安藤広重筆 「富士十二景」 昭和18年に発行された「安藤広重筆 江都八景及富士十二景」から富士十二景を紹介します。 「安藤広重筆 江都八景及富士十二景」は歌川広重の肉筆画の収集家であ青木藤作所蔵の肉筆画の白黒写真の画集です。 *歌川広重の本名は安藤重右衛門。かつては安藤広重(あんどう ひろしげ)とも呼ばれたが、安藤は本姓・広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。そのため現在は安藤広重とな呼ばれない。私は昭和40年台の学生時代に安藤広重と覚えた。 HPには書かれていませんが、青木藤作の遺族からの寄贈により設立された「那珂川町馬頭広重美術館」は、この肉筆画をすべて所有していると思います。 「那珂川町馬頭広重美術館」のHPに掲載されているのは何故か「富士十二景 両国橋下」一作だけです。 google art 那珂川町馬頭広重美術に「杉田梅林」「駿河不二ノ沼」「両国橋下小金井堤」が絹本着色の作品として掲載されています。 那珂川町馬頭広重美術館の「広重没後160年記念 大広重展 -肉筆浮世絵と錦絵の世界-」の後期目録1に「相模大山来迎谷」があります。 ![]() 所蔵者の「青木藤作」と「那珂川町馬頭広重美術館」について 青木藤作(1870年〈明治3年〉 - 1946年〈昭和21年〉)は、栃木県塩谷郡熟田村狭間田(現・さくら市)に生まれ、肥料店を佐久山・氏家・西那須野で営み、実業家として成功する一方で、広重の肉筆画や版画をはじめとする美術品を収集し、また、徳富蘇峰と生涯にわたる交流を持ち続けた人物であった。 遺族は、コレクションを一括して所蔵・展示するところへの寄贈を望み、栃木県の援助を受けて町立の「馬頭町広重美術館(現・那珂川町馬頭広重美術館)」設立が決定した。 那珂川町馬頭広重美術館(なかがわまちばとうひろしげびじゅつかん)は、栃木県那須郡那珂川町にある町立美術館である。 歌川広重の版画・肉筆画94点のほか、小林清親・川村清雄・徳富蘇峰の作品や関係資料など約4500点を所蔵・展示している。中でも「天童広重」十数点を含む広重の肉筆画の所蔵点数が40を超え、全国の美術館でも多いことが特色である。 (那珂川町馬頭広重美術館-ウィキペディア) 安藤広重「富士十二景」 制作:嘉永年間(1848-1854年)末~安政年間(1854-1860年)初 国宝社発行 安藤広重筆 江都八景及富士十二景 - 国立国会図書館デジタルコレクションより引用 実際のサイズ: w35.8 x h23 cm タイプ: 絹本着色
1.六郷河渡舟 ![]() 歌川広重 「富士十二景 六郷河渡舟」 3.小金井堤 4.江ノ島岩屋 ![]() 歌川広重 「富士十二景 江ノ島岩屋」 5.両国橋下 6.駿河不二ノ沼 7.相模大山来迎谷 ![]() 復刻版画のため色彩が異なる2種を表示。 ![]() 歌川広重(初代)(直筆の複製版画) 「相州大山 来迎谷」 「相州大山 来迎谷:神奈川県郷土資料アーカイブ」より引用
![]() 歌川広重 「富士十二景の内、相模大山来迎谷」 「富士十二景の内、相模大山来迎谷-東京都立図書館デジタルアーカイブ TOKYOアーカイブ」より引用
8.甲斐大月原 ![]() 歌川広重 「富士十二景 甲斐大月原」 9.目黒千代が崎 10.下総国府台 ![]() 歌川広重 「富士十二景 下総国府台」 11.信濃諏訪湖 ![]() 歌川広重 「富士十二景 信濃諏訪湖」 12.東都木下川田甫 ![]() 歌川広重 「富士十二景 東都木下川田甫」 もう一枚の歌川広重「相模大山来迎谷」に戻る |