毛利梅園 「梅園画譜」のようにトウガラシを重ねては描かない。


曾槃,白尾国柱は躊躇なく重ねて自分の望む構図を作っている。
(19)写真最後のハラペーニョのようにトウガラシを使たアート作品のようです。




そこで、当方も画像処理を行い数種の「成形図説タウガラシ」を作成

そのあと選んだ数種を掲載する予定が、決断力欠如のためすべて掲載・







成形図説のトウガラシの彩色








成形図説のトウガラシの彩色







成形図説のトウガラシの彩色







成形図説のトウガラシの彩色







成形図説のトウガラシの彩色








成形図説のトウガラシの彩色







成形図説のトウガラシの彩色





成形図説のトウガラシの彩色










彩色刷りの特製本が既にありました。

塗り絵作成後に知りました。




図版はたいていの刊本が黒白刷りであるが、ごく少部数だけ彩色刷りの特製本が発見されている。
これは将軍家や有力大名家への贈呈用であったと推定される。(成形図説とは - コトバンク





成形図説のトウガラシの彩色







成形圖説. 巻25 20/29- 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)より画像を引用





1804年に彩色したユニークな植物図が有ったことに驚き、とうがらしに関係ない図を二枚追加掲載。




成形図説の彩色水芋


水芋

成形圖説. 巻22 12/36- 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)より画像を引用





成形図説のササゲの彩色


豇豆(ささげ)


成形圖説. 巻18 32/54 - 国立国会図書館デジタルコレクション より画像を引用






   





30年前に描いた唐辛子の水彩画




今からほぼ30年前の1994年、1995年には、近所の庭の花、花屋の花、道端に咲く草花、木の実等を描いていました。2-3Hの鉛筆で輪郭を描き、水彩絵の具、日本画用の顔彩(水彩)で色をつけています。トウガラシは、葉、実とも一つずつ色を変えて丁寧に着色します。繊細で、忍耐力が必要な作業ですが、出来上がりを予想しながら楽しく描いていた記憶があります。

この時は、まじめな会社員ですが、
1994.8.1には二枚も描いています。暦を調べると月曜日です。夏休みだったと思いますが、一日に2枚描くほど熱中していた記憶も有ります。










花唐辛子 正昭


花唐辛子1    正昭     1994.1.3 




 1994.8.1 に丸い唐辛子に感動して二枚描いています



花唐辛子 正昭


花唐辛子2   正昭     1994.8.1 







花唐辛子 正昭


花唐辛子3    正昭     1994.8.1 







花唐辛子 正昭


花唐辛子4    正昭     1994.8.24






艶のある五色とうがらし



唐辛子 正昭


唐辛子1    正昭     1994.11.6



唐辛子 正昭


唐辛子2    正昭 






題名の「花唐辛子」は、どのようまものかわかりません。「花唐辛子」とは何ですかと30年前の正昭さんに聞いたら、『町の園芸屋さんに「花唐辛子」と書いて売っていました』と言いました。・・・あまり信用できません。

しかし、写真素材のサイトに「花とうがらし」「花唐辛子」と記載されたページが3pr-ジほどあります。

日本大百科全書(ニッポニカ)に次の記載がありました。

ハナトウガラシ/はなとうがらし / 花唐辛子
[学] Capsicum annuum L.

ナス科(APG分類:ナス科)の一年草。熱帯アメリカ原産で、いわゆるトウガラシの仲間であるが、もっぱら果実を観賞用にするため栽培される。果実の形は長短変化に富み、成長するにつれて乳白、橙(だいだい)、赤、紫色と多彩に変化するので、ゴシキトウガラシ(五色唐辛子)の名がある。しかし品種によっては、緑色の果実が成熟して赤色に変わるだけのものもある。繁殖は実生(みしょう)により、4~5月が適期である。高温、乾燥でよく育つ。主として鉢植えにする。


30年前には花屋、園芸屋でふつうに「花唐辛子」と売られていたかもしれません。