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作品名::『不二三十六景 相模大山 来迎谷』 作者:歌川広重(初代) 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:嘉永5(1852)年 大きさ:18.5×25.5cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 山頂手前の谷から西方の富士 |
■歌川広重「不二三十六景 相模大山来迎谷(さがみおおやまらいごうだに)」 江戸時代に富士と並んで信仰が盛んであった大山。本図は大山の山頂付近からの富士の眺望である。絶壁のように切り立った峡谷からの富士を真正面に見据えるが、これは極端に誇張したもので、実景では緩やかな山の向こうに富士を遠望する。山頂の石尊社まで参拝が許される6月27日から7月17日の夏の景であろう。山岳信仰の大山から霊峰富士を遥拝するというふたつの信仰を具現する図ということができる。 ※大山(神奈川県伊勢原市) …大山は丹沢山地の東部にそびえ、古代以来、山岳信仰の霊場となり、不動明王を本尊とする雨降山大山寺及び石尊社(大山阿夫利(あふり)神社)の境内であった。古くから雨乞や海上安全、豊漁祈願の信者が集まり、江戸時代には関東一円に大山講が組織された。本図は、蓑毛と坂本からの登山道が交わる山頂付近の来迎谷から富士を望む。鳥居は山頂に鎮座する石尊社と考えられる。明治元年(1868)、大山寺は山号を廃止されて阿夫利神社の境内となり、坂本の来迎院に移転し統合された。 山梨県立博物館-博物館資料のなかの『富士山』-歌川広重 「不二三十六景相模大山来迎谷」の解説文を引用 ■歌川広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」 広重が富士山をメーンテーマに制作した揃物《不二三十六景》の中の一枚です。中判横型の画面各図に、富士山の見える36ヶ所の景色を収めたシリーズです。 両側にそばだつ険しい懸崖は、丹沢山地の南東部に位置する大山の来迎谷です。江戸時代、ここは富士山と並び山岳信仰の対象とされてきました。右上には雨や海を司る神を祭った阿夫利神社の鳥居が見えます。本図は大山山頂付近からの景色を描いたものですが、作者である広重自身が目にしたであろう実景に、心象風景を重ね合わせた作品だといえます。岩壁の急峻さはことさらに強調されており、大山の厳かさを印象付けているようです。その谷間からは晩夏の青い空と、白雲をまとった雄大な富士の霊峰を望むことができ、大山と富士という2つの崇高な霊山の競演が、広重の手によってドラマチックに演出されています。 中山道広重美術館 :: 歌川広重 「不二三十六景 相模大山来迎谷」の解説文を引用 ■広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」 弘化4年~嘉永5年(1847~1852) 江戸時代の大山山内図からの推定ですが、大山からヤビツ峠へ向かう分かれ道のところから山頂へ向かい、しばらく登ったあたり左手が、来迎谷と呼ばれていたようです。 西の富士方向に日が沈みかかると、その光はまさに阿弥陀如来のご来迎という感じがします。 絵にあるように両側から谷がせまり、中心に富士が見えるという地点は、残念ながら未確認です。よく晴れ風が強い日には、冨士見台や山頂の西側から富士山がよく見えます。 「大山参詣の道(江戸から大山、大山山内、山帰り) | 伊勢原市」の解説文を引用 ■歌川 広重 歌川 広重(うたがわ ひろしげ、寛政9年(1797年) - 安政5年9月6日(1858年10月12日)は、江戸時代の浮世絵師。本名は安藤重右衛門。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓・広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。 江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。 1833年から「東海道五十三次」を発表。風景画家としての名声は決定的なものとなった。以降、種々の「東海道」シリーズを発表したが、各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けており、ともに秀作をみた。また、短冊版の花鳥画においてもすぐれた作品を出し続け、そのほか歴史画・張交絵・戯画・玩具絵や春画、晩年には美人画3枚続も手掛けている。さらに、肉筆画(肉筆浮世絵)・摺物・団扇絵・双六・絵封筒ほか絵本・合巻や狂歌本などの挿絵も残している。そうした諸々も合わせると総数で2万点にも及ぶと言われている。 「歌川 広重-ウィキペディア」より引用 |
出典 | 「来迎谷」を描いた場所、来迎谷の場所 | 根拠 |
大山観光青年専業者研究会の説明文 | 十六丁目富士見台が来迎谷 | 記載なし |
山梨県立博物館の作品解説 | 大山の山頂付近 蓑毛と坂本からの登山道が交わる山頂付近の来迎谷 |
作品の鳥居が山頂に鎮座する石尊社の鳥居と推察 |
中山道広重美術館 の解説 | 大山山頂付近からの景色 | 記載なし |
「大山参詣の道(江戸から大山、大山山内、山帰り) | 伊勢原市」の説明文 | 大山からヤビツ峠へ向かう分かれ道(二十六丁目ヤビツ峠分道)のところから山頂へ向かい、しばらく登ったあたり左手が、来迎谷 | 江戸時代の大山山内図からの推定 |
「来光」の世界大百科事典 第2版の解説 今では山頂の日の出の意味に使われているが,もともとは御来迎(ごらいごう)と書いて,山頂近くの雲に自分の影がうつされると,色の付いた光の輪を背負った仏の像に見えることをいったものという。 |
作品名:相刕大山繪圖 作者:佐藤坊開板(墨刷) 種別:古地図 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:嘉永5年頃(1852)年 大きさ:58×36cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説:江戸時代の壮大な塔頭の全容様子を伝える |
作品名:『相模國大隅郡 大山寺雨降神社真景(3枚組)』 作者:五雲亭 歌川貞秀 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:安政5(1858)年 大きさ:36×74cm ページ:3枚組 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説:大山全景・参詣道と富士・江の島の俯瞰図 |
大山の入口から山頂石尊社までの大山寺境内地のみならず、富士山・高尾山・江ノ島・伊豆半島まで描いています。大山を中心に据え、大山から見えるところまでを画面に入れています。 さて、大山の入口、現在いうところの三の鳥居の前には懸樋(かけひ)で水を引いた唐金の水盤があり、滝のように水が流れ落ちていたようです。 良弁滝・大滝・新滝(愛宕滝)を過ぎ、男坂・女坂(さいの河原道とあります)の合流部には仁王門があり、本堂・不動堂が描かれています。まさに川柳にある「大山のヘソのあたりに不動堂」です。 「石そん宮のまへに大ひなる箱あり 真中ニ太刀納ル又とりかへる」とあり、不動堂の裏手に納め太刀を納め、交換するための箱があったようです。不動堂に向かって左手には旧暦6月28日に開扉される木戸があります。 さらに左手の山の稜線には蓑毛方面からの登拝に関係した木戸があり、山頂・石尊社(この絵では雨降神社)に至る道が2筋であったことがわかります。 神仏分離で記録類が散逸してしまった大山では、このような資料から復元を進める必要があります。 気になる点を一つ。安政元年の年末から翌年正月にかけて大山は大火に見舞われ、町並はもとより、不動堂まで焼失しました。この絵はそれ以前の姿を描いたものと思います。 「大山参詣の道(江戸から大山、大山山内、山帰り) | 伊勢原市」の説明文を引用 |
作品名:『相模國大山圖』 作者:吉川帆澄 吉川善藏(墨刷)(大山町) 種別:古地図 時代:明治 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等: (不明) 出版年、撮影日等:明治11(1878)年8月 大きさ:64.5×48.5cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 安政大火と神仏分離後の明治の大山 |
『縁結の樹、頂上に至る二十丁目來光谷の傍にあり未婚の男女其戀ふ者の名を記したる紙を小指と栂指にて其樹に結付け其首尾よく結ばるを以て願叶へりとす』 |
作品名 | 『縁結の樹、頂上に至る二十丁目來光谷の傍にあり未婚の男女其戀ふ者の名を記したる紙を小指と栂指にて其樹に結付け其首尾よく結ばるゝを以て願叶へりとす』 |
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作者 | 〔不明〕 |
種別 | 絵葉書 |
時代 | 明治~大正 |
位置 | 下社から山頂 |
出版者版元発行所等 | 〔不明〕 |
出版年、撮影日等 | 明治40(1907)年4月~大正7(1918)年3月 |
所蔵 | 朝倉辰徳氏所蔵 |
「石尊大権現社、本堂奥不動より険路二十八町にあり、女人結界也勿論常に諸人の参詣を禁ず 毎歳六月二十七日より七月十七まで参詣を免す 江戸及び近国近郷群参する事夥し道中筋大に賑わう 常は本堂の傍らなる中門を閉登山なし」 東海道名所図会、下冊、巻五 76/139pより引用 |
「欺くて下社下社に達し愈々本坂にかかる。其登口に神門あり、平素閉門し春夏大祭の二期開いて頂上登拝を許す。之れよりさらに廿八町にして本社に達す。(中略)奥社より、左折右往して山嶺を一周せる道あり、之を御刈廻又は御中道と云ひ、奇景悉く寸眸の裡に集る。此道の東南面に親不知の険あり。」 名勝史蹟 大山道と街並み - 知る | 丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブより引用 |
「天保十年(1839年)六月 神田三河町四丁目陸天長蔵 取締御師相原但馬」に立てられた石柱「三町目」が現在の石柱「四丁目」の前にある。 明治7年(1874年)3月建立の「十一町目」の石柱が、現在の「十一丁目」の石柱のそばにある。 旧「十三町目」の石柱が、現在の「十二丁目」と「十三町目」の石柱の間にある。 現在の十六丁目「本坂追分」のそばに、「三十六丁目」の石柱があったが、これは蓑毛からのものだろうか。 2016大山(3) - 山と鉄より引用 |
作品名:相模州大住郡雨降大山全圖 作者:歌川国芳 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等: (不明) 出版年、撮影日等:弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年 大きさ36.5×75cm ページ:3枚組 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 大山全景・参詣道と多くの講中・遠景に江の島 |
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本坂追分 十六丁目 |
富士見台 二十丁目 |
来迎谷 二十六丁目 |
御中道 二十七丁目 |
作品名 | 『御中道、頂上の鳥居より左右に岐れ山頂を一周する歩道を云ふ歩は從て寄勝絶景身邊に集り處々鐵鎖を設けて往來に便す其處は千仭の谿に沿ひ壯絶の大景以て心膽を練り晧然の氣養をふべし』 |
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作者 | 〔不明〕 |
種別 | 絵葉書 |
時代 | 明治~大正 |
位置 | 阿夫利神社本社・山頂 |
出版年 撮影日等 |
明治40(1907)年4月~大正7(1918)年3月 |
大山の頂上裏側にある御中道からの富士山 |
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![]() 丹沢山地と大山が造る大きな谿 ![]() 大山の御中道から谷を挟んで富士山を眺めることになります。 ![]() ![]() 大山の御中道からの富士山 ![]() ![]() 現在の大山頂上の裏側の展望地からの富士山。この右側が電波塔。表示はありませんが、この道は明治、江戸時代の御中道と思います。 現在、登山道の鳥居がある27丁目御中道の横でも、カシバード画像では、谷を挟んで富士山が見られます。。 ![]() ![]() ![]() 「御中道 27丁目」の石柱と鳥居から少し横のところから。現在は、樹木が多く谷は見れません |
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大山「25丁目ヤビツ峠分道」横の展望地からの富士山 | |
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大山27丁目「御中道」から25丁目「ヤビツ峠分道」までの登山道と富士山展望(登山道の写真画像はgoogle mapで作成) | |
27丁目「御中道」鳥居の上から下の階段と右の道(昔のご中道) 富士山は右側 鳥居下の登山道は尾根の中央にあるが掘割状にえぐられた形になっています。 |
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27丁目「御中道」 の鳥居を下から眺める 富士山は左側。 掘割状にえぐられた凹部の下になり樹木が多く両側の視界はない。 凹部の左側の高いところから、樹木がなければ、は富士山が見えそうです。 |
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26丁目「来迎谷」 から 27丁目「御中道」への道 富士山は左側。 掘割状にえぐられた凹部の下になり樹木が多く両側の視界はない。 凹部の左側の高いところから、樹木がなければ、は富士山が見えそうです |
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26丁目「来迎谷」石柱 があるところの道 富士山は左側。 尾根の一番高いところはもう少し左側で樹木が多く視界はない。 凹部の左側の高いところから、樹木がなければ、は富士山が見えそうです |
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26丁目「迎合谷」付近![]() |
![]() カシバードで作成。対地高度2m ![]() カシバードで作成。対地高度25m。 カシバードでは近距離(画面下部)の画像作成が難しい。ヤビツ峠分道横の展望地では、対地高度25mの画像のほうが実際の景観と一致。 谷があり富士山が見える「来迎谷」にふさわしい場所です。 25丁目ヤビツ峠分道から27丁目御中道の尾根道はほとんどこのように見えそうです。 |
25丁目「ヤビツ峠分道」 から 26丁目「迎合谷」への道2 富士山は左側。 樹木がなければ見えそうです。 |
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25丁目「ヤビツ峠分道」 から 26丁目「迎合谷」への道1 |
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25丁目「ヤビツ峠分道」 樹木の枝の奥に丹沢山地があり、その上に富士山が見えます。富士山が見えます。 このあたりの枝を伐採すれば「ヤビツ峠分道」横と同じ景観が出てくると思います。 |
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25丁目「ヤビツ峠分道」![]() |
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大山20丁目「富士見台」からの富士山 | |
![]() ![]() 大山20丁目「富士見台」からの富士山 |
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張交図(はりまぜず)とは、1枚の中に複数箇所の名所(風景、名産、物語等)を並べたもの |
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『相刕大山親不知 View of Oyama』 出版年撮影日等:〔不明〕 説(聞き取り): ・この場所は、「お刈廻し」(おかりまわし)にあった「親知らず」である。大きな石があり、道が狭く急で危険な場所であったからこの名が付いたのではないか。 ・なお大山山頂の周囲には、富士山のお鉢巡りのように狭い山道が整備されていた。この道を「お刈廻し」(おかりまわし)、「お中道廻し」と呼んでいた。 ・昭和30年~40年頃までは使われていたが、今は整備されておらず歩くことはできない。 ・そもそもこの道は、火災を防ぐ防火帯の役割を持っていた。 『小林順三氏による「霊岳大山登拝のしおり」(昭和二年六月三十日発行)』 欺くて下社に達し愈々本坂 にかかる。其登口に神門あり、平素閉門し春夏大祭の二期開いて頂上登拝を許す。之れより更に廿八町にして本社に達す。本坂一丁目に老杉對立す高さ十五丈許 り、宛然華表の如く之を鳥居杉といふ。廿四丁より間道を左折すること一二丁にして清泉あり、御神水として供奠す。漸く頂上に達すれば當山特殊の雨降山あ り、常に雨露の點滴するを見る。幹高二丈五尺 周囲九尺許、樹齢四百年を超ゆ、誠に珍奇の靈木なり。和名ブナと称し(又はソバノキ)温帯地方に産す。古昔 の石尊大權現は本社にして,大天狗小天狗(奥社前社)雲表に鎮座す。 奥社より、左折右往して山巓を一周せる道あり、之を御刈廻又は御中道と云ひ、奇景悉く 寸眸の裡に集る。此道の東南面に親不知の險あり。 名勝史蹟 大山道と街並み - 知る | 丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ |
作品名:相模州大住郡雨降大山全圖 作者:歌川国芳 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等: (不明) 出版年、撮影日等:弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年 大きさ36.5×75cm ページ:3枚組 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 大山全景・参詣道と多くの講中・遠景に江の島 |
![]() 歌川広重「相模大山来迎谷」 の鳥居 |
![]() 27丁目御中道に鳥居の形を書き込み、それを登山道から眺めます。 鳥居は、立体的ではなく地面に書き込んだことになります。 |
![]() 現在の登山道の27丁目御中道 にある鳥居 |
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20丁目富士見台からの富士山 | 歌川広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」 |
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嘉永5年頃(1852)年 「相刕大山繪圖に「らい光たに」 | 安政5(1858)年 「相模國大隅郡 大山寺雨降神社真景」に「来迎谷」 |
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明治40(1907)年4月~大正7(1918)年3月発行の大山の絵葉書 | 昭和41年設置の丁目記載の石柱 |
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阿弥陀仏が丹沢山地の上に富士山 夕暮れとともに阿弥陀仏が富士山に来迎する |
丹沢山地と大山が大渓谷を形成 大山から大渓谷を挟んで富士山を眺める |
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大山山頂裏の展望地からの富士山 大山と丹沢山地の間に大渓谷がありその奥に富士山がいます |
「二十六丁目来迎谷」からの富士山 カシバード画像 左の山頂裏からの実景とほぼ同じ |
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大山山頂裏の展望地からの富士山 大山と丹沢山地の間に大渓谷がありその奥に富士山がいます |
「二十六丁目来迎谷」からの富士山 カシバード画像 左の山頂裏からの実景とほぼ同じ |
作品名:『相模國大山圖』 作者:吉川帆澄 吉川善藏(墨刷)(大山町) 種別:古地図 時代:明治 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等: (不明) 出版年、撮影日等:明治11(1878)年8月 大きさ:64.5×48.5cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 安政大火と神仏分離後の明治の大山 |
出版年 | 作品名 | 「来迎谷」 の記載 |
山頂の建築物等 | 中腹の建物等 | 山麓の建物 | その他 | |
1 | 文政7年(1824) ~天保12年(1841年) |
新編相模風土記稿 | 無し | 石尊社、大天狗社、小天狗社 | 徳一社不動、 |
前不動 | |
2 | 弘化4(1847)年 ~嘉永5(1852)年 |
相模州大住郡雨降大山全圖 | 無し | 無し | 読み取れない | 前不動の上が二十六丁、山頂下が五十丁。 五十丁に鳥居があり中道があり、その横に大岩があり富士山展望台になっている |
各丁に一軒以上の建屋がある |
3 | 嘉永5年頃(1852)年 | 相刕大山繪圖 | らい光たに | 石尊宮、大天狗、小天狗 | 〇〇大権現 不動明王 |
前不動尊 | 「らい光たに」はふじ道の鳥居の上 |
4 | 安政5(1858)年 | 相模國大隅郡 大山寺雨降神社真景 | 来迎谷 | 雨降神社石〇〇〇〇 | 本堂・不動堂 | 仁王門 | 「 来迎谷」は山頂と富士道の間か 本坂の道に小屋多し |
5 | 明治11年8月 | 相模國大山圖 | 無し | 阿夫利神社、奥社、前社 | 阿夫利神社〇殿 | 不動明王 | 本坂を登り冨士道に出ると鳥居がある |
6 | 大正8年 |
相模國大隅郡 大山寺雨降神社真景 | 無し | 本社 、奥社、前社、雨降木 | 阿夫利神社拝殿 | 不動明王 | 富士道に鳥居 |
7 | 昭和6年から19年 |
大山ケーブルカーの会社が発行したパンフレット | 無し | 本社 、雨降木 | 阿夫利神社下社 | 不動尊 | 富士山と大山の間の山は丹沢山 |
8 | 平成28年 | こま参道入り口の伊勢原ハイキングコース案内図 | 無し | 大山阿夫利神社本社 | 大山阿夫利神社下社 | 大山寺 | ヤビツ峠分岐(25丁目)、富士見台の記載 |
作品名:相模州大住郡雨降大山全圖 作者:歌川国芳 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等: (不明) 出版年、撮影日等:弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年 大きさ36.5×75cm ページ:3枚組 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 大山全景・参詣道と多くの講中・遠景に江の島 |
作品名:相刕大山繪圖 作者:佐藤坊開板(墨刷) 種別:古地図 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:嘉永5年頃(1852)年 大きさ:58×36cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説:江戸時代の壮大な塔頭の全容様子を伝える |
作品名:『相模國大隅郡 大山寺雨降神社真景(3枚組)』 作者:五雲亭 歌川貞秀 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:安政5(1858)年 大きさ:36×74cm ページ:3枚組 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説:大山全景・参詣道と富士・江の島の俯瞰図 |
大山の入口から山頂石尊社までの大山寺境内地のみならず、富士山・高尾山・江ノ島・伊豆半島まで描いています。大山を中心に据え、大山から見えるところまでを画面に入れています。 さて、大山の入口、現在いうところの三の鳥居の前には懸樋(かけひ)で水を引いた唐金の水盤があり、滝のように水が流れ落ちていたようです。 良弁滝・大滝・新滝(愛宕滝)を過ぎ、男坂・女坂(さいの河原道とあります)の合流部には仁王門があり、本堂・不動堂が描かれています。まさに川柳にある「大山のヘソのあたりに不動堂」です。 「石そん宮のまへに大ひなる箱あり 真中ニ太刀納ル又とりかへる」とあり、不動堂の裏手に納め太刀を納め、交換するための箱があったようです。不動堂に向かって左手には旧暦6月28日に開扉される木戸があります。 さらに左手の山の稜線には蓑毛方面からの登拝に関係した木戸があり、山頂・石尊社(この絵では雨降神社)に至る道が2筋であったことがわかります。 神仏分離で記録類が散逸してしまった大山では、このような資料から復元を進める必要があります。 気になる点を一つ。安政元年(1854年)の年末から翌年正月にかけて大山は大火に見舞われ、町並はもとより、不動堂まで焼失しました。この絵はそれ以前の姿を描いたものと思います。 「大山参詣の道(江戸から大山、大山山内、山帰り) | 伊勢原市」の説明文を引用 |
作品名:『相模國大山圖』 作者:吉川帆澄 吉川善藏(墨刷)(大山町) 種別:古地図 時代:明治 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等: (不明) 出版年、撮影日等:明治11(1878)年8月 大きさ:64.5×48.5cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 安政大火と神仏分離後の明治の大山 |
作品名:『相模國大山全圖』 作者:原牧三(大山町) 種別:古地図 時代:大正 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:大正8(1919)年4月 大きさ:41×31cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 解説: 関東大震災前の大山の様子がわかる |
作品名::『相州大山 来迎谷』 作者:歌川広重(初代)(直筆の複製版画) 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:その他 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:複製は昭和初期 大きさ:23×36cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 |
作品名::『不二三十六景 相模大山 来迎谷』 作者:歌川広重(初代) 種別:浮世絵 時代:江戸時代 位置:全景 |
出版者、版元、発行所等:〔不明〕 出版年、撮影日等:嘉永5(1852)年 大きさ:18.5×25.5cm ページ:1枚 所蔵:個人蔵、産業能率大学提供 |
広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」
弘化4年~嘉永5年(1847~1852)
江戸時代の大山山内図からの推定ですが、大山からヤビツ峠へ向かう分かれ道のところから山頂へ向かい、しばらく登ったあたり左手が、来迎谷と呼ばれていたようです。
西の富士方向に日が沈みかかると、その光はまさに阿弥陀如来のご来迎という感じがします。
絵にあるように両側から谷がせまり、中心に富士が見えるという地点は、残念ながら未確認です。よく晴れ風が強い日には、冨士見台や山頂の西側から富士山がよく見えます。
カテゴリ-:/浮世絵 浮世絵種別:その他の浮世絵 画題等:富士十二景の内、相模大山来迎谷 フジ ジュウニケイ ノ ウチ サガミ オオヤマ ライゴウダニ 絵師・落款 :歌川広重∥画 出版年 :大正 14年 1925年 版種:// 分類 :参考資料/日本地誌/関東(江ノ島、利根川、函根)// |
書誌注記 :;;;;;;;;;;;|//////////////|/ 件名 :歌川広重(ウタガワ ヒロシゲ) 文庫名 :東京誌料 請求記号 :941-C25/東C941-C025 製作者 :東京都立図書館 |
カテゴリ-:/浮世絵 浮世絵種別:その他の浮世絵 画題等:富士十二景の内、江ノ島岩屋 フジ ジュウニケイ ノ ウチ エノシマ イワヤ 絵師・落款 :歌川広重∥画 出版年 :大正 14年 1925年 版種:// 分類 :参考資料/日本地誌/関東(江ノ島、利根川、函根)// |
書誌注記 :;;;;;;;;;;;|//////////////|/ 件名 :歌川広重(ウタガワ ヒロシゲ) 文庫名 :東京誌料 請求記号 :941-C26/東C941-C026 製作者 :東京都立図書館 |
作品名 | 『相刕大山繪圖』 |
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作者 | 佐藤坊開板(墨刷) |
種別 | 古地図 |
時代 | 江戸時代 |
位置 | 全景 |
出版者 版元 発行所等 |
〔不明〕 |
出版年 撮影日等 |
嘉永5年頃 |
大きさ | 58×36cm |
ページ | 1枚 |
所蔵 | 個人蔵、産業能率大学提供 |
請求記号 (県立図書館蔵の場合) |
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利用(許諾)範囲 | 非営利目的でのご使用の場合は、どなたでもご自由にお使いいただけます。掲載物が出来上がりましたら、当館地域情報課宛に1部お送りください。ホームページなどインターネット上の掲載の場合は、URLをお知らせください。 |
解説: 江戸時代の壮大な塔頭の全容様子を伝える |
作品名 | 『相陽勝地大山全景之圖』 |
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作者 | 松岡岩次郎(石版) |
種別 | 古地図 |
時代 | 明治 |
位置 | 全景 |
出版者 版元 発行所等 |
〔不明〕 |
出版年 撮影日等 |
明治37(1904)年 |
大きさ | 54.5×29.5cm |
ページ | 1枚 |
所蔵 | 個人蔵、産業能率大学提供 |
請求記号 (県立図書館蔵の場合) |
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利用(許諾)範囲 | 非営利目的でのご使用の場合は、どなたでもご自由にお使いいただけます。掲載物が出来上がりましたら、当館地域情報課宛に1部お送りください。ホームページなどインターネット上の掲載の場合は、URLをお知らせください。 |
解説: 明治後半の大山の様子 |
作品名 | 『相模國大山全圖』 |
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作者 | 原牧三(大山町) |
種別 | 古地図 |
時代 | 大正 |
位置 | 全景 |
出版者 版元 発行所等 |
〔不明〕 |
出版年 撮影日等 |
大正8(1919)年4月 |
大きさ | 41×31cm |
ページ | 1枚 |
所蔵 | 個人蔵、産業能率大学提供 |
請求記号 (県立図書館蔵の場合) |
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利用(許諾)範囲 | 非営利目的でのご使用の場合は、どなたでもご自由にお使いいただけます。掲載物が出来上がりましたら、当館地域情報課宛に1部お送りください。ホームページなどインターネット上の掲載の場合は、URLをお知らせください。 |
解説: 関東大震災前の大山の様子がわかる |