石老山の山歩き記  2014年12月2日(火)

  

今回の石老山山歩きは、見どころ満載です。

@顕鏡寺までの奇岩、怪岩 A顕鏡寺の蛇木杉、大イチョウ、柳原白蓮の墓 B石老山からの富士山 C大明神展望台からの富士山がいる大展望 D嵐山ハイキングコースの美しい景観



■今回のコース 

石老山登山に嵐山散策を加えました。

石老山入口バス停
(8:15)-顕鏡寺(9:03)-石老山(10:24)-大明神展望台(11:25-12:52)-嵐山(15:19)-相模湖駅(16:08)
石老山登山と嵐山散策コース
登山コース
時刻
小田急江ノ島線
長後駅
6:23
中央本線
相模湖駅
7:56
8:04
石老山入口バス停
 216m
8:15
8:29
顕鏡寺
 310m
9:03
9:19
融合見晴台
 570m
9:52
9:54
石老山
 702m
10:24
10:48
大明神展望台
 545m
11:25
12:52
箕石橋
13:38

プレジャ-フォレスト前
 220m
13:55
嵐山
 406m
15:19
15:30
嵐山登山口
 200m
15:52
中央本線
相模湖駅203m
16:08

 小田急江ノ島線
長後駅
17:51
 


石老山と富士山 (景信山から)

石老山と富士山 (景信山から)





石老山の山歩き記   2014年12月2日(火)




■6:23 小田急江ノ島線長後駅発。長後駅のホームから富士山が見えます。ここで富士山の見え方を確認します。
富士山は、鮮明に見えています。このまま、鮮明な富士山でいることを、木花咲耶姫に祈願します。 



小田急江ノ島線長後駅から富士山が見えます。


■7:56 中央本線相模湖駅着


■8:04 中央本線相模湖駅からバス



中央本線相模湖駅からバス




■8:15-8:29 石老山入口バス停着−発。バス停に案内板があります。

しばらく歩き、巨大な奇岩、怪岩がある山道に入ります。顕鏡寺を過ぎると、、桜山展望台コースと八方岩コースに分かれます。今回は、桜山展望台コースを歩きました。展望台という名称に負けてしまいます。



石老山ハイキングコース案内図




■8:49 石老山は礫岩でできています。富士山の見える山では、岩殿山も礫岩でできています。



石老山の岩の歴史の案内図




■8:49 岩が多い山道を登ります。



岩が多い山道




■8:51 イチョウの葉が石の階段を覆っています。



イチョウの葉が石の階段を覆っています




■8:53 「滝不動」

この説明文が難解である。

(1)「絞龍(こうりゅう)」がわからない。google検索でも、goo国語辞書でも出てこない。「蛟龍」はある---蛟龍(こうりゅう、こうりょう、蛟竜)すなわち蛟(コウ)は、中国の竜の一種。「絞龍(こうりゅう)」を龍の一種と考えて次に進む。

(2)
「絞龍」の石像のことを滝不動といっているのか。「不動」が「不動明王」とすると、「絞龍」が「不動明王」ということになる。「龍」が「不動明王」になった理由が知りたい。それとも、岩屋を形成している大岩を滝不動というのか。

(3)「今は、絞龍の石像はこわれ、顔相だけになっている」、この説明が最も難解です。「顔相」は、絞龍の顔の形、印象と思い、石像が壊れたら顔も破壊されていると思ったが、「顔相だけになっている」とある。しかし、写真をみるかぎり、「顔相」は見当たらない。顔相とは何か。
*壊れた「絞龍」の石像は赤丸で示した部分と考えています。



「滝不動」の説明板


滝不動


滝不動の岩屋と壊れた絞龍の石像



壊れた絞龍の石像  岩屋




■8:54 「屏風岩」はイチョウの落葉に覆われて美しい。




「屏風岩」の説明板


屏風岩




■8:56 「仁王岩」



「仁王岩」の説明板


「仁王岩」




■9:01 「駒立岩」高さ11mの巨岩です。



「駒立岩」の説明板


「駒立岩」



■9:01 「力試岩」と「文殊岩」。


「力試岩」と「文殊岩」の説明板



どれが「力試岩」か「男岩」か「女岩」か難しい。
大きい岩の「男岩」の上に小さな岩の「女岩」があり、「女岩」が「力試し岩」とも呼ばれている、のようである。




「力試岩」



こちらが「文殊岩」か


「文殊岩」





■9:03 奇岩の坂道が終了。



奇岩の坂道が終了




■9:03 奇岩の坂道を登った所に顕鏡寺があります。



奇岩の坂道を登った所に顕鏡寺




■9:03 石段の上に鐘撞堂。



石段の上に鐘撞堂




■9:04 顕鏡寺。「高野山真言宗 石老山 顕鏡寺」。御本尊は福一満虚空蔵菩薩で津久井観音霊場十四番札所。平安時代の貞観12年(870年)、に源海法師によって創建されました。




顕鏡寺の説明板

山号は中国で禅宗が盛んになった唐の時代から用いられるようになったようで、
日本でも禅宗が紹介されて以降、広がったようです。

山号とは?お寺の前に「〇〇山」とつく理由と有名寺院の山号 | はじめてのお葬式ガイド より引用




イチョウの黄色い葉で覆われた通路、屋根、石段が美しい。

顕鏡寺の門




■9:04 見事な「蛇木杉」。下の根が上方に伸びていく形状はまさに蛇です。高尾山の樹齢450年の「蛸杉」に匹敵します。杉の根は地上に出やすいのか。




「蛇木杉」の説明板






「蛇木杉」





■9:06 鮮やかな紅葉



鮮やかな紅葉






■9:07 本堂の前の見晴台から。



本堂の前の見晴台からの景観




■9:11 柳原白蓮の墓に向かう。多くの墓の中に宮崎家の墓をみつける。

2014年3月31日から9月27日まで放送されたNHK連続テレビ小説「花子とアン」を毎朝見ていました。その中で仲間由紀恵 さんが演じる葉山蓮子のモデルが柳原白蓮です。仲間由紀恵が、大正時代の魅力ある美女で、しなやかな女傑である白蓮を見事に演じていました。墓に行っても何かあるわけではないのですが、何故か行きたくなりました。

柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎Y子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。大正三美人の一人。白蓮事件で知られる。
父は柳原前光伯爵。母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘奥津りょう。東京に生まれた。大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
白蓮事件(びゃくれんじけん)は、大正時代の1921年(大正10年)10月20日、福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門の妻で、歌人として知られる柳原白蓮(伊藤Y子「あきこ」)が滞在先の東京で出奔し、社会運動家で法学士の宮崎龍介と駆け落ちした事件である。新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載されるマスコミのスクープ合戦となり、センセーショナルに報じられた。(文・写真とも 柳原白蓮 - Wikipediaより引用)

*福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門を演じたのは吉田 鋼太郎です。


柳原白蓮・宮崎家の墓








柳原白蓮




■9:11 恋に生きた柳原白蓮の墓です。

白蓮の歌

 「幾億の生命の末に生れたる二つの心そと並びけり」

 「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」


柳原白蓮の墓




■9:19 顕鏡寺に戻り、かながわの名木100選「顕鏡寺のイチョウ」を眺める。

「幹がまっすぐに高く伸び、樹高では県内で最も高いイチョウである。 樹高 42メートル。胸高周囲 5.4メートル。樹齢 約400年(推定)」



かながわの名木100選「顕鏡寺のイチョウ」の説明板






かながわの名木100選「顕鏡寺のイチョウ」




■9:19 顕鏡寺のイチョウが地面を黄色に染めています。



地面を黄色に染めるイチョウ




■9:20 「岩窟」。顕鏡寺山門の左側の石段を登った処に岩窟があります。道志法師、源海法師が住居とした岩窟であり、これを道志岩窟と言います。この岩窟の中に福一満虚空蔵尊が安置されており、顕鏡寺の寺宝とされています。



道志法師、源海法師が住居とした岩窟




■9:23 蓮華岩

『この岩は、「散蓮華」のような岩なので、蓮華岩といわれる。』 この説明文も難解です。石老山の奇岩の説明文に、何故か拘る。

『この岩は、「蓮華(の花)」のような岩なので、蓮華岩といわれる。』でよいと思われるが、「蓮華」のかわりに「散蓮華」がでてくる。

それでは、「散蓮華(さんれんげ)」とは何か。「さんれんげ」という読み方はどこにも出てこないで、日本国語大辞典は「ちりれんげ」と読んでいる。
その意味は
@ 散った蓮(はす)の花。《季・夏》
A (形が@に似ているところから) 柄(え)の短い、小さな陶製もしくは金属製のさじ。れんげ。
岩の名前に陶器製のさじももってくる理由が無いので、「散蓮華(さんれんげ)」は「散った蓮の花」か。
散った蓮の花の写真はあまり見ない。わざわざ散った蓮の花を持ってくる理由がわからない。「散った蓮の花」ならば「散蓮華岩」にしたほうが良い
それとも、「さんれんげ」という「蓮の花」とは違うものがあるのか。



蓮華岩・大天狗岩の説明板



蓮華岩





■9:28 八方岩経由と桜山展望台経由の分岐。
八方岩経由では、八方を見渡すことができるということから名付けられた八方岩や、吉野岩などがある。しかし、展望台の名に引かれて、桜山展望台へ進む。



八方岩経由と桜山展望台経由の分岐




■9:31 桜山展望台です。



桜山展望台




■9:31 東の津久井湖方面の景観が広がります。顕鏡寺の展望地からの景色を一段高い所から眺めています。



桜山展望台から津久井湖方面




■9:31 山の間の奥に町田市。



山の間の奥に町田市




■9:32 相模湖も見えます。



相模湖




■9:42 八方岩経由の道と合流して進みます。



八方岩経由の道と合流して進みます




■9:55 融合平見晴台。 桜山展望台で眺めた相模湖が見えます。



融合平見晴台。 桜山展望台で眺めた相模湖。




■10:26 この頃から、カメラの調子が悪くなる。冬山で気温がマイナスになると、写りが悪くなったことがあるが、気温は7℃ぐらいなので気温のためではない。
しかし、写した写真のできばえは確認しないので、家に帰るまで知らずにとりまくる。運よく、石老山と大明神展望台からの富士山は何とか写っていた。



この頃から、カメラの調子が悪くなる。その写真。





■10:32 石老山山頂到着。標高702m。

石老山の標高は一般に694mとなっているが、これは山頂の西にある三角点の標高で、山頂は700mを超えているのが、地形図の等高線から読みとれる。
石老山山頂の標高は、国土地理院の地図にある最高地点の702mを採用。
石老山の山名は、顕鏡寺の山号である石老山からとられたとあります。寺号が先にあったとは意外です。



石老山山頂の説明板




■10:32 石老山山頂からの富士山。道志の御正体山と丹沢の加入道山の上に富士山がいます。高尾山の少し左側から眺めている富士山です。手前に石砂山があるので、立体的な富士山の台座が形成されています。



石老山山頂からの富士山



石老山山頂からの富士山と他の山の山座同定


拡大画像と山座同定 



■10:32 石老山山頂からの富士山。富士山から丹沢山地の山並みが伸びていきます。



石老山山頂からの富士山





■10:32 石老山からの富士山は、大室山、加入道山、御正体山、ムギチロ、石砂山で造られた立体的で、見事な台座に鎮座しています。容姿端麗な富士山です。



石老山からの富士山は、大室山、加入道山、御正体山、ムギチロ、石砂山で造られた立体的で、見事な台座に鎮座しています。




■10:33 石老山山頂からの富士山。



石老山山頂からの富士山。





■10:33  石老山山頂からの富士山





石老山山頂からの富士山。






■10:33  石老山山頂からの富士山。壁紙用(1920*1200)。



石老山山頂からの富士山。壁紙用




■11:13 石老山から大明神へ行く登山道からの富士山



石老山から大明神へ行く登山道からの富士山




■11:31 大明神展望台到着。

大明神展望台からの富士山。道志の鳥井立と丹沢の加入道山の上に富士山がいます。


大明神展望台からの富士山





■11:39 富士山の左下に、鳥の胸山が頭を出しています。石老山から見えた御正体山は鳥井立の後ろに隠れています。
この大明神展望台から、富士山の山頂に太陽が沈むダイヤモンド富士が見られます。ちょうどこの日がダイヤモンド富士の日で、それを目的に展望台にきたという登山者がいました。


大明神展望台からの富士山。




■11:45 大明神展望台からの富士山の右側には道志山塊の山並み、左側には丹沢山地の山並みが続きます。しかし、富士山がいる大展望を作るために撮影した写真は、何故か、次のように殆ど写っていませんでした。今日は突然カメラの調子が悪くなる。原因不明。次に嵐山へ進みます。



不調のカメラが写した大明神展望台からの景観。




■13:48 箕石橋を過ぎて、舗装の道を進みます。相模湖リゾートプレジャ-フォレストの「おやまのかんらんしゃ」が見えています。高尾山からの富士山で見えていた「おやまのかんらんしゃ」です。



箕石橋を過ぎて、舗装の道を進みます。




■13:56 プレジャ-フォレスト前



プレジャ-フォレスト前




■14:00 東海自然遊歩道の嵐山方面へ進みます。



東海自然遊歩道の嵐山方面へ進みます。




■14:06 相模湖が見えてきました。相模湖の左上に権現山、その後ろに小金沢山、雁ヶ腹摺山が見えます。



嵐山ハイキングコースから相模湖






■14:47 嵐山ハイキングコースからの相模湖。



嵐山ハイキングコースからの相模湖。




■14:49 嵐山ハイキングコースの竹林。 最高の散策路。


嵐山ハイキングコースの竹林。





■15:15 嵐山山頂へ進む。



嵐山山頂へ進む。




■15:21 嵐山山頂広場。心霊写真のような写り方ですがこれが最も良い写真。産霊宮水上神社の鳥居が見えます。

説明板の記載
『嵐山 (標高 40南5.9m)  南の道志山、北の小仏山脈の中間にあって間の山(あいのやま)が本来の名であるが、「相模湖東岸に迫るなだらかな山容と山肌を色どる美しい落葉広葉樹林が織りなす景観が京都の嵐山に似ている」のでいつのころか嵐山といわれるようになりました 神奈川県』


嵐山山頂広場。心霊写真のような写り方です。







■15:22 嵐山山頂からの景観。左側奥の山が赤鞍山で、その左側に富士山がいますが枝の奥になります。

富士山が「アンテナの裏から見えました」という記載と写真があります。(嵐山(相模原市) - かながわ いーとこ



嵐山山頂からの景観。




■15:52 嵐山登山口に下りる。「彦霊宮水上神社参道」になります。



嵐山登山口




■16:01 相模湖大橋に到着。



相模湖大橋




■16:01 山の上に昼の月。



山の上に昼の月




■16:08 中央本線相模湖駅 



■17:51 小田急江ノ島線線長後駅着。 



END