■8:00 小田急江ノ島線湘南台駅出発。
■8:28-33 JR横須賀線北鎌倉駅着、出発。
■(9:17) 「■」の記載は、明月院から天園へ登る道順を示すため2016.12.21の画像を使いました。その時は北鎌倉駅9:01出発です。
行き先表示板に従い、明月院に向けて川沿いの道を進みます
■(9:19) 明月院入口です。ここから365歩先にある喫茶「笛」の看板が見えます。左へ進みます。
■(9:22) 喫茶「笛」を通り進むと白塀がある道が出てきます。そこに「天園ハイキングコース→」の地味な行き先表示板が有ります。そこで右の坂道を登ります。
■(9:29) 坂道を登り切って上に登ると、天園には行けません。坂道の途中で左の道に行くところに「半蔵坊 天園 ハイキングコース」の表示板が有ります。
今回2023.2.6の時は、この表示板か否か不明な、文字の読めない表示板が有りました。
■(9:31) 登っていくと茶屋が出てきます。この左側の道が、天園ハイキングコースです
■9:17 勝上獄展望台到着。北鎌倉駅から44分です。霞んでいるため、画像ではよくわかりませんが、階段奥に富士山が見えます。
2016年には、この階段下の建長寺側に木材で作った四角いの展望台が有り、そこでゆったりと富士山展望を楽しめました。
2017.12.06に来た時に、ここの工事が行われていて立派な展望広場ができると思いましたが、階段ができただけで、展望台は消えました。少し残念です。階段上の奥に富士山展望広場ができることを期待します。
■9:17 勝上獄展望台からの富士山。
■9:14 勝上獄展望台からの富士山と箱根の山
■9:14 箱根、伊豆半島の左側には相模湾
■9:15 勝上獄展望台からの富士山。壁紙用。

富士山眺めて珈琲タイム
勝上獄展望台の読み方について
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「勝上嶽展望台」の表示板が有ります。「勝上嶽」を素直に読むと「しょうじょうだけ」となります。「富嶽三十六景」も「ふがくさんじゅうろっけい」です。
漢字辞典辞典でも「がく」「たけ」です。
「嶽」
音読み ガク、 訓読み たけ
意味:たけ。大きな山。高い山。妻の父母を敬っていうときのに用いる語。
異体字:岳
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2017年除去された四角の展望台の表示板には「勝上献(巘)」と書かれていました。しかし、こちらの当て字は「献」です。
この展望台は建長寺の敷地内にあったと思われますが、建長寺には 「勝上嶽:しょうじょうだけ」という場所はにはありません。
建長寺内の行き先表示板には、次のように各種文字が使われています。
以下、稀少地名漢字リスト - 神奈川県鎌倉市 勝上けんの画像、表記に従って記載しました。
建長寺内の明治三十二年建立の道標に次の文字が有ります
「巚」は「巘」の異字体で「ケン」「ゲン」と読みます。

漢字「巘」の部首・画数・読み方・意味など (jitenon.jp)
その他、
勝上嶽展望台
SHOJOKEN Observaory
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しょうじょうけん
建長寺 勝上巘展望台
この上の勝上献展望台まで建長寺境内です(張り紙)
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建長寺勝上けん展望台
SHOJYOKEN observatory
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今回登った「勝上嶽展望台」の立て札は、「しょうじょうけんてんぼうだい」と読んでほしいようです。
「嶽」は山の意味からの「巘」の当て字として書いたようです。また、「献」は「けん」の音からの当て字です。
県道21号沿いの道標(明治廿六年九月十七日の銘)、北鎌倉駅前の案内図、横浜市栄区作成の天園ハイキングコースの案内板には山冠に献を付けた字「 」で記載している。漢字辞典には載っていないので鎌倉地域での創作漢字と思われる。(今は新しい案内図になっているようです)
勝上
SHOJYOKEN observatory
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横浜市栄区作成の天園ハイキングコースの案内板 |
以上から次の様になります。
建長寺境内には「勝上巘(しょうじょうけん)」=「勝上巚」という小山がある。
しかし、「巘」、「巚」は現在一般には使われていない漢字のため、次のような当て字、かな文字が使われた。読みは「しょうじょうけん」です。
「勝上嶽」、「勝上献」、「勝上けん」、「勝上 」
ネットでは「勝上嶽展望台」と「勝上献展望台」がほぼ半々で使われています。Googlemapでは「勝上献展望台」。
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■9:28 十王岩(じゅうおういわ)が見えます。
■9:30 十王岩です。
十王岩には、如意輪観音、地蔵菩薩、閻魔大王の三体の像が彫られています。
十王は、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官的な尊格です。そのうちの三王が彫られているので十王岩か。。
■(2017.12.06 11:19撮影) 十王岩から鎌倉市街と相模湾。その中央に由比ガ浜から鶴岡八幡宮に向かって延びる若宮大路のまっすぐな道があります。
■9:48 十王岩から天園ハイキングコースを進みます。。
■10:03 大平山 海抜159.2m 鎌倉市最高地点 到着。
■9:45 大平山下広場からの大平山山頂。
■9:45 大平山下広場からの鎌倉市街と駿河湾。
■10:08 天園ハイキングコースの大平山下の広場からの富士山。
■10:10 天園ハイキングコースの大平山下の広場。周囲の樹木が伐採されて富士山の展望はよくなりました。昼飯を食べる団らんの広場の雰囲気はなくなりました。
■10:10 天園ハイキングコースの大平山下の広場からの富士山。
■(2016.12.21 10:43撮影) 大平山下の広場の周囲は樹木で囲まれていました。そこは、昼飯を食べる絶好の広場でした。
富士山は樹木の隙間から眺めました。左側は鎌倉カントリークラブのゴルフ場です。
■10:21 天園に到着。この付近の道路は、長年にわたり峠の茶屋のテーブル や椅子等で占用されていましたが、平成 28 年に撤去さ れ、横浜市栄区設置の「天園」の表示板が設置されました。
「天園」という名前は、東郷平八郎が「天国の園に遊ぶよう」と形容したことに由来していると言われ、彼の別荘名とされる「日源荘」の石碑も残っています
■(2016.1.07 10:30撮影) 同じ場所に「六国峠 (天園)」の表示板が有り、峠も茶屋が有りました。
■(2016.12.21 10:58撮影) 峠の茶屋が2016.5.8に閉店して、「六国峠 (天園)」の表示板残った。
その看板が横浜市栄区設置の「天園」の表示板に変わった。
伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総の六ヵ国を眺望できたので六国峠。時代と共に地名は変わっていきます。
金沢文庫駅からこの六国峠を経由して鎌倉駅までを六国峠ハイキングコースといいます。
広場が有ります。峠の茶屋跡か。
■10:25 天園広場の樹木の間から富士山が見えます。
■10:36 天園広場から鎌倉市と相模湾。
■10:21 天園広場の奥に「横浜市内最高地点」の表示板。
最高地点の表示板が二つ
①大平山 海抜159.2m 鎌倉市最高地点

②「横浜市内最高地点 栄区上郷町 海面からの距離:159.4m 最高地点は「太平山の尾根沿いのこの付近」
設置:栄区役所

尚、横浜市最高峰のは大丸山です。山頂に「横浜市最高峰 大丸山 156.8m」の表示柱が有ります。
」
表示板をまとめると、をまとめると
❶鎌倉市の最高峰は大平山山頂159.2mで、鎌倉市の最高地点。
❷横浜市の最高峰は大丸山156.8mで、横浜市の最高地点は天園近くの鎌倉市の大平山159.2mの尾根沿いにある横浜市栄区上郷の159.4mの地点です。
❸天園ハイキングコースの最高地点は天園近くの鎌倉市栄区上郷の大平山159.2mの尾根沿いにある横浜市の159.4mの地点です。
しかし、更にネットで調べると、以下の有力な説がある。
「何故、大平山山頂159.2mが大平山尾根沿いの横浜市栄区の159.4mより、低いかというと、1963年にゴルフクラブの駐車場増設の際、この大平山が削られ160.5mから159.2mとなったためです。
また、峠の茶屋跡(2016年に撤去された)に横浜市の最高地点の表示板があるが、この表示板の地点を鎌倉市と横浜市の市境が通り、鎌倉市の最高地点も現在ではこの地点の159.4mにあると考えられる。」
『横浜市最高地点と鎌倉市最高峰』戸塚・いずみ野・港南台(神奈川県)の旅行記・ブログ by ドクターキムルさん【フォートラベル】 (4travel.jp)の詳しい検討、記載から。
その場合
①大平山山頂の表示板の「鎌倉市の最高地点」の記載を削除し、②「横浜市内最高地点」の表示板と同じ場所に、「鎌倉市の最高地点」の表示板を設置しなければなりません。
大平山山頂をどこにするかという問題は残ります。辞書にあるように「山頂:山の一番高い所」とすると、大平山の山頂は横浜市栄区上郷の159.4mの地点になります。 |
■10:46 天園広場から少し行って下ると、獅子舞経由鎌倉宮の表示板が有ります。まっすぐ行くと瑞泉寺経由鎌倉宮です。天園のハイキングコース地図には、何故か獅子舞経由鎌倉宮の案内が載っていません。
右の道へ進み、獅子舞へ下ります
■10:52 獅子岩です。何処が獅子に似ているか不明。
■ この獅子舞の道は12月まで紅葉が見られることで有名です。この時は2月ですので、樹木に囲まれた山道を下ります。
。
■10:56 、ヤマガラが木の凹部から挨拶してくれました。小さな小鳥にも色々な表情が有ります、。
ヤマガラ
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ヤマガラ(山雀)は、スズメ目シジュウカラ科ヤマガラ属に分類。
全長13 - 15センチメートル。頭部は黒い羽毛で被われ、額から頬、後頸部にかけて明色斑が入る。下嘴基部(腮)から胸部にかけて黒い帯模様が入る。尾羽の色彩は黒褐色。初列風切や次列風切の色彩は黒褐色で、羽毛の外縁(羽縁)は青みがかった灰色。雨覆や三列風切の色彩は青みがかった灰色。
食性は雑食で、昆虫、クモ、果実などを足でおさえながら食べる。主に樹上で採食し夏季は主に動物質を、冬季は主に果実を食べる。堅い果実は後肢で挟み、嘴でこじ開けて中身を食べる。また地中や樹皮の隙間などに果実を蓄える事(貯食)もある
嘴の色彩は黒い。後肢の色彩は青みがかった灰色。卵は白い殻で覆われ、淡褐色や青みがかった灰色の斑点が入る。
ヤマガラ - Wikipediaより引用 |
ヤマガラの表情三種



■11:12-11:30 永福寺跡を見学して鎌倉宮へ(2017.12.06撮影)
永福寺跡
ヤ鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つであった。
源頼朝は文治5年(1189年)9月の奥州合戦を契機に、数多の戦を供養し源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊・英霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手した。造立責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されている。建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われた。
応永12年(1405年)の火災ののち廃絶した。
発掘調査が1983年(昭和58年)から開始され、2007年(平成19年)以降復元整備工事に着手し、2017年(平成29年)6月、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂などの基壇(基礎)と苑池の復元が完了し、公開された。
永福寺跡 - Wikipediaより引用 |
■11:50 鎌倉宮到着
鎌倉宮の祭神は後醍醐天皇皇子の護良親王。護良親王は、後醍醐天皇の皇子で父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現したが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、建武2年(1335年)の中先代の乱の混乱の中で尊氏の弟の直義の命で、家来である淵辺義博によって殺害された。鎌倉宮 - Wikipedia
■12:15 鶴岡八幡宮、小町通りを経て鎌倉駅
■12:26 JR横須賀線鎌倉駅発。藤沢駅を経由して湘南台へ。
■13:03 小田急江ノ島線湘南台駅到着。
END
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