葛飾北斎の「富嶽三十六景 甲州三坂水面」の逆さ富士





1.北斎の「甲州三坂水面」の逆さ富士 2 隠れ逆さ富士のある山




 

 

1.北斎の「甲州三坂水面」の逆さ富士


(1)自由な発想で虚構の景観

「富嶽三十六景 甲州三坂水面」は「北斎の逆さ富士」としが有名である。「三坂」は「御坂」で、御坂山地に有る御坂峠を示している。この御坂峠は御坂山の東にある旧御坂峠です。

この「甲州三坂水面」の逆さ富士は次の二点で、自由な構図で虚構の景観を作り、、見るものを驚かせます。

(1)実際の湖面に映る逆さ富士は線対称の富士であるが、「甲州三坂水面」では点対称の逆さ富士になっている。
(2)実像の富士山は夏の富士山であるが、水面の富士は冠雪した富士山




葛飾北斎 富嶽三十六景 甲州三坂水面 1831-34年(天保2-5年)

 
「甲州三坂水面」の解説。


御坂(三坂)からみる河口湖と富士の風景である。穏やかな水面に映りこむ富士の姿は「逆さ富士」として有名である。本図には赤茶けた山肌があらわになった夏の富士が描かれている。しかし湖面に映った富士は白い雪をかぶる冬の富士であり、現実ではありえない虚構の風景が広がっている。

甲府盆地から河口湖へ抜ける御坂峠から望む逆さ富士。穏やかな湖面と落ち着いたたたずまいの村落によって、静謐な景観となっている。実体の富士は夏であるのに、湖面に映る姿は雪をいただき、左にずれて描かれている。本来、逆さ富士は河口湖畔まで来ないと確認できない。本図は御坂峠から富士山麓を見渡した光景と、峠を下ってきて逆さ富士を目にしたときの、両方の感動が込められているのであろうか。北斎の奇抜な発想と構成力がよく現れている一枚。

 
      



  1851年(嘉永四年)の「甲斐叢記」では
 「富士の山・・・・其影湖水の面に浮かびて、白雪青漣に涵せり。」


1903年(明治36年)の「中央線鉄道案内」では
 「嶺上ヨリ南ヲ望メバ富士山巍峨トシテ天際に突出シ河口湖其下ニアリテ山上ノ白雪影ヲ碧水ニ寫シ絶景云フベカラズ」

 
      


浮世絵及び他の日本絵画も含めて、逆さ富士を描いたのは北斎が最初と思います。

富士山の絵を集めた「日本の美 5 富士山 」 高階秀爾/監修 高階秀爾/執筆 近藤誠一他、美術年鑑社、2013年10月刊の「富嶽百選 近世名作50」には逆さ富士の作品はありません。歌川広重も逆さ富士は描いていません。
この本で逆さ富士が出てくるのは吉田ふじを(1928年以前)の「富士山」に線対称の逆さ富士がでてきます。神津港人が「河口湖の富嶽」1949年、ヘンリ−・マツダが「黒富士夕照」2005年、石原古谿が「ダイヤモンド富士」2013年に線対称の逆さ富士を描いています。
北斎以外の点対称の逆さ富士は手持ちの資料、ネットで見たことがありません。今のところ、点対称の逆さ富士は北斎だけが描いたと思っています、

解説者も、困惑した様子で説明文を描いていますが、当方も困惑しているため説明文は省きます。

ここでは、どのようにして、「甲州三坂水面」を描いたかを探ります。





(2) 北斎の「甲州三坂水面」の逆さ富士は点対称


「甲州三坂水面」の逆さ富士は、実際に見える逆さ富士と異なります。

下図は、河口湖の旅館が並ぶ通りから見える逆さ富士です。水面に写る逆さ富士は実像の鏡像になっています。河口湖の水平線で折り返す線対称の逆さ富士です。



河口湖の逆さ富士






この実際に見える逆さ富士を「甲州三坂水面」の画面で描こうとすると、河口湖岸辺の複雑さが問題となります。通常の画人なら、逆さ富士を描こうとはせず、この水面に少し手を加えて完成とします。しかし、画狂老人の前北斎為一は逆さ富士に挑戦します。






北斎「甲州三坂水面」の岸辺の形状



河口湖水面に富士山の鏡像を作成する


富士山の鏡像を作る@ 岸辺上部から上の景色を反転して水面に描きます。
富士山の周辺は違和感がないが、前に張り出している岸辺のの水面の鏡像がない。









富士山の鏡増を作るA。前に張り出している岸辺の水面の鏡像を描こうとするが
画面が複雑になり、浮世絵の版画作品としては採用できない









富士山の鏡増を作るB 浮世絵の版画作品として、実際の画像を無視して、大胆に富士山だけを鏡像として描く。
最初に逆さ富士を描いた作品としては立派な作品と思います。









画狂老人の前北斎為一は上図の逆さ富士には満足しません。
特に「富嶽三十六景」の連作では読者を驚かす、騙す試みを一か所以上入れています。


「甲州三坂水面」では点対称の逆さ富士を描こうと思いました


 

点対称とは一定点に関して、ある二点が相互間をその定点によって二等分される位置関係にあること。図形では、一つの点を中心にしてある図形が180度回転したとき完全に重なり合うこと。




北斎は絵画への幾何図形の適用は得意です。絵手本「略画早指南」の中で、
「規矩の二つをもって諸々の画なすの定位を教ふ」
つまりコンパスと定規で作図の原理を教えると言って,多くの画を載せています。





 
 
      

河口湖岸辺と水面との境の一点を選び画像を180度回転して水面に描きます。回転する点の位置によりその構図は異なってきます。









ここでも画面を簡潔にするため、水面には富士山のみ描きます。点対称の逆さ富士の完成です。

読者を驚かす点対称の富士山が有り、構図的にも素晴らしいと思います。











しかし、画狂老人の前北斎為一は上図の逆さ富士にも満足せず、逆さ富士をなぞって異なる富士山を描いてきます。












夏の河口湖の水面に冠雪した富士山が出現して「甲州三坂水面」が完成します。


この逆さ富士は次の二点で、自由な構図と虚構の景観を作り、、見るものを驚かせます。北斎も十分満足します。

(1)「甲州三坂水面」では、実像の富士山が夏の富士であるが、水面の富士は冠雪した富士山
(2)実際の湖面に映る逆さ富士は線対称の富士であるが、「甲州三坂水面」では点対称の逆さ富士になっている。










3 北斎の点対称の逆さ富士


(1)北斎は点対称の逆さ富士が気に入って「富嶽百景第三編 蛇追沼の不二」にも描いています。
「富嶽百景」は「富嶽三十六景」の後、天保5年・1834年から刊行





北斎「富嶽百景第三編 蛇追沼の不二」

【みんなの知識 ちょっと便利帳】葛飾北斎・富嶽百景/富岳百景《蛇追の不二》より引用


「蛇追沼の不二」では水面の点対称の逆さ富士を実像の長さのほぼ二倍にして描いています







(2)北斎漫画13編 無題 、北斎没後の嘉永2年(1849年)に刊行。無題であるが「甲州三坂水面」と構図が似ている。





北斎漫画13編
 
国立国会図書館デジタルコレクション 北斎より引用漫画13編9/33より引用



「甲州三坂水面」の富士山実像と北斎漫画の富士山実像を重ねると、点対称の中心がかなり左側に移動しているのがわかります。
点対称の逆さ富士を三点描いていますが、」それぞれ趣向を凝らしています。













(3)「青山円座の松」の点対称の逆さ富士



さらに、この点対象の富士を「富嶽三十六景」の「青山円座の松」では、隠れ富士として描いている。一見したところでは気がつきにくいが、よく見ると富士山の左下に、青山円座の松と樹木と屋根で逆さ富士を形成している。この逆さ富士を画面に造るために、芝・増上寺の円座の松を、青山・龍岩寺の松として描いていると指摘している。
(有泉豊明著「葛飾北斎 富嶽三十六景を読む」平成26年 (株)目の眼発行から)

他の解説では、この逆さ富士について書かれてはいないが、私も北斎が意図的に逆さ富士を隠したと思える。冠雪した富士山を水面に描く画家ですから。この隠し富士により、この作品を見る楽しさも倍増している。







葛飾北斎 富嶽三十六景 青山円座の松 1831-34年(天保2-5年)

ウィキペディア 「富嶽三十六景」より引用



青山円座の松と樹木と屋根で形成した空間は点対称の富士山にほぼ似ています












三十六景「甲州三坂水面」、同「青山圓座枩」、百景初編「田面の不二」など、点対称として描かれた逆さ富士は神秘的で、それ自身を別存在として評価する必要があると思われます。


蛇追沼の不二: 浮世絵に聞く


2.隠れ富士のある景観



(1)御坂峠天下茶屋付近からの富士山 

実像の富士と同じような形で山で囲われた富士山の虚像が右下にあります。富士山下の山の稜線が作る逆さ富士です。河口湖を冠雪部とみると大きな富士山の虚像ですが、河口湖下の部分を冠雪部とみると小さな富士山虚像となります。

御坂峠天下茶屋と書きましたが、北斎と広重の描いた御坂峠は天下茶屋から東にある御坂山と黒岳の間にある御坂峠です。太宰治が「富嶽百景」で天下茶屋がある御坂峠を、昔からある富士見三景の御坂k峠と書いたため、それが一般化してしまいました。

皮肉にも北斎が描いた御坂峠の「逆さ富士」が、北斎の時代にはなかった天下茶屋の御坂峠に現れました。


御坂峠天下茶屋付近からの富士山 2014.11.16




富士山山頂の実像と虚像を結びその中心部を点対称の中心として、実像と虚像の相似性を比較しました。








(2)新道峠第二展望台からの富士山 2014.12.27

 北斎の逆さ富士が隠れています。実際の撮影時は意識していませんでしたが、山歩き記をまとめている時に見つけました。数個の山の稜線と河口湖の水面が逆さ富士を形成しています。まずは、ジーーと眺めて逆さ富士を見つけてください。





新道峠第二展望台からの富士山 2014.12.27












(2)黒岳-新道峠にあるすずらん峠付近からの富士山 2014.12.27




すずらん峠からの富士山 2014.12.27




点対称としての富士山として、かなり一致しています。








(4)箱根外輪山の芦ノ湖展望公園付近からの富士山

左側が樹木ですがが逆さ富士になってます。




箱根外輪山の芦ノ湖展望公園付近からの富士山 2014.10.14





(5)二十曲峠からの富士山

1月には虚像の逆さ富士も冠雪します。





二十曲峠からの富士山 2015.12.15






二十曲峠からの富士山 2014.01.10


(6)新倉山の「御殿」からの富士山

新倉山山頂から200m先に富士山展望地の「御殿」があります。新倉山山頂は広場もなく展望がないため、御殿で休憩します。
富士山下の吉田市街が水面に写る富士山のように見えます。





新倉山の「御殿」からの富士山 2015.11.16

(7)新倉山・天上山・三ツ峠山分岐






(8)湯ノ沢峠から白谷丸へ行く途中の登山道からの富士山
登山道横の黄土色のカヤトが虚像の逆さ富士を形成しています。
「甲州三坂水面」の逆さ富士ではなく、「蛇追沼の不二」の水面の点対称の実像よりかなり大きな逆さ富士に対応した形です。

白谷丸と湯ノ沢峠の登山道からの富士山。変形菱形富士。

湯ノ沢峠から白谷丸へ行く途中の登山道からの富士山  2014.10.15







湯ノ沢峠から白谷丸へ行く途中の登山道からの富士山 点対称の逆さ富士とほぼ2.5倍にした逆さ富士






富士山の形にこだわり、点対称を崩すと、カヤトに囲まれた逆さ富士が実像の富士の形状に似てきます。カヤとの中の「隠れ冨士」です。


富士山の景観として気に入っているため





































4−5 「三坂水面」の各視点


「多数の視点による描写」ヶ出てきたので、いろいろな視点からの描写について、「富岳三十六景」の中で最も多くの視点から描いた「」三坂水面を眺めていきます。さらに、実際には見ることができない多視点描写を追及するため、富嶽三十六景の「甲州三坂水面」の虚構の風景に進みます。

「甲州三坂水面」の解説。
御坂(三坂)からみる河口湖と富士の風景である。穏やかな水面に映りこむ富士の姿は「逆さ富士」として有名である。本図には赤茶けた山肌があらわになった夏の富士が描かれている。しかし湖面に映った富士は白い雪をかぶる冬の富士であり、現実ではありえない虚構の風景が広がっている。
東京富士美術館 富嶽三十六景 甲州三坂水面の解説より


この夏と冬の富士山が同一画面にある風景にも、驚きました。北斎は、実際にはありえない風景を平然として描いています。この作品で「富嶽三十六景」とは、単なる名所図会ではなく、北斎のいろいろな「企み」を含んだ連作であり、その「企み」を見つけて理解するのが作品鑑賞の重要な一項目であると思いました。

最初、「甲州三坂水面」の夏と冬の富士山は、読者を喜ばす北斎の「遊び心」と思いましたが、二つの視点から描いた「阿弥陀ヶ瀧」を見た後は、次のように理解してます。


「阿弥陀ヶ瀧」は二つの空間的視点から描いた作品で、「三坂水面」は二つの時間的視点から描いた作品です。

北斎は単なる「遊び心」だけではなく、二つの「時間的視点」を「三坂水面」に取り込む試みを意欲的に行いました。



図50I 富嶽三十六景「甲州三坂水面」

同一画面に各季節の風景を描いたのは、北斎が始めてではありません。日本画には「四季絵」という、春夏秋冬の自然や人事・風俗の移り変わりが一目で見られるように屏風や障子などに描いた絵画があります。平安時代、和歌を主題にした屏風絵、障子絵の流行は、四季おりおりの自然や人事を詠じた和歌の内容を趣深く描き出す四季絵を生み、一年12ヶ月の月々の行事、景趣を描き分けた月次絵とともに、大和絵の主要な題材となりました。
著名な作品としては「日月山水図屏風」(作者不明、室町時代)があります。
画面真ん中の海を中心に春夏秋冬が循環している。春の山と夏の山の間に丸い太陽があり、秋の山と冬の山の間に欠けた月がある。そして夏と秋、冬と夏の間には雲。つまり季節の変わり目に太陽、月、雲を配置。
《日月山水図屏風》循環する宇宙のエネルギー──「岸 輝」:アート・アーカイブ探求
北斎の「三坂水面」は、この大和絵の「四季絵」を発展させた作品とも言えます。日本の絵画は、世界の絵画に比べ、時間的視点も空間的視点もかなり自由度を持っていたようです。









実像の富士山を180度回転するとこの虚像の逆さ富士の形になります。また、上の図50Lの虚像の逆さ富士を左右に反転すると、この虚像の逆さ富士の形になります。北斎は、実際の逆さ富士の形を、脳内で画像処理して線対称の逆さ富士を創り上げています。視点の変換を超える、すばらしい創造力です。
個人的好みはあると思いますが、こちらの点対称の逆さ富士の方が変化に富み、画面全体が躍動した印象となり、面白いと思います。


図50L 「甲州三坂水面」の点対称の逆さ富士



この夏の逆さ富士に、冠雪をつけると冬の逆さ富士になりますが、「甲州三坂水面」の逆さ富士とは形が異なります。「甲州三坂水面」の実像の富士山は、図50Mのように山頂が尖った三峰構造ですが、虚像の逆さ富士の山頂は図50Nのように鈍角の一峰構造で、山体も実像に比べも大きい。実像の富士山は、河口湖からの富士山に比べると、山頂部が尖り過ぎており、吉田大沢が長すぎるようです。虚像の富士山も、山頂部が丸く、山体もたおやかで河口湖からの富士山には見えません。

ここでは「甲州三坂水面」の富士山を描いた視点という観点で、各方位から眺めた富士山を検討して図5OOに示す結果を得ました。

視点1:富士山南西部の白鳥山。実像の富士山-山頂部と大きく長い沢の形状
視点2:富士山北北東の三ッ峠山。実像の富士山-山体の形状。
視点3:富士山北北西の雪頭ヶ岳。虚像の富士山-山体の形状。

「甲州三坂水面」の富士山は、御坂からの富士山ではなく、ほかの三つの地点からの富士山を参考として、北斎が創った山頂部を合わせて描いています。


図50M 「甲州三坂水面」の富士山の実像
図50N 「甲州三坂水面」の富士山の虚像


図50O  「甲州三坂水面」を描いた視点(地点)」








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