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■矢倉岳と富士山 (大野山休憩舎から) |
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■7:18 小田急江ノ島線長後駅発。相模大野乗り換えで小田急線新松田駅へ。 ![]() ■8:30-8:45 新松田駅前バス停。 まつだ桜祭りが2月11日から3月12日。矢倉岳の4日後、2月19日に松田山・高松山へ行き菜の花と河津桜と富士山を眺めてきましたました。 ![]() ■8:45-9:17 新松田駅から矢倉沢バス停へ行きます。 ![]() ■8:25 矢倉バス停から橋を渡って矢倉岳へ進みます。左の山が矢倉岳。 ![]() ■8:25 川向うにある看板が面白い。「金太郎」と「足柄山 万葉公園」の宣伝看板と思いましたが、二枚とも南足利市にある宮嶋建設(株)の看板です。注文したくなる看板です。 左 「元気です。金太郎さんの家来たち。 宮嶋建設(株)」 フクロウとイノシシとムササビか。何故この三者が選ばれたか。 右 「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも 足柄山 宮嶋建設(株)」 短歌は万葉公園の碑にあり、その意味は「足柄山の坂に立って、袖を振ったなら、家にいる妻はそれとはっきりと見るだろうか。」 ![]() ■8:25 川の向こうには「矢倉岳コース案内付き民家」です。最も適切な場所に表示されています。 ■9:59 農道を進む。茶畑が綺麗です。 高い鉄棒の上についているのは扇風機ですが、その名を「防霜(ぼうそう)ファン」と呼び、茶の新芽に霜が当たらないように、高いところから風をあてて地表付近の冷え込む空気を動かし、凍霜害を避ける為に使われているようです。 ■10:03 農道終点。自分で扉を開けて通り、閉めます。 ■11:18 矢倉岳頂上からの富士山と愛鷹山と箱根の山。 快晴ですが小さい黒い雲が富士山山頂にかかっている。しかし、宝永火口から湧き出る雲ではない。宝永火口から湧き出る雲はこの時間では増え続けるが、この雲は風で流される。 そこで、まず右側に見える下り道から2分ほど下の富士山展望地に行き、黒い雲が流れて消えるのを待つことにした。 ■11:31 山頂から2分ほど下の富士山展望地からの富士山。10分経過しても、山腹にまだ雲が有ります。もう一息です。 ![]() ■11:50 山頂から2分ほど下の富士山展望地からの富士山。山腹の雲がなくなりました。 前景は金時山、足柄峠から矢倉岳に続く尾根道、その尾根道と富士山との間には御殿場市街地。富士山の右側は三国山稜。 ■11:50 山頂から2分ほど下の富士山展望地からの富士山。壁紙用 1920*1200ピクセル。 ■12:07 矢倉岳山頂からの富士山と愛鷹山。山頂の草原広場に座り、富士山と愛鷹山を眺めるのが好きです。座ると草、樹木がかなり障害になります。これらの草枝切り取っても良いと思います。 ■12:08 矢倉岳山頂からの富士山。 ■12:08 矢倉岳山頂からの富士山の左側山腹。宝永火口、宝永山、その下の二ツ塚。下塚の下側に雪がまだ有りませんが、二つの凸凸が好きです。
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| 矢倉沢から富士山方向を眺めると三角おにぎりを置いたような山が有ります。矢倉岳です。カシバードで作成した矢倉岳を下図に示します。 |
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この矢倉岳の奇妙な形状に関して次のような昔話が有ります |
矢倉岳の主 |
足柄平野から西の方をながめると、富士山がよーく見える。富士山には、コノハナサクヤヒメという神様が住んでいるそうな。 その富士山の前の方にぼこぼこと連なっているのが、足柄や箱根の山々だ。 その中の一つに、ちょうど、でかいとんがりきのこをぽんと置いたような山がある。名前を《矢倉岳》という。《タケノコシ》なんていう呼び名もある。 この山の主は、山を七巻半もするような大きな蛇だったと。 矢倉岳の主は、富士山があまりにも大きいので、くやしくてならなかったそうな。それに、姿がきれいだといって、みんなからチヤホヤされているのが面白くなかったんだと。 それで、大蛇は、富士山になんか負けるものか、と、自分の山をぎゅっぎゅっとしぼりあげて形を整えたんだと。そして出来るだけ高くして、富士山をおおいかくそうとしたんだと。 今でもな、形はそのときのまま。場所によっては、矢倉岳のためにあの富士山が見えなくなることがあるんだ。 こうして矢倉岳の主が、苦労してようやく形を整え、背も高くしたというのに、ふり向いてくれるものはなかったと。 小田原青年会議所『私たちのふるさと昔ばなし』より抜粋 龍鱗-矢倉岳の主1 (hunterslog.net)より引用 |
| 矢倉岳の主である蛇の努力の結果を見てみました 下図に示した南足柄市の富士ゼロックス付近の①から眺めると富士山は矢倉岳とほぼ同じ形で、後方に見えます。 |
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| 上図の②の位置から眺めると山頂部分は隠れて左側の宝永山付近だけが見えるだけです。 更に左側に進むと富士山は全く見えなくなります。 |
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| Googlemapで見ると現在の道路からも似たような場所が出てきました。 矢倉岳の主である蛇の七巻半の絞り込みはかなりうまくいったようです。 、しかし、ここまで高くした矢倉岳を住民が喜んだかどうかは別です。 |
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| かえって、絞り上げた矢倉岳と富士山を同時に展望することを楽しんだ浮世絵師がいます。葛飾北斎です。 葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景 相州梅澤左」です。 「梅沢左」とは「梅沢在」か「梅沢庄」の誤まりで、現在の神奈川県二宮町梅沢地区のことだと考えられています しかし、梅沢地区の平地からは矢倉岳は見えません。北斎は現在の駅横にある吾妻山に登り、富士山と矢倉岳を眺めたと思います。 そこで、蛇の代わりに7羽の鶴を配置して、ベロリン藍を用いて、めでたく、清らかで、かつ緊張感のある画面を作っています。 矢倉岳を七巻半もするような大きな蛇の努力が北斎の傑作を生みだしました。 |
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| 二宮の吾妻山からの富士山と矢倉岳 これらの詳細は吾妻山あれこれに記載しました |
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地層学的な矢倉岳の生成 |
| 南足柄市の北側には、約200〜100万年前に海底で堆積した足柄層群が広がり、足柄山地を形成しています。約115万年前に足柄層群へ貫入したマグマが冷え固まり、その岩体がプレート運動の圧力により隆起しました。更に周囲を覆っていた足柄層群が侵食され、深成岩である石英閃緑岩の山、矢倉岳(標高
870m)が現れました。 矢倉岳は、深成岩体として世界的にも極めて新しく特異なもので、その特徴的な形状が、足柄峠を見張る櫓のようであることから、その名がついたと言われています。なお、地元では「竹の越(たけのこし)」と呼んでいます。 |
| Mi2 矢倉岳 | ジオサイト-南足柄エリア | 箱根ジオパーク より引用 |




足柄城跡と生田蝶介の碑 |
足柄城は、小田原北条氏の属城でした。城主は北条氏光で、当番で守る城でした。 足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた出城で、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となりました。 現在では、本丸そして一の郭から五の郭までに604mの遊歩道が整備され、井戸の跡や空堀跡などをみて散策できます。 足柄城址|富士のあるまち・金太郎生誕の地、静岡県小山町 より引用 生田蝶介の碑 富士山を見渡せる足柄城跡に建つ。歌人、小説家として明治~昭和に活躍した生田蝶介の短歌が刻まれている。下関出身だが小山町に疎開したことで親交を深めた。 この碑には「全貌を 裾野まで見せてあますなし 不二は悠然と 天ささげ立つ」とある。 歴史|金太郎 生誕の地、小山町観光情報より引用 |







