弘法山には、桜と富士山と入浴の組み合わせで、2014.4.9に最初に訪れた。桜は少し盛りを過ぎていたがそれなりに楽しめた。しかし、富士山は春の霞で、、目を凝らすとかすかに見える程度のため、どのような富士山がいたか不明でした。今回は、富士山展望と入浴に目的を絞り、冬型の気圧配置の日を狙い、クッキリとした晴天の中にいるに富士山を眺めた。 ■今回のコース |
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標高差150mほどで、歩行時間2時間20分ほどの、バスに乗らない山歩きです 。 秦野駅-浅間山-権現山-弘法山-吾妻山−弘法の里湯-鶴巻温泉 ![]() |
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■8:06 小田急江ノ島線長後駅のホームからの富士山。ここで富士山の見え方がわかります。快晴の空に、鮮明な富士山がいます。弘法山までこのまま鮮明で雲が無い富士山でいてくださいと、木花開耶姫にお願いします。 小田急江ノ島線は、藤沢駅から大和駅の間で富士山が見られます。六会日大前駅から江ノ島側に少し進んだ所が最高の富士山展望地点で、富士山全容が見られます。大和駅から、富士山は大山の後ろに隠れていきます。藤沢駅から江ノ島駅の間は観察不十分のため不明。 ![]() ■9:16 秦野駅北口の二階から、大山が見えます。富士山は画面の左側にいます。 秦野駅からは、蓑毛-ヤビツ峠行きのバスが出ています。ヤビツ峠は塔ノ岳の表尾根登山、大山登山の出発点です。蓑毛からは大山へ登ります。 ![]() ■9:17 秦野駅北口の横断歩道を渡ると「かながわの橋100選」に選定されている「まほろば大橋」に差し掛かります。橋の中央部分には、高さ10mの時計台がそびえており、まほろば大橋のシンボルとして親しまれています。 この異国の雰囲気がある時計台を見ながら進みます。 ![]() ![]() ■9:37 20分ほどで弘法山登山口に到着。 ![]() ■9:37 行き先表示板に、本日の予定地が記載されています。 弘法山公園入口→浅間山→権現山→弘法山→吾妻山→(弘法の里湯)→鶴巻温泉駅。 ![]() ■9:44 上る途中から、枝の奥に富士山が見えてきました。 ![]() ■9:53 浅間山到着。 弘法山公園入口の表示板では、浅間山から権現山までは0.4kmでしたが、ここの表示板では0.3kmです。 ![]() ■9:54 弘法山公園浅間山からの富士山。 ![]() ■9:56 浅間山の東屋。 ![]() ■9:57 春を告げる水仙。 ![]() ■9:59 浅間山の駐車場近くを歩く。 ![]() ■10:00 富士山が見えてきました。 ![]() ■10:00 浅間山駐車場近くの車道からの富士山。 ![]() ■10:05 富士山の右側に丹沢山との山並みが続きます。右端は檜岳です。 ![]() ■10:05 元の道に戻り、権現山に向けて山道を登ります。 ![]() 弘法山公園権現山山頂
■10:13 権現山山頂です。この写真は権現山展望台に上った後で撮影したものですが、山頂の権現山展望台と富士山の位置関係を示すために載せました。 浅間山から登ってくると、展望台の奥のほうに着きます。それから、展望台に上がりました。 展望台の左の木は桜ですので、時期を選び、幸運に恵まれると、「権現山展望台と富士山と満開の桜」が撮影できます。 ![]() ■10:15 弘法山公園権現山展望台からの富士山がいる大展望。 富士山は、松田山と三国山稜の上にいます。富士山の右側には、高松山、鍋割山、の丹沢山地、左側には金時山、神山などの箱根山地、相模湾が続きます。 ■10:15 弘法山公園権現山展望台からの富士山(1) 秦野の市街地を前景とした堂々とした富士山です。 ■10:15 弘法山公園権現山展望台からの富士山(2) 富士山の左側に、「私たちは富士山展望のための山です」といって、頭ひとつ飛び出した矢倉岳と金時山がいます。 ■10:17 弘法山公園権現山展望台からの富士山(3) 小富士の冠雪部が実に良い位置にいます。 ■10:17 弘法山公園権現山展望台からの富士山(4) 壁紙用(1920*1200) 松田山の山頂部付近はゴルフ場になっています。 ■10:18 弘法山公園権現山展望台からの富士山(5) 宝永山右下の冠雪部が、標高が低い所まで広がっています。これは、宝永山噴火のときに降りそそいだスコリアにより森林限界が低くなったためです。 ■10:18 弘法山公園権現山展望台からの富士山(6) 雪の肌が美しい。 「雪の肌」は大辞林では「雪のように白くて美しい女性の肌。雪肌 」。ここでは、富士山を女性として鑑賞してます。 ![]() ■10:19 富士山の撮影を終えて一息入れています。 ![]() ■10:22 弘法山公園権現山展望台から、富士山の右側の大山方面。 ![]() ■10:24 弘法山公園権現山展望台からの富士山から、左側の小田原市街地。 ![]() ■10:25 権現山展望台から下りて、展望台と富士山を眺めます。 ![]() ■10:26 権現山展望台横からの富士山と箱根山と相模湾。展望台から8mほど低いところでは、市街地が樹木の奥に隠れて、違った風景になります。 ■10:29 権現山展望台横からの富士山と箱根山 ■10:30 権現山展望台横からの富士山 ![]() ■10:54 大岩を直角に4個に分断したモニュメント。中央に、方位盤があります。 ![]() ■10:55 権現山の山頂広場。奥に平和の塔。 ![]() ■10:55 「かながわの探鳥地50選・権現山」の表示板。 ![]() 広場の奥に野鳥観察コーナーがあります。水場の野鳥が気がつかないように、窓から観察、撮影します。 この写真は2018.3.24撮影ですが、このときは残念ながら野鳥いませんでした。 ![]() ■10:56 権現山の山頂広場の平和塔。 ![]() ■11:04 弘法山へ進みます。 ![]() ■11:12 弘法山山頂に着きました。弘法山は標高235mで、権現山は標高243mです。しかし山一帯の名称は弘法山公園になっています。弘法大師のおかげです。 ![]() ■11:12 山頂部は広場になっており、左側に釈迦堂があります。 ![]() ■11:13 井戸の小屋から、釈迦堂を見る。 ![]() ■11:15 相棒さんが釈迦堂でのお参りを終えました。 ![]() ■11:15 木造の弘法大師像です。 「弘法山と釈迦堂」 弘法山は弘法大師が山頂で修行したことから名づけられたとの伝承があります。 この弘法山は麓の龍法寺と深い関わりがあるといわれます。龍法寺は戦国期に真言宗から曹洞宗に変わりましたが、鐘楼の下に続く沢を真言沢といい、その名残があります。 江戸時代に龍法寺の僧 馨岳永芳(けいがくえいほう)が、釈迦如来像と弘法大師像を祀った釈迦堂としたのが始まりです。1766年(明和3年)の火災で釈迦像が焼失し、石造りであった弘法大師像だけが残りました。その後、弘法大師像は現在の木像になり堂は再建されましたが、釈迦像は安置されませんでした。現在の釈迦堂は1964年(昭和39年)に建設されました。(秦野市観光観光協会・弘法山公園散策マップより) ![]() ■11:19 弘法山からの富士山。樹木の奥に見えます。 ![]() ■11:19 富士山の下のV字の山並みが、富士山の中央に来てます。 ![]() ■11:20 弘法山出発 ■11:28 弘法山から吾妻山へ行く道の左にあるわき道で丹沢山地と富士山が見渡せる展望地がありました。 富士山の左側に丹沢野山が、高松山から大山まで続いています。 ■11:29 弘法山付近のわき道からの富士山がいる大展望。 ■11:29 弘法山付近のわき道からの富士山。 ![]() ■11:51 弘法山付近のわき道からの富士山。ここで30分ほど富士山展望を楽しむ。 ![]() ■11:51 弘法山付近のわき道からの富士山山頂部。 ![]() ■12:00 めんようの里の木里館でジンギスカンが食べられますが、今回は吾妻山へ進みます。 ![]() ■12:08 木の幹に「サル出没中 注意!!」の表示板があります。 ![]() ■12:11 善波峠です。ここから大山にいけます。 ![]() ■12:16 大山へは行かず、吾妻山へ進みます。 ![]() ■12:39 吾妻山山頂です。 ![]() ■12:39 吾妻山山頂。吾妻神社の石碑。 ![]() ■12:40 吾妻山(あずまやま)は日本武尊(やまとたけるのみこと)が妻の弟橘比売(おとたちばなひめ)を偲び、「あずま・はや」と詠まれた場所と表示板に書いてあります。 「あずま・はや」の意味、「はや」は詠嘆の意を表す語とすると「ああ、我妻よ」。 「あずま・はや」と詠んだ候補地はこの吾妻山以外にもあり、次の三箇所が有力です。 弟橘媛を忘れられない日本武尊は、『日本書紀』では碓日の嶺、『古事記』によれば足柄の坂本で、「吾妻はや」と嘆いた。(弟橘媛のLINEスタンプ作成ならスタンプファクトリー (stampfactory.net)) 三番目は、この吾妻山の南にある二ノ宮町の同じ名前の吾妻山です。この吾妻山の公園の中に弟橘比売と日本武尊を祭神とする吾妻神社があり、下記の表示板と同じ説明があります。 さらにこの「あずま」には、次の説もあります。「東(あずま)」は「吾妻(あずま)」です。 日本の東部を「あずま」と呼ぶのは、この故事にちなむという。いわゆる「地名起源説話」である」(ウィキペディア) ![]() ■12:40 吾妻山から相模湾を眺める。 ![]()
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