湘南平の山歩き記  2015年1月20日(火)

  
今回のコース 

大磯駅から湘南平に45分で登り、展望台から富士山の大展望を眺め、高麗山への山道歩きを楽しんだ。

その後、花水橋周辺で広重の「東海道五十三次 平塚」に出てくる高麗山に寄り添う富士山の見える場所探しを行った。「平塚宿京方見附跡」付近でその場所を見つけて、気分よく、平塚駅ビルで寿司を食べて帰宅。

登山コース
時刻
小田急江ノ島線
湘南台駅
8:14
JR東海道線
大磯駅
 25m
8:49
8:57
湘南平
 180m
9:42
10:19
高麗山
 168m
10:50
高来神社
 
11:12
11:15
花水橋
 
11:21
高麗大橋
11:28
11:35
花水橋
11:42
11:47
JR東海道線
平塚駅
17m
12:26
13:35
小田急江ノ島線
湘南台駅
14:19





湘南平の山歩き記   2015年1月20日(火)





■8:14 小田急江ノ島線湘南台駅発


■8:49-8:57 JR東海道線大磯駅着-発


■9:00 大磯駅から右の道路を進み、右のトンネルへ進みます。



大磯駅から右の道路を進み、右のトンネルへ進みます。




■9:16 道の右側に妙大寺。幕末-明治の医師松本良順(後に順に改名)の墓があります。大日本帝国陸軍初代軍医総監になった人です。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」の主人公。司馬遼太郎が描くと医師が主人公でも面白く、新潮文庫4巻を一気に読んでしまいます。



道の右側に妙大寺




■9:02 「右に行くと湘南平」の指示柱があります。ここから坂道で、一応湘南平179m登山の始まりです。



「右に行くと湘南平」




■9:07 坂道を右に曲がって登ります。坂道を登り切って振り返ると富士山が見えます。珍しく私の後に相棒さんがいます。



坂道を登り切って振り返ると富士山




■9:07 富士山の左に箱根の山、伊豆半島の山が続きます。すこし下の坂道では、相模湾も見えます。




富士山の左に箱根の山、伊豆半島の山




■9:09 「階段を上ると湘南平」の案内板。とても親切な案内板でこれに従って、頑張って進むと湘南平頂上まで行けます。




「階段を上ると湘南台」の案内板




■9:11 階段を上ると「高田保公園」があります。昭和20年(他では昭和23年)に東京日日新聞に連載された「ブラリひょうたん」が有名です。

墓碑の屛風石には、氏の言葉「海の色は日ざしで変わるが刻まれています。




階段を上ると「高田保公園」






■9:12 民家の横から見事な富士山。




民家の横から見事な富士山



民家の横から見事な富士山





■9:16 案内板全文 「湘南平 1.3㎞ 神奈川の景勝50選に選ばれた景勝地 歴史と味の散歩道・大磯 明治のまちコ-ス」


案内板全文




■9:17 気持ちよく歩く山道。



気持ちよく歩く山道




■9:21 山道散策。



山道散策




■9:30 坂道をあがったところの案内板。上がったところから左に進むと湘南平0.2㎞で、右側が高麗山1.1㎞。湘南平へ進みます。



坂道をあがったところの案内板




■9:42 湘南平の広場に到着。展望台。向かい合ってテレビ塔(2014.12.10の写真使用)




湘南平の広場



湘南平広場のテレビ塔





■9:44 立派な展望台を登ります。最初の階はレストランになっています。





立派な展望台







■9:53 湘南平からの富士山がいる大展望

富士山の左側には箱根の山、伊豆半島、相模湾、右側には大山まで続く丹沢山地。



湘南平からの富士山がいる大展望






■9:53 湘南平からの富士山と丹沢山地。右端の大山の下の街並みは秦野市、伊勢原市、平塚市。



湘南平からの富士山と丹沢山地







■9:53 湘南平からの富士山


湘南平からの富士山







■9:55 湘南平からの富士山 


湘南平からの富士山




■9:58 湘南平展望台からのテレビ塔



湘南平展望台からのテレビ塔








■10:19 広場横にある休息所でお茶を飲み休憩して、高麗山へ出発。






■10:32 湘南平181m-142m-高麗山168mの尾根歩き



尾根歩き




■10:48 湘南平181m-142m-高麗山168mの尾根歩き




尾根歩き






■9:28 高麗山。広場になっています。


高麗山




■9:31 



高麗若光の解説板

*高麗若光(こまじゃくこう)  高句麗(こうくり)





■9:31 高来神社







■9:31 高来神社。

高来神社は「たかくじんじゃ」と読みます。
明治元年(1868年):神仏分離令により高麗寺から分離され高麗神社となる(高麗寺は廃寺)。高麗神社は振り仮名の付いた文章がない。「こまじんじゃ」か
明治30年(1897年):高来神社に改称(戦国時代に相模国大住郡に新設された「高来郷」に由来)

ここらへんで出てくる漢字は高麗、高来、読みかたは こま、こうらい、たかくと複雑でわかりません。







■11:23 花水橋から高麗山。



花水橋から高麗山




■11:24 広重の絵では高麗山の右側に富士山が見えているが、富士山が見えない。







■11:25 白鳥もなぜかと考えています。








■11:25 橋は「花水橋」、を渡った所に「平成の一里塚」の案内板があり。

そこに安藤広重「東海道五十三次 平塚 縄手道」の絵がのっています。高麗山に横に富士山の右側が見えています。





「平成の一里塚」の案内板

安藤広重「東海道五十三次 平塚 縄手道」





■11:28 そこで花水川の上流へ進みますがまだ富士山が見えません。
「東海道五十三次 平塚 縄手道」に描かれた高麗山の形がとてもユニークで広重が創ったと思いましたが、、実際の高麗山によく似ています。



高麗山





■11:32 次の橋が見えるところで、高麗山の右側に富士山が見えました。 


高麗山の右側に富士山








■10:32 高麗山から離れたところに富士山がいます、




高麗山から離れたところに富士山







■11:39 一応富士山見えたので花水橋へ戻ります。その途中で道のの横に「金目川(かなめかわ)」の表示柱。
地図で見ると、花水川の右がわが金目川とあります。この辺りから金目川か。



「金目川(かなめかわ)の表示柱 花水橋へ戻ります




■11:52 広重は勝手に高麗山の横に富士山を持ってきたのか・・・と思いなが平塚駅の方ヘ進むと、一里塚の表示板の向かい側の道に「平塚宿京方見附跡」があり、広重の「平塚 縄手道」もこの辺から描いたとあります。




「平塚宿京方見附跡」  「平塚宿京方見附跡」



「平塚宿京方見附跡」の案内板






「 見付」(みつけ)って、なんのこと?

東海道を歩いてみると、街道沿いに見付という名前がついた場所を見かけます。信号名に使われていたり、「江戸方見付跡」とか「上方見付跡」といった石碑が残されていたりします。見付とはどういうところだったのでしょう。

見付とは、もともと見張りの番兵を置いた軍事施設で、江戸城では外堀に沿って多数の見付が配置されていました。赤坂見附、四谷見附といった地名はその名残です。

宿場の入り口にも見付がありました。江戸側にあるものを江戸見付、京側にあるものを上方見付と呼びます。

浮世絵を見るとそれがどのような構造物であったかを伺い知ることができます。例えば、東海道の石薬師の絵には、街道の両側に土台を石で固め、その上に土を盛り、さらにその上に矢来(柵)を置いた、非常に規模が大きな構造物が描かれています。

これを見ると、江戸初期には、街道ないし宿場そのものが軍事施設的な性格が強かったことが伺い知れます。近世後期になると、見付は各地の一里塚と同じように道路の拡張などで撤去されたようです。


 
「見付」(みつけ)って、なんのこと? (mlit.go.jp) より引用





■12:26 「平塚宿京方見附跡」周辺を懸命に探して、建物の隙間から富士山が見えました。安藤広重「東海道五十三次 平塚 縄手道」の富士山です。広重は東海道五十三次をすべては歩いていないと言われていますが、平塚までは来てたようです。

安藤広重「東海道五十三次 平塚 縄手道」に関しては「歌川広重の風景画の元絵  3 東海道五十三次の元絵


 建物の隙間から富士山

建物の隙間から富士山が見えました。
高麗山に比べ、富士山は小さい。
 高麗山横に富士山

左写真を拡大して明暗調節の画像処理
高麗山横に富士山

広重の富士山を見つけ満足して平塚駅へ進みます。



■12:26-13:35  平塚駅ビル内の「三崎丸」で寿司を食べて電車に乗ります。これが湘南平歩きの定番です。

また、平塚美術館はとても良いところで、みたい展示がある時は平塚美術館まで歩きます。2010年「堀文子展」「横山大観 富士山展」など。



■14:19  藤沢市で買い物をして湘南台駅到着。



END








富士山と野の花眺めて山歩き l 富士山展望の山を方位角の一覧表から探す l 地図から探す l 富士山あれこれ l サイトあれこれ  北斎「富嶽三十六景」