曽我山の山歩き記  2017年1月28日(土)


  

曽我山は2011.2.4の早朝に歩きはじめ朝焼けの富士山と相模湾と白梅を眺めたのが最初です。

朝焼けの富士山  曽我山の梅


その山歩きが気に入り、一足早い春を求めて毎年のように曽我山に来ています。2011.02.04、2012.03.07、2014.02.18、2017..01.2.8、2018.02.20、2023.02.12。
ここでは、2017.01.28の山歩きを中心に記載します。



富士山と曽我山mp地図



曽我山山歩きコース
登山コース
時刻
小田急江ノ島線
湘南台駅

8:33
JR東海道線
国府津駅 20m
9:13
9:27
西山農道休憩所
 140m
10:21
10:26
高山
 246m
 11:32

見晴台
 161m
11:47
12:27
梅の里食堂
12:55
 
JR東海道線
国府津駅
14:08
14:10
JR東海道線
地下で買い物
藤沢駅
14:29

15:09
小田急江ノ島線
湘南台駅
15:12



曽我山と富士山 (江の島大橋から)

富士山と曽我山 (江の島大橋から)






足柄峠・矢倉岳の山歩き記   2017年1月28日(土)






■8:33 小田急江ノ島線湘南台駅発。藤沢駅乗り換えで、JR東海道線国府津駅へ。



電車。R東海道線国府津駅へ




■9:27 明治20年開業の国府津駅着。



明治20年開業の国府津駅




■9:28 富士山が見えます。



駅からの道で富士山




■9:36 曽我山の安楽院裏手の農道からの富士山。富士山左は箱根の山々、富士山右側に櫓のような矢倉岳、その右側は三国山稜。



曽我山の安楽院裏手の農道からの富士山











■9:38 曽我山の安楽院裏手の農道からの富士山。矢倉岳が富士山を見張っています。


曽我山安楽院裏手の農道からの富士山






■9:38 曽我山の安楽院裏手の農道からの富士山。壁紙用。





■9:52 曽我山の農道からの富士山






■10:07 農道横の枯葉の中にゴリラさんが休憩中。。




農道横の枯葉の中にゴリラさん









1年後には蜜柑を一杯抱えて満足そうな顔をしていました 2018.02.20 9:38




農道横の枯葉の中にゴリラさん 2018年


2020年の次のサイトでも出てきます。長生きしています。がんばらない山歩き・糸の会&伊藤幸司 (itonokai.com)





■10:08 ゆるやかな坂道の農道を進みます。




■10:15 曽我山の農道は蜜柑畑のための農道と思います。蜜柑の無人販売所が数か所ありました。蜜柑100円、柚子100円購入。



蜜柑の無人販売所




■10:16 曽我山の農道から時々富士山



曽我山の農道から時々富士山


■10:20 西山農道に到着右側には相模湾が見えます。




西山農道に到着右側には相模湾



■10:21 西山農道の左には、河津桜が咲いている休憩所。
■10:22 西山農道休憩所からの河津桜と富士山



西山農道休憩所からの河津桜と富士山




■9:37 河津桜と富士山。



河津桜と富士山




■10:22 河津桜とメジロ。 春の花に最適な若草色と白色に配色されたメジロ。とても気に入ったのでしばらくメジロが続きます。




河津桜とメジロ






河津桜とメジロ








河津桜とメジロ






メジロ(目白・繍眼児)は、鳥綱スズメ目メジロ科メジロ属 

全長約12 cmで、スズメよりも小さい。翼開長は約18 cm。緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、雌雄同色。目の周囲の白色部(アイリング)が、和名の由来になっている。漢字表記の繍眼児は漢語に由来し、目の周囲に刺繍されたような羽毛がある児(小さいもの)の意とする説もある。室町時代からメジロの名で知られている 

食性は雑食だが、花の蜜や果実を好み、育雛期には虫なども捕食する。
花の蜜を大変好むため花期に合わせて行動し、春には好物の花の蜜を求めて南から北へと移動するものもいる。特に早春はツバキや梅の花に群がる様子がよく観察され、「チー、チー」という地鳴きで鳴き交わす様子がよく観察される。花の蜜を好むことから「はなすい」、「はなつゆ」などの地方名がある。ソメイヨシノが開花すると、ヒヨドリやスズメと共に花に群がってくる

目白押し
メジロにはお互いに押し合うように、ぴったりと枝に並ぶ習性がある。このことから、込み合っていることや物事が多くあることを意味する慣用句として「目白押し」がある。また、縁台に一列に並んで腰を掛け肩を左右に押し合って端の者を順々に押し出す遊戯として「目白押し」がある。

 メジロ - Wikipediaより引用



河津桜とメジロ






河津桜とメジロ






河津桜とメジロ






河津桜とメジロ








河津桜とメジロ






■10:30  離れたところにホオジロ

ホオジロ(頬白、黄道眉、画眉鳥、Emberiza cioides)は、スズメ目ホオジロ科ホオジロ属。東アジアに広く分布し、顔の模様とさえずりが特徴的な小鳥である。
ホオジロ - Wikipedia







■10:32  ツグミ

ツグミ(鶇、学名:Turdus eunomus)はスズメ目ヒタキ科ツグミ属。
和名は冬季に飛来した際に聞こえた鳴き声が夏季になると聞こえなくなる(口をつぐんでいると考えられた)ことに由来するという説がある。
ツグミ - Wikipedia







■10:39 高山へ出発して、途中に「五国峠農道記念碑」。昔は、ここから伊豆、相模、甲斐、武蔵、安房の5つが展望できたようです。


■10:44 農道の周りは蜜柑畑。後ろの山は大山です。




■10:47 曽我山中腹の農道からの富士山と矢倉岳。矢倉岳が富士山の中央に近づいてきました、



■10:53 相模湾、吾妻山、湘南平



曽我山中腹の農道からの相模湾、吾妻山、湘南平



2012.3.7 11:47 2017年には行かなかった「風外慧薫禅師 岩窟」


風外慧薫禅師 岩窟



風外慧薫禅師 岩窟






風外 慧薫禅師 岩窟

風外 慧薫(ふうがい えくん、1568年(永禄11年)- 1650年(慶安3年))は、江戸時代前期の曹洞宗の僧、絵仏師である。

上野の碓氷郡土塩村に生まれる。若くして修行し、相模小田原の成願寺の住職となった。数年後には、曾我山中の洞窟にて達磨や布袋等の肖像画を描き、絵仏師として活動したとされている。また、この頃には穴風外や古風外といった俗称も生まれた。

後に真鶴の竹渓院で住職となり、遠江石岡と転々と移住する。晩年には、自ら青銅で墓を建てるために穴を掘って、そのまま入滅したと伝えられている。


この風外 慧薫が住んだ曽我山の横穴は田島横穴墓群という古墳時代後期の墓で、大規模な古墳築造が終焉を迎え、崖に掘った横穴に死者を祀るようになった頃のもので、その中から数個選んで住んでいたようです。

                      




風外慧薫が制作したとされている「達磨図」


 風外慧薫 - Wikipediaより引用
                             



■11:05 高山までの道で春を感じる、蜜柑。



■11:08 菜の花。



菜の花




■11:08 可憐な青い花。オオイヌノフグリ。牧野富太郎が命名したといわれています





■11:30 オオイヌノフグリの友達、ホトケノザ。ほとんど同じところで仲良く咲いています。









■11:33 ここが高山か。 今回は、ここから六本松方向に進み、途中で見晴台に下ります。



高山




■11:35 富士山を眺めて、六本松方向に進みます。



六本松方向に進みます




■11:36 梅の木の上に富士山



梅の木の上に富士山




■11:38 梅の木の上に富士山。



梅の木の上に富士山





■11:41 ここから一本松、六本松跡にはいかず、見晴台に進みます。



行き先表示板






■11:44 見晴台に、ベンチが有ります。





見晴台


見晴台の山座同定板





■11:45 曽我山見晴台からの富士山



曽我山見晴台からの富士山




     ■2011.2.4 8:13に撮影した画像が少し鮮明ですので、これで山座同定しました。藤さん展望台の矢倉岳と金時山が目立ちます。



曽我山見晴台からの富士山




曽我山見晴台からの富士山の山座同定







■11:45 曽我山見晴台からの富士山



曽我山見晴台からの富士山







 見晴台で富士山眺めておにぎりの時間 11:47-12:27  



曽我の梅まつりは2月に入ってからです。今回2017年1月28日に、曽我山中腹の梅は結構咲いていたが、別所梅林などはまだ十分咲いていません。そのため、この見晴らし台でおにぎりを食べて休憩しました。

周辺の梅の枝にいるジョウビタキのメスを眺めながら休憩。


梅とジョウビタキのメス




梅とジョウビタキのメス




ジョウビタキ(尉鶲、常鶲、学名:Phoenicurus auroreus)は、スズメ目・ヒタキ科に分類される小鳥。

日本では冬によく見られる渡り鳥である。

地鳴きは自転車のブレーキ音を短くしたような声で、「ヒッ」や「キッ」と聞こえる甲高い声と軽い打撃音のような「カッ」という声を組み合わせた特徴的なものである。「ヒッ」の声はかなり遠くまで届く。早朝にも鳴くことが多く、2度「キッ、キッ」、続いて打撃音の「カッ、カッ」がくる。この打撃音が、火を焚くときの火打石を打ち合わせる音に似ていることから、「火焚き(ヒタキ)」の名が付いたとされる。和名のジョウ(尉)は銀髪を意味する(オスの頭部)。
>
 
ジョウビタキ - Wikipediaより引用








■12:28 梅の上の富士山を見ながら出発。



梅の上の富士山




■12:29 この辺りは見事に咲いています。



梅が見事に咲いています




■12:41 梅林



梅林





梅




■12:41  曽我山の梅と富士山。



曽我山の梅と富士山




■12:44 梅林に下りる途中で曽我兄弟の母満江御前の墓が有ります。曽我兄弟の墓は山麓迩ある城前寺にあるようです。



曽我兄弟の母満江御前の墓




■13:10  シメ

ムクノキ、エノキ、カエデなどの種子を主食とする。果肉の部分は摂取せず、太い嘴で硬い種子を割って中身を食べる。
地鳴きは「チチッ」「ツイリリーッツー」。他のアトリ科の鳥と比べると鋭い声である。
シメ - Wikipedia




シメ




■13:20 スズメもかわいいです。



スズメ




■14:20 この後梅の里食堂の横を通り、川沿いの道を国府津駅まで歩きます。



川沿いの道を国府津駅まで歩きます



■14:08 国府津駅到着 








    

 2018年2月20日の梅まつり会場





満開の別所梅林

2018年2月20日の別所梅まつり会場




食べ物屋の露店が並びます

食べ物屋の露店が並びます




梅の木食堂横の梅の木に囲われたテーブル

梅の木食堂横の梅ノ木に囲われたテーブル



梅の木食堂裏の見事な梅林

梅の木食堂裏の見事な梅林





梅の木食堂裏の見事な梅林












 2014年2月18日の梅林





梅の木食堂裏の見事な梅林

梅の木食堂裏の見事な梅林




記念撮影がしたくなる見事な梅林

記念撮影がしたくなる見事な梅林





見事な梅林

見事な梅林





梅の花








 2023年2月12日に曽我山頂上の不動山登頂


不動山を出すときは。「曽我丘陵の最高峰の不動山」とするべきか





■10:53 高山から見晴台に下りず一本松に到着。ここから六本松跡に進みます。



一本松



■10:59 六本松跡





六本松跡

六本松跡は、曽我山(当時山彦山といった)の峠道で、六本の古松があったことからこう呼ばれています。この峠は鎌倉時代、曽我氏・中村氏・松田氏・河村氏の各豪族の居館と鎌倉を結んでおり、曽我別所から足柄峠へと通ずる「鎌倉道」、大山からこの峠を越えて高田・千代・飯泉へ通ずる「大山道(中村通)」、そして押切方面より小田原に至る「箱根道」が交わる重要な峠であったといわれています。
現在は、一本の松も存在しませんが、大正7年(1918)孤山人(尾崎八束‐宗我神社神官)筆の六本松跡碑があります。

小田原市 | 六本松跡と芭蕉の句碑 (city.odawara.kanagawa.jp)



六本松跡



六本松跡



■11:28 わかりにくい道を通り山道に入ります。



山道に入る



■14:20 不動山、標高327.7m。林の中に標識があるだけで、視界は全くありません。この先を進むと浅間山、上大井駅に行けます。今回は、来た道を戻ります。



不動山、標高327.7m




■13:01 不動山から別所梅まつり会場に下りてきました。



別所梅まつり会場




■13:08 早くておいしい梅の木食堂の天ぷらうどんと天ぷらそばを、食堂横の梅の木に囲われたテーブルで食べる。



梅の木食堂の天ぷらうどんと天ぷらそば





■13:15 ウメにメジロ



梅にメジロ
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梅にメジロ






■13:32 梅の木食堂から中大井駅へ行く途中にある梅の木と富士山のビューポイント



梅の木と富士山のビューポイント






■14:20 梅の木食堂から下曾我駅まで50分ほど。駅のホームから立派な富士山が見えます。



駅のホームから立派な富士山









■14:30 御殿場線下曽我駅から小田急線湘南台駅へ



小田急線湘南台駅へ


END








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