シダンゴ山からの富士山と広重「平塚・縄手道の富士山」


  
  


1 丹沢山地南部のジダンゴ山

2 シダンゴ山と広重「平塚・縄手道 」

3 「平塚・縄手道」の富士山・大山







3 「平塚・縄手道」の富士山・大山


(1)安藤広重の東海道五十三次「平塚・縄手道」の富士山、実際にはどのように見えるか。



安藤広重の東海道五十三次7「平塚・縄手道 」(保永堂版 1833年 - 1834年)



東海道五十三次「平塚・縄手道」のように
片側を切り取った富士山は珍しく、安藤広重の他の作品や、葛飾北斎の「富嶽三十六景」にもありません。

では、この「平塚・縄手道」の富士山は実際には、どのように見えたのでしょうか。カシミールで調べると平塚市の高麗山(こまやま)の横にある花水橋から少し離れた「東海道平塚宿」記念石碑付近に展望地があるようです


高麗山は富士山展望の山である湘南平とつながった山で、名称は高句麗(中国東北部から朝鮮半島北部にわたる地域)からの渡来人に由来するそうです。



平塚市の「東海道平塚宿」記念石碑付近にある展望地からのシバード画像


平塚市花水橋近くからの富士山(カシミールで作成)


上のカシバード画像の視点

上のカシバード画像の視点




湘南平を登った帰り道に、現在、実際に片側の富士山が見えるかどうか。花水橋付近を探索しました。
花水橋の向かい側の道にある「東海道平塚宿」記念石碑がある近くの道から、広重の片側の富士山が見えました。もう少し右に寄れば富士山山頂部すべてが見えたと思います。

広重の「東海道五十三次」は司馬江漢の「東海道五十三次画帖」をまねて描いたといわれていますが、司馬江漢の「平塚」は構図も異なり、富士山が描かれていません。広重は実際にこの高麗山横の富士山を眺めて描いたと思います。



高麗山横の富士山



高麗山横の富士山


花水橋の右側へ行くと、左右のすそ野を持った立派な富士山と高麗山が見られます。しかし、広重は高麗山に寄り添う富士山に感動し「平塚・縄手道 」を描いたと思います。広重の富士山への愛情がこめられた傑作です。

しかし、東海道五十三次「平塚・縄手道」に描かれている大山は、「東海道平塚宿」記念石碑付近、花水橋付近から見えません。





花水橋の右側へ行くと、左右のすそ野を持った立派な富士山と高麗山



花水橋の右側へ行くと、左右のすそ野を持った立派な富士山





(2)安藤広重の東海道五十三次「平塚・縄手道」の大山はどこにある。

広重「東海道五十三次」保永堂版 「平塚 縄手道」の 富士山右側の角ばった山を大山と解説している記述が多い。 『東海道 八 五十三次之内 平塚(蔦吉版)』では右の山は「大山」と書いてあり、これから保永版の右側の山が大山であると判断します。真ん中と左の文字はよく読めませんが「富士山」、「高麗寺山」か



  東海道 八 五十三次之内 平塚

   歌川広重(初代) 『東海道 八 五十三次之内 平塚(蔦吉版)』 
   弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年 大きさ17.5×25cm

   東海道 八 五十三次之内 平塚(蔦吉版):神奈川県郷土資料アーカイブ




しかし、実際の大山はカシバード画像で見るように高麗山、富士山と、かなり離れたところに見えます。富士山と大山の間には、菰釣山、塔ノ岳、丹沢山があります。

ここで、風景画の浮世絵師広重は得意技を発揮して、著名な名所を一画面におさめ、その大小を自由に変えて描きます。


カシバード画像で見る富士山と大山


まず、高さだけ2倍にします。



高さだけ2倍




富士山を2倍の大きさにして、現在では著名な菰釣山、丹沢山(日本百名山)、塔ノ岳を除き、大山部分を切り抜き富士山にくっつけます。

江戸時代の名所三山、高麗山と富士山と大山が並びました
平塚宿の榜示杭がある道を前景に描きます。


江戸時代の名所三山、高麗山と富士山と大山が並びました



高麗山が二つの山のように見えるので、一山にして細部を描き加えます



東海道五十三次7「平塚・縄手道 」が完成します。

安藤広重の東海道五十三次7「平塚・縄手道 」(保永堂版 1833年 - 1834年)











蛇足の補足  




1 ジダンゴ山への道



小田急小田原線新松田駅からバスで高松山入口に行き、そこから登山道を歩き、250段の階段道を登ると、この行き先表示板がある。奥にある道が、高松山入り口から登ってきた道です。図の左側が高松山頂上、右側が「はなじょろ道・八丁・秦野峠」でこちら側にシダンゴ山があります。
今回は一度5分で高松山へ行き、それから、思った以上に長い時間(2時間50分)をかけてジダンゴ山へ行きました。


行き先表示板



虫沢古道に入り、シダンゴ山に行きます。ここで書かれている「ダルマ山」がどこにあるかわかりませんでした。
昭文社の山地図にもでてこない。「シダンゴ山」のまえにある「ダルマ沢ノ頭」を地元では「ダルマ山」というのか、
又は字数短縮のため「ダルマ山」にしたのか。地図には無い所に「ダルマ山」があるか否かは不明です。



シダンゴ山への行き先表示板






2 高松山と湘南平からの富士山


今回初めに登った高松山は素晴らしい冨士案展望地です


■2016.5.5 10:46 高松山からの富士山と愛鷹山。その左下には金時山、矢倉岳、鳥手山。



高松山からの富士山と愛鷹山。その左下には金時山、矢倉岳、鳥手山。




2013.12.29 10:28 高松山山頂からの富士山がいる大展望  ()
 澄み切った青空の下に、富士山、愛鷹山、箱根の山、相模湾、南アルプスのパノラマが広がります。息を呑む絶景です。




高松山山頂から 富士山がいる大展望 


拡大画像&山座同定  




湘南平からの富士山も見事です。


■2016.1.27 11:17 湘南平からの富士山。富士山横の丹沢山地の端の山が大山。



湘南平からの富士山



湘南平からの富士山のパノラマ図





2 北斎も富士山と大山を並べて描きます



葛飾北斎の富嶽三十六景に「相州仲原」があります。仲原は、信仰の山・大山への参詣道の入り口でもありました。手前の板橋脇に道標が建てられています。その上部には、大山寺の本尊である不動明王が飾られています。富士山右下の山は「大山」という解説がほとんどです。




葛飾北斎 富嶽三十六景 相州仲原

葛飾北斎 富嶽三十六景 相州仲原 1831-34年(天保2-5年)版行

富嶽三十六景 相州仲原 - Wikipediaから引用



しかし、平塚中原から眺めると、丹沢山地の大山は富士山から離れたところにあります。




の大山は富士山から離れたところにあります









「相州中原」のように富士山の横に大山が見えるのは、小田急江ノ島線の高座渋谷駅と桜ヶ丘駅の間です。



 相州中原」のように富士山の横に大山


江戸の浮世絵師はその頃の二大観光地である富士山と大山を並べて描く事がわかりました。


「相州中原」にはそのほかに二つの謎があります。

①季節は夏と思われるが、冨士の冠雪は1-5月頃の状態。
②富士山の異様に伸びる左すそ野は何を意味するか




シダンゴ山からの富士山と広重「平塚・縄手道の富士山」 完











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