吾妻山あれこれ 吾妻山の由来 北斎「富嶽三十六景 相州梅澤左」など

  



1.吾妻山の山名の由来





吾妻山の名前は。日本武尊(やまとたけるのみこと)が弟橘媛(おとたちばなひめ)の笄(こうがい)を山頂に埋め、「吾妻はや」と嘆いたことに由来するといわれる。吾妻山 (神奈川県) - Wikipedia

この吾妻山の公園の中に弟橘比売と日本武尊を祭神とする吾妻神社があります。この神社の創建年代等については不詳であるが、言い伝えでは日本武尊が東征の折り浦賀水道で暴風に遭いそれをおさめるためその妃である弟橘姫命が入水し、その後弟橘姫命の櫛が流れ着き、それを祀ったのがこの神社とされる。この吾妻山で「ああ我が妻」と嘆いたか否かは、はっきり書いていないが、弟橘比売と日本武尊が吾妻山の名の由来とされています。



吾妻神社

吾妻神社


吾妻神社 由緒記


吾妻神社の由緒記の表示板   *配祀:主祭神のほかに、同じ神社の中に他の神を祭ること。



しかし、神奈川県のあるところに、次の表示板があります。



吾妻山の表示板





  この表示板は二宮町の吾妻山にある表示板ではありません。


秦野町にある吾妻山の表示板です.
神奈川県秦野市 吾妻山 - Google 検索


環境庁と神奈川県は「あずま・はや」と呼ばれた場所は秦野氏の吾妻山と認定しています。

二宮町吾妻山の吾妻神社の由来とは異なります。
二宮町の吾妻山は、弟橘媛の笄、小袖が流れてきて、山頂に祀ったところから吾妻山と呼ばれたようです。

しかし日本武尊は古事記の世界の人物で推定では4世紀ごろに活躍した人物です。詳細はほとんど不明と考えられます。

その他、「あずま・はや」に関して、次の二個所の記載もあります。
「弟橘媛を忘れられない日本武尊は、『日本書紀』では碓日の嶺、『古事記』によれば足柄の坂本で、「吾妻はや」と嘆いた。」弟橘媛 - Wikipedia



島根県にある吾妻山は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が比婆山に眠る妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)を「ああ、吾が妻よ」と山頂に立って生前を偲んだことが山名の由来とされています。

 
 
     






2.葛飾北斎 「富嶽三十六景 相州梅澤左」は吾妻山からの富士山



北斎の「相州梅澤左」は富嶽三十六景の中でも富士山の美しさから評価の高い作品です。



葛飾北斎 「富嶽三十六景 相州梅澤左」


葛飾北斎 「富嶽三十六景 相州梅澤左

Umegawa in Sagami province - 富嶽三十六景 - Wikipediaより引用




(1)作品解説

「富嶽三十六景 相州梅澤左の解説では「梅澤左」は「梅澤在」か「梅澤庄」の誤刻といい、梅澤地区から見える富士山については解説せず、鶴のいる吉祥画として解説しているのが多い。

「梅澤左」は「梅澤在」か「梅澤庄」の誤刻だといわれている。現在の神奈川県二宮町梅沢地区あたり。夜明けにあわせ、2羽の丹頂鶴が水場より羽ばたいていく、一時の清廉な空気を描き出している。水場の4羽の丹頂鶴は、その羽毛の描写にいたるまで、驚くべき観察がなされている。この版図には改印、版元印が認められるものがなく、藍摺りを基調としている。

     冨嶽三十六景《相州梅澤左》 文化遺産オンラインより引用



富士の長い裾野、立ちこめる霞。天空を舞う二羽の鶴と水辺でついばむ五羽の鶴のみが点景として描かれている。梅澤左は梅澤庄か梅澤在の誤りと言われるが、どこか特定の場所というよりは、理想郷の蓬莱山のような吉祥画として製作されたと想像される。

    富嶽三十六景 相州梅澤左 山梨県立博物館より引用





(1) 「富嶽三十六景 相州梅澤左はあ何処から描いたか


風景画の構図の特徴は、富士山のほぼ真下にこんもりとした山が有ることです。このような特徴の特徴のある前景を描いているので北斎がどこから富士山を描いたかを検討します。


「梅沢左」とは「梅沢在」か「梅沢庄」の誤まりで、現在の神奈川県二宮町梅沢地区のことだと考えられています。梅澤は東海道大磯宿(神奈川県大磯町)と小田原宿(同小田原市)との間にある宿で、茶屋が並び休息所として繁盛しました。


上記した、弟橘比売と日本武尊のゆかりのある梅沢、袖ヶ浦、の地名が有ります。




二宮町梅沢付近

二宮町梅沢付近


そこで、「梅沢」周辺から富士山をカシミ-ルで眺めます。富士山と梅沢をつなぐ線の横に矢倉岳が有ります。


富士山と梅沢をつなぐ線の横に矢倉岳



①まず梅沢から: 富士山中腹の宝永山の上部しか見えません。手前の山矢倉岳の凸部は見えません。


梅沢からの富士山




②梅沢の左にある押切川付近の茶屋から: 箱根の山に隠されて富士山は山頂部右側しか見えません。


押切川付近の茶屋からの富士山




③梅沢の右側の上町から:吾妻山が富士山の前にあり、富士山は全く見えません。


梅沢の右側の上町からの富士山




二宮町梅沢周辺の平地ではと矢倉岳と富士山が見えるところは無いようです。



④そこで、梅沢の北側にある吾妻山に登り富士山を眺めます。


矢倉岳の山頂部がが曾我山地沼代園あたりからでています。


吾妻山からの富士山



⑤吾妻山山頂部から撮った富士山と矢倉岳です。


吾妻山山頂部から撮った富士山と矢倉岳



梅沢周辺から富士山までの断面図。二宮町梅沢の平地からは曽我山地に遮られて、矢倉岳は見えません。

梅沢周辺から富士山までの断面図




 






北斎は「富嶽三十六景」で前景をまともに描いていません。江戸から見える富士山手前の丹沢山地は正確に描いているのは全くありません。「犬目峠」の前景も実景とは全く異なります。しかし、「相州江ノ島」、「相州箱根湖水」など「相州」が付く作品は、何故か実景に近い構図になっています。

「相州梅澤左」では、北斎は実際に136mの吾妻山に登り富士山と矢倉岳を眺めたと思います。そして富士山の中央下にこんもり頭部を出している矢倉岳をみてこの二山が見つめ合う構図の景色を描いたたとおもいます。梅沢という地名を付けて、この矢倉岳を見ずに。想像で「相州梅澤左」を描いたは思えません。



  北斎は富嶽三十六景では富士山の横幅を圧縮します。
「相州梅澤左」ではほぼ50%圧縮しています。(⑤の写真を横だけ50%圧縮)



梅沢からの富士山 横幅50%
  箱根の山を除去して、富士山左側すそ野を広げます。
矢倉岳を大きくします。
矢倉岳、曽我山地を緑色にします。



箱根の山を除去して、富士山左側すそ野を広げます
       
   すやり霞で空間を整え青緑で色調を整えて完成。(初期はベロ藍一色の作品)
画面全体の雰囲気は元の実景とかなり似ているように思います。


相州梅澤左
   2羽の鶴が富士山へ飛び、5羽の鶴が沼地で休んでいる。鶴と富士の組み合わせで縁起の良い作品とみられているが、富士山と、矢倉岳、曽我山地の風景が鶴の群れを描くのに最適な風景と感じたためと思います。


鶴を追加
       
    「相州梅澤左」が吾妻山もしくは曽我地方からの富士山という検討は次のサイトで詳細に行われています

小田原市 曽我地区から見る富士 (coocan.jp)
二宮町吾妻山から見る富士山 (coocan.jp)


尚、 「相州梅澤左」の富士山の形状の特徴は中腹部の左が膨らんでいるところです。「凱風快晴」が 「相州梅澤左」より上の部分ですが同じように膨らんでいます。他の作品ではこのように富士山中腹部膨らんだ形状はありません。この膨らみが女性的な富士山のイメ-ジを与えます。富士山形状からいうと、「相州梅澤左」は「凱風快晴」の妹分になります。

富士山の山体形状から見ると貴重な作品です。


  「相州梅澤左    
  「相州梅澤左」     「凱風快晴」 
  






3.吾妻山は子供、孫とのハイキングに最適



孫とハイキング


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全長102mのローラ滑り台


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ウサギ小屋

ウサギ小屋





菜の花だけでなく、桜、芝桜、コスモスなどの季節も素晴らしい。








4.2018年1月12日(金)の吾妻山





2018年の晴れた日を狙い、山足早い春巡り。


■10:20 吾妻山の二宮に行く東海道線の電車から、歌川広重 「東海道五十三次 平塚 縄手道」の実景を撮影しました。



安藤広重 「東海道五十三次 平塚 縄手道


平塚の街で撮影したのが次の写真



高麗山横の富士山


高麗山横の富士山




■10:20 東海道線の電車から、三枚とも10:20に撮った写真ですが10:20bが最も広重の 「東海道五十三次 平塚 縄手道」に近そうです。




10:20a  高麗山の右側に富士山が見えます

高麗山の右側に富士山




10:20a


高麗山の右側に富士山



10:20b 富士山と高麗山が合体。


高麗山の右側に富士山



10:20c この後富士山は高麗山の後ろに隠れてしまいます。



高麗山の右側に富士山





平塚の街で撮影したの内容は「平塚・縄手道」の富士山・大山

安藤広重「東海道五十三次 平塚 縄手道」に関しては「歌川広重の風景画の元絵  3 東海道五十三次の元絵



■10:46 吾妻山頂上広場。この草原のような頂上広場がいいですね。


吾妻山頂上広場




■10:48 吾妻山山頂上広場から相模湾。



吾妻山山頂上広場から相模湾




 
■10:54 吾妻山山頂上広場から富士山。金時山と矢倉岳もいます。



吾妻山山頂上広場から富士山




■10:07 菜の花は満開ではないが富士山と合わせて取るには十分です。


吾妻山山頂上広場からの菜の花と富士山




■11:08 吾妻山山頂上広場から富士山と箱根の山と伊豆半島と相模湾。


吾妻山山頂上広場から富士山と箱根の山と伊豆半島と相模湾





■11:00~ 吾妻山で撮影した野鳥。此のところ相棒さんが野鳥撮りに熱心です。


メジロ

メジロ(目白・繍眼児、)は、鳥綱スズメ目メジロ科メジロ属。全長約12 cmで、スズメよりも小さい。翼開長は約18 cm。緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、雌雄同色。目の周囲の白色部(アイリング)が、和名の由来になってい。


メジロにはお互いに押し合うように、ぴったりと枝に並ぶ習性がある。このことから、込み合っていることや物事が多くあることを意味する慣用句として「目白押し」がある。メジロ - Wikipedia


目の周りが白いので、私でも識別可能です。




吾妻山で撮影したメジロ




コゲラ

コゲラ(小啄木鳥)はキツツキ目キツツキ科に分類される鳥類の1種。英名は "Japanese Pygmy Woodpecker" で、日本にいる小さなキツツキの意。

全長15 cm(13-15 cm[6][7]) で、スズメと同じくらいの大きさ。翼開長は約27 cm。体重18-26 g。日本に生息するキツツキとしては最も小さい。
コゲラ - Wikipedia



吾妻山で撮影したコガラ




カワセミ

カワセミ(翡翠、翡翆、魚狗、川蟬)はブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に属する鳥。水辺に生息する小鳥。鮮やかな水色の体と長いくちばしが特徴。ヒスイ、青い宝石、古くはソニドリ(翠鳥、鴗)と呼ばれることもある。

全長は17 cmほどで(16-20cm) 、スズメよりも大きいが、長いくちばし(嘴峰長3.3-4.3 cm)のため体はスズメほどの大きさ。日本のカワセミ科のなかでは最小種となる。

カワセミの青色は色素によるものではなく、羽毛にある微細構造により光の加減で青く見える。これを構造色といい、シャボン玉がさまざまな色に見えるのと同じ原理。この美しい外見から「渓流の宝石」などと呼ばれる。特に両翼の間からのぞく背中の水色は鮮やかで、光の当たり方によっては緑色にも見える。漢字表記がヒスイと同じなのはこのためである。
カワセミ - Wikipedia


近くの川辺で見られる最も美しい野鳥の一つです。



吾妻山で撮影したカワセミ





「ヒスイ(翡翠)に例えられるほど美しい色の鳥」と思ったが、意外にもその反対のようです。


翡翠

元々、翡翠は美しい石として、瑪瑙やその他の宝石とともに「玉」と総称されていた。

「翡翠」は中国では元々カワセミを指す言葉であったが、時代が下ると翡翠が宝石の玉も指すようになった。その経緯は分かっていないが以下の説がある。翡翠のうち白地に緑色と緋色が混じる石はとりわけ美しく、カワセミの羽の色に例えられ翡翠玉と名づけられたという。この「翡翠玉」がいつしか「玉」全体をさす名前になったのではないかと考えられている。

参考までに、古代日本では玉は「たま」、カワセミは「そび」「そにとり」と呼ばれていた。カワセミに「翡翠」の字があてられ「ヒスイ」とも呼ばれ始めたのは室町時代以降である。したがって「翡翠」の語は中国から輸入されたと推察できる。

ヒスイ - Wikipedia






なお、カワセミは筆者が住んでいる神奈川県藤沢市の「市の鳥」です。1992年(平成4年)10月1日制定。


藤沢市の「市の木」は「黒松藤沢市の「市の木」は「黒松、     「市の花」は「フジ」「市の花」は「フジ」です。

藤沢市の市の木、市の花 (city.fujisawa.kanagawa.jp)より引用




藤沢市の「市の山」は「富士山」です、   
藤沢市の「市の山」は「富士山」  嘘です




嘘です。「市の山」は有りません。



しかし、藤沢市は平地から見事な富士山が見える貴重な市です。 箱根の山と丹沢山地の間に富士山がいます。


藤沢市は平地から見事な富士山





しかし、藤沢市の由来は富士山ではないようです。



藤沢市の語源・由来

藤沢の名は、南北朝期から見られる。
藤沢の由来は、段丘・崖のある川の意味で、「フチサワ(淵沢)」が転じた説が有力と考えられている。
その他、藤の木がたくさん繁った沢の意味。
源頼朝の家臣・藤沢次郎清親の居住地であったことに由来するといった説もある。

藤沢には、時宗の総本山である清浄光寺(遊行寺)がある。
室町時代の文書では、多くが「藤沢」と記して清浄光寺を指していた


藤沢市/ふじさわし - 語源由来辞典より引用









 
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