権現山、百蔵山、扇山は、俗に北都留三山とよばれており、権現山はその山体の大きさから、その盟主とされています。その盟主の権現山には2011年5月2日に初戸〜雨降山〜権現山〜不老山〜不老下コースで登ったが、天候が悪く富士山は見ることができなかった。天気図から快晴の日を予測して、2回目の挑戦です。    

不思議なことに、三ッ森北峰は富士山展望の案内書、インターネットサイトでは紹介されていません。また、大月秀麗富嶽12景、山梨百名山にも選ばれておりません。サイト「あの空の下で会おう」の「 2010-12-11 権現山」で、その素晴らしい富士山の景観を見たので、権現山登山のコースに加えた。大正解でした。






■今回のコース

猿橋(8:18)-バス540円-浅川停(8:50-8:54)-浅川峠(9:30-9:37)-権現山(10:53-11:10)
-麻生山(11:58-12:06)尾名手峠(12:22)三ッ森北峰(12:46-14:09)杉平入口停(15:55-16:12)
-バス440円-猿橋(16:37)




  権現山・三ッ森北峰と富士山の地図 
登山コース
時刻
小田急江ノ島線
長後駅
6:12
中央線猿橋駅
 バス
8:08
8:18
浅川バス停
 600m
8:50
8:54
浅川峠
 867m
9:30
9:37
権現山
 1312m
10:53
11:10
麻生山
 1267m
11:58
12:06
尾名手峠
 
12:22
三森北峰
 1240m
12:46
14:09
杉平入口バス停
 414m
15:55
16:12
中央線猿橋駅
 
16:37
17:10
小田急線町田
で買い物
長後駅 19:18





権現山・三ッ森北峰と富士山(姥子山から)







権現山・三ッ森北峰の山歩き記   2012年3月29日(木)



■6:12 小田急江ノ島線長後駅発


■8:08-8:18 猿橋駅からバス



猿橋駅からバス




■8:50-8:54 浅川バス停到着-出発



浅川バス停




■9:30 浅川峠到着。ここから尾根を南に直登すれば50分で扇山に到着します。



浅川峠




■9:37 北の権現山に向けて浅川峠出発。



浅川峠出発




■9:42 山道を進みます。



山道を進む




■9:46 振返ると樹木の間から富士山が見えます。権現山の山頂まで枝が常に富士山展望の邪魔をします。



樹木の間から富士山




■9:48 3月末ですが山道の樹木に葉は芽吹いていません。



  山道の樹木




■10:01 山道を進みます。



山道を進みます




■10:02 振返ると枝のむこうに富士山。



振返ると枝のむこうに富士山




■10:11 山道を進みます。



山道を進みます




■10:19 上空には青い空、快晴です。



  青い空、快晴




■10:25 枝が邪魔をしても、富士山を眺めながらの山登りは楽しい。



富士山を眺めながらの山登りは楽しい




■10:33 この時私はカメラを持っていませんので、この山歩きの写真はすべて相棒さんが撮影。しかし、相棒さんが何故この写真を撮ったかは不明。



相棒さんが撮影した意味不明の写真




■10:46 浅川峠・権現山・麻生山の分岐。尾根道に出ました。



浅川峠・権現山・麻生山の分岐の表示板




■10:46 分岐でも、富士山の前には樹木がいっぱい。まず権現山へ進みます。



分岐でも、富士山の前には樹木






権現山山頂(1312m)





■10:53 分岐から7分で権現山山頂に到着。



  権現山山頂(1311m)




■10:53 樹木を伐採して展望地を作ってある。しかし、この時点では、樹木が生長してかなり視界が限定されている。



樹木を伐採した展望地




■10:53 権現山山頂からの富士山。もうすこし樹木を伐採してくれたら、富士みちと富士山の絶景の展望地になると思います。



権現山山頂からの富士山




■10:53 権現山山頂からの富士山。 



権現山山頂からの富士山





■10:54 権現山山頂からの富士山。壁紙用。



権現山山頂からの富士山 壁髪用画像にリンク


(1920*1200)




■10:54 権現山山頂からの富士山山頂部。



  権現山山頂からの富士山山頂部




■10:58 権現山山頂から北側の山。
右側手前の一番高い山が三頭山、その後ろの山で一番高く画面中央にあるのが雲取山。その左側に、大洞山、唐松尾山。



権現山山頂から北側の山




■10:59 権現山山頂から北側の山。



権現山山頂から北側の山







 富士山眺めて休憩 11:04-11:10 
 



富士山眺めて休憩





権現山という山名の多くは、山中に権現が祀られていることに由来するものが多く、全国各地に多くの権現山がある。北都留三山の権現山も、山頂下に山名の由来になった大勢籠(おおむれ)権現を祀る祠があります。 


    大勢籠(おおむれ)権現を祀る祠


2011年5月2日の登山時に撮影


 富士山展望の権現山は、他に二山ある。

 ・権現山 (丹沢 世附) - 神奈川県足柄上郡山北町世附にある山。標高1,019m。ごんげんやま。
  畦ヶ丸の東に位置する権現山と区別するために、世附権現山(よづくごんげんやま)とも呼ばれている。
 ・権現山 (秦野市) - 神奈川県秦野市の弘法山公園にある。標高244m。ごんげんやま。


ごん‐げん【権現】

1 仏・菩薩ぼさつが人々を救うため、仮の姿をとって現れること。
2 仏・菩薩の垂迹すいじゃくとして化身して現れた日本の神。本地垂迹説による。熊野権現・金毘羅こんぴら権現などの類。
3 仏・菩薩にならって称した神号。東照大権現(徳川家康)の類。

デジタル大辞泉 権現(ごんげん)とは? - コトバンクより引用

 









■11:10 権現山から出発



権現山から出発




■11:15 分岐を超えて、尾根道を進む。



分岐を超えて、尾根道を進む




■11:38 雪が残ってます。



雪が残ってます




■11:58 麻生山山頂。



麻生山山頂  




■11:59 麻生山山頂の見晴らしは、樹木が多く良くない。



麻生山山頂の見晴らしは、樹木が多く良くない




■12:11 「麻生山北峰」の表示板。この場所が「麻生山北峰」なのか、左に進むと「麻生山北峰」なのかは不明。麻生山に北峰があるのかも不明。
昭文社の12年度版の地図に「麻生山の標識あり」の記載がある場所がここのようです。



「麻生山北峰」の表示板



■12:12 「麻生山北峰」の表示板からの富士山。富士みちと富士山がほぼ見えています。両側の枝を伐採してくれると、立派な富士山展望地になります。



「麻生山北峰」の表示板からの富士山




■12:22 尾名手峠到着



尾名手峠




■12:27 この辺りから岩場が多くなり、花は咲いていませんが、イワカガミの群生が見られます。



  イワカガミの葉の群生




■12:30 岩場の下り。



岩場の下り




■12:31 岩場の上り。



岩場の上り



■12:32 岩場の尾根道を進む。



岩場の尾根道を進む




■12:33 岩場を登る。



岩場を登る










三ッ森北峰山頂(1240m)






■12:46 三ッ森北峰。大月市の表示板。



三ッ森北峰の表示板




  

■12:46 三ッ森北峰の謎の鏡。自分を写す勇気はありません。



三ッ森北峰の表示板と謎の鏡





■12:47 三ッ森北峰山頂からの富士山がいる大展望 

頂上からのこの景観を眺めたとき、まず「ウウ〜ム」とうなり、「凄いね、素晴らしい・・・」と相棒さんに声をかけます。声に出してみたいだけで、返答は期待しませんが、「素晴らしいネ」と返答がくる。山登りでしか得られない富士山展望の感動が、三ッ森北峰にあります。

富士山の左に丹沢、道志の山、中央本線沿いの山、中央に富士みち周辺の山、右に御坂山地、大菩薩連嶺、それらの山すそが大海の荒波のように、幾重にも重なりながら、富士山に向かい押し寄せていきます。しかも、その中央に、富士山への開かれた道があります。富士山のすそ野の富士吉田市から大月までの富士みちの平坦部が見えます。更に、大月から古富士みちの平坦部が山すそに一部隠れながらが41km離れた三ッ森北峰まで続いています。富士山が、この道を歩いて頂上まで登っておいでと語りかけているようです。

このような変化に富んだ大展望は三ッ森北峰でしか見られません。是非、拡大画面でご覧ください。



三ッ森北峰山頂からの富士山がいる大展望







■12:47 三ッ森北峰山頂からの富士山

左右の山々のすそ野の流れを追う視線は三ッ森北峰の麓から大月市を経て富士吉田市にたどり着き、その上に白い富士の峰があります。
変化に富んだ景観ですが、全体の雰囲気は静寂です。また、1時間ほどの間、山頂は私たちだけでした。



三ッ森北峰山頂からの富士山




■12:47 三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みち、古富士みちを中央にして(1)。



三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みち、古富士みちを中央にして




■12:47 三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みち、古富士みちを中央にして(2)。



三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みち、古富士みちを中央にして


1920*1200



■12:47  三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みちを中央にして 

幾重にも重なり合う山すそは素敵だが、少ししつこい」と思う方には、画面左前方に位置する百蔵山からの展望をお薦めします。古富士道を抜かし、甲州街道と富士みちと富士山の展望で、このような景観になります。。



三ッ森北峰から、富士山に向かう富士みちを中央にして






      富士山眺めておにぎりの時間 12:50-14:09      



(1)山の名前:三ッ森北峰(みつもりほっぽう)について


山頂には、「北峰」の表示板しかありません。「北峰山頂」の大月市の表示板と「北峰 1202m」の手作りの表示板。

大月市の「北峰」の表示板  「北峰 1202m」の手作りの表示板と鏡

2012.3.29              2013..5.160

しかし、昭文社の地図、ヤマレコでは「三ッ森北峰」と記載している。また「悠遊趣味>山名由来>北峰」では文献などに基づき、「三ッ森北峰」が正しい山名と考察している。

通常は管理する市の表示板を優先するが、上記考察から、この山に関しては、「三ッ森北峰」を採用した。

●昭文社、山と高原地図27 高尾・陣馬(2012)の表記:「三ッ森北峰」。 山を示す▲印が無く、標高の表示もありません。

ヤマレコ山のデータの表記:「三ッ森北峰(みつもりほっぽう)/郡内鋸岳」 標高1202m
  別名:三ツ森、三ツモリ、ミツモリ北峰、鋸山、郡内鋸岳、虎挟山、三ツ森ノ頭、西峰
 *2023.9.3には「標高1240mに変更されています。


●悠遊趣味>山名由来>北峰
 大月市の山頂表示板により北峰としているが、多くの文献、現地調査に基づき「三ツ森北峰」が正しい山名と考察している。
・三ツ森は、北峰の南側三つのピークのことを指し、正確をきすならば、北峰を三ツ森と唱えるのは少々おかしいと思われる。 本来は三ツ森の北に位置する峰ということで、三ツ森北峰が正しく、・・・
・朝鮮では又、頭のことをモーリ或いはモリという、恐らく山の古名モリと同じ語で、頭にも山にも通じて用いられたものであろう。(森は当て字で山、頭を示すようである)
・2005年の山頂には表示板2個
 「北峰1204M(横棒二本で消して1240M」
 「郡内鋸岳 北峰 (三ツ森)」 
 *山頂の謎の鏡は、写っていない、まだなかったか
*2023..9.3にはこのサイトがないようです。貴重な記述ですのでこのまま掲載します。


*2022年には「三ツ森北峰 一二四m」」の表示板があります。設置者は不明です。
扇山から権現山へ  - 2022.04.19(火) - 山と溪谷オンライン


*2023年、大月市HPの「素晴らしき大月の山々」では、三森北峰になっています。
subarashiki_otsukinoyamayama.pdf



(2)富士講と富士みちと旧富士みち


・富士講

 室町時代の後期には、すでに多くの人々が富士山へ登拝しており、修行者以外の一般の登山者を「富士道者」と呼んでいました。この頃の修行者のひとり、長谷川角行は、独自の教えを開きました。彼の教えは、江戸時代になって弟子たちによって広められ、後に富士山を信仰する富士講に組織化されて江戸庶民の暮らしに深く浸透していきました。

 食行身禄の入定(宗教的な自殺)をきっかけに、江戸において信仰者が急増して弟子たちは講祖となって独立していきます。組織化された集団は、枝分かれして広まり、江戸末期には江戸八百八講といわれるほど隆盛を極めました。


・富士道

富士山を信仰し、登山する人々は全国に存在しました。その中で、北口の吉田(富士吉田市上吉田)を目指してやってくるのは、主に江戸(東京)を中心とした関東地方の人々です。江戸から吉田までの道筋は、甲州街道を西に進んで大月宿(大月市)で分岐し、谷村(都留市)から上吉田に至る「富士道」を通るのが一般的でした。上吉田の入口には、登山改役所と金鳥居が設けられ、大きな目印となっています。


・古富士道

富士山への登山口は、大宮口、須山口、須走口、そして吉田口があるが、吉田口は標高が高いために、多くの登拝者が集中した。縄文時代の遺跡からは、富士信仰の祭場とも推測される大環状列石が発掘されており、富士信仰は縄文時代にはあったと思われる。富士講は室町時代に源を発し、江戸時代中期に隆盛をきわめた。
 武蔵の富士講の人々は、江戸時代に、小仏峠が開削され甲州街道が整備されてからは、大月より桂川右岸(東側)を吉田口へと向かった(富士道・谷村路)。それ以前は、古甲州道を歩き、小菅白沢の分岐にて南下し、岩殿山の北側を巻き、笹子川を渡り、桂川左岸(西側)を経て、現在の東桂付近にて、その後の谷村路の道筋に合流した。この道は、江戸時代以降も、秩父方面からの富士講の道としても利用され、秩父大道とも呼ばれた(古富士道・秩父大道)



「富士道」は、現在「富士みち 」( 137号線の金鳥居交差点〜上宿交差点)となっている。












■14:10 三ッ森北峰出発。鋸尾根を下る。


■14:46 鋸尾根下りで休憩。



鋸尾根下りで休憩




■14:56 休憩終了して出発



休憩終了して出発




■15:13 山道の花



山道の花




■15:37 杉平の登山口からの富士山。



杉平の登山口からの富士山




■15:37 杉平の登山口から茶畑。



杉平の登山口から茶畑





■15:38 杉平の登山口。



杉平の登山口




■15:41 杉平バス停に進む。



杉平バス停に進む




■15:57 杉平バス停到着


杉平バス停




■16:12-16:37 杉平バス停から猿橋駅までバス



杉平バス停から猿橋駅までバス




■16:37-17:10 中央本線猿橋駅発


■小田急線町田で買い物


■19:18 小田急線長後駅


END











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