王岳の山歩き記    2016年5月12日(木)

  

根場-王岳

 王岳-鍵掛峠-根場




早い時刻に王岳山頂から富士山を眺めるため、登山時間が2時間25分と短い根場-王岳コ-スを選んだ。根場-鍵掛峠-王岳コ-スの登山時間は3時間30分。(登山時間は休憩時間除く。昭文社山と高原地図から)









登山コース
時刻
小田急江ノ島線
長後駅

5:50
富士急行線
河口湖駅

西湖周遊バス河口湖駅
8:44
9:10
根場民宿バス停
 910m
9:48
9:54
登り口へ
(標識見逃し、脇道歩き10分間ロス)
10:53

11:08
 休憩 11:54
12:05
尾根道分岐

12:10
王岳
昼飯
 1623m
12:31

14:02
 吉沢山(標識見ず)
 1600m
 
鍵掛(表示板は見ていない、憶測) 1589m 15:00
 
鍵掛峠 
 1512m 
15:19
15:34
登山口

16:40

根場入口バス停

17:02
17:11
富士急行線
河口湖駅

17:51
17:53
JR中央線大月駅
 駅前の寿司店で夕食
小田急江ノ島線
長後駅
21:10


最高温度 25℃ 湿度 48%



王岳と富士山 (杓子山から)

王岳と富士山 (杓子山から)









王岳の山歩き記  根場-王岳   2017年5月12日(木)





■6:07-6:30 小田急江ノ島線長後駅発。小田急線町田駅-徒歩-JR横浜線町田駅-八王子駅-中央本線大月駅-富士急行線河口湖駅




富士急行線河口湖駅へ




■6:50-9:06 大月駅から河口湖駅の間で、「三ッ峠駅を過ぎたあたりに富士山撮影スポットがあります。」との車内放送があり、
徐行運転をしてくれるのでカメラを用意して、車窓から本日最初の富士山をパチリ。快晴。



三ッ峠駅を過ぎたあたりに富士山





■8:44 河口湖駅到着


■8:53 河口湖駅前の時刻・温度表示塔。20.2℃です。







河口湖駅前の時刻・温度表示塔



王岳登りますと挨拶、いってらっしゃいと返答

王岳登りますと挨拶





■9:10-9:48 河口湖駅から西湖周遊バスで根場民宿バス停へ行きます。





河口湖駅駅から根場民宿バス停へ




■9:54 根場民宿バス停から王岳へ出発。根場の街からは富士山が見えます。



根場民宿バス停







■9:58 私が相棒さんを撮っています。相棒さんが私を撮っています。熟年夫婦の山歩きです。



相棒さんを撮影



右側の立旗の文字は「ほうとう」です。これで山梨県にいることがわかります。

相棒さんが撮影




■10:05 駐車所の先に鮮明な富士山。空が青い。富士山山頂は三峰構造。






■10:01  毎日富士山が見えるここら辺に別荘が有ったらいいかも、と眺めています。眺めるだけで、当然、購入はしていません。



売地看板




■10:03 右に行くと鍵掛峠、真っすぐ行くと王岳。早い時刻に、王岳山頂から富士山を眺めるため、真っすぐの道を行きます。



右に行くと鍵掛峠、真っすぐ行くと王岳


右に行くと鍵掛峠、真っすぐ行くと王岳





■10:12 5月、新緑の樹木に囲まれた林道を進みます。


新緑の樹木に囲まれた林道




■10:29 二人とも気持ちよく緑あふれる林道を進みます。アオダモも咲いています。




緑あふれる林道




緑あふれる林道



アオダモ





■10:41 林道が右へ曲がっているので、躊躇なくそちらに進みます。



林道が右へ曲がっている



林道を進む



■10:43 樹木の間から富士山が見えてきました。こんなに早く富士山を見れるとは、いいコ-スと思った。


樹木の間から富士山




■10:48 しかし・・・・・・・・林道が行き止まりになっているようです。あの曲がり角が怪しいと思いそこまで戻ります。



林道が行き止まり






■10:53 曲がり角に戻り、曲がり角の前からじっくり周辺を眺めると、林道から細い道が左側にあり、その先に表示板があります。じっくり眺めなくても表示板はあります。



林道から細い道が左側にあり、その先に表示板






■10:53 その表示板には「王岳 Mt.Odake 3.3㎞」とあります。ここが王岳登山口だと思います。

当方の不注意ではありますが、林道の分岐するところに表示板を設置すべきと思います。

12分ほどタイムロスしましたが、その中で富士山が見えたことに満足して先へ進みます。



「王岳 Mt.Odake 3.3㎞」の表示板




■10:59 登り道も緑に溢れています。

■12:22 、樹木の間から富士山山頂が見えます。



■11:22 この後、かなりの急坂を登ります
急坂の写真がないのは、当山歩き記の欠点です。その理由は①急坂を登っている時は、苦しくて撮影する余裕がない。②富士山撮影を優先した。③2016年、この時点では山歩き記を書く予定は無かった。 ■11:30 登山道を進みます。私より脚力がある相棒さんが、先に進みます。



登山道を進みます




■11:31 樹木の間から三峰構造の富士山山頂と左山体が見えます。





■12:10 「根場」の表示板、下りる登山者用の表示板か。



「根場」の表示板




■12:12 山頂が白い山並みは、富士山右の奥にある南アルプスか。


■12:20 富士山の右側がかなり見えてきました。

登山道の右側に見えてるようですが、地図上の登山道は登山者の後ろに富士山が有ります。実際の登山道に、富士山が右側に見えるところがあるのか、写真は登ってきた登山道を振り返って撮ったのか。7年ほど経つと記憶が薄らぎます。



富士山の右側




■12:30  尾根道の分岐にでました。左が五湖山、右が鬼ヶ岳、王岳は無視されています。王岳へ登っている登山者としては、右側は王岳と書いてほしかった。
登ってきた起点は「西湖根場浜」、西湖の富士山展望台があるところのようです。



尾根道の分岐



左が五胡山、右が鬼ヶ岳



■12:31 王岳山頂、標高1623mに到着。王岳表示板の左に、二等三角点の石柱、右に「南無妙法蓮華経」の石碑。



王岳山頂、標高1623m





■12:32 王岳山頂に到着して撮影準備。温度は20℃を越えているため、途中でTシャツになっています。



王岳山頂に到着して撮影準備




■12:32 王岳の山頂広場から緑の樹海に囲まれた見事な富士山が見えています。
しかし、富士山の右側は王岳山頂の樹木で隠されています。残念。




緑の樹海に囲まれた見事な富士山




■12:32 王岳の山頂広場からの富士山。樹木の合間から富士山と西湖が見えるところで撮影しました。

他もたくさん撮りましたが、後に記載する理由で、それらの写真は掲載しません。



王岳の山頂広場からの富士山




■12:46 王岳山頂から一通り撮影して、昼飯前に「南無妙法蓮華経」の石碑の横から記念撮影を行ないます。



石碑の横から記念撮影




■12:49 自動シャッターでパチリ、王岳山頂で記念撮影。太陽は熟年夫婦の右後ろの上にいます。


■15:49 記念撮影がうまく撮れたか見るため、カメラの画面を覗き、再度富士山方面を眺めると、富士山方面右側の樹木の横に岩場があり、その後ろに踏みつけたような細い道のようなところがあります。(本画像の右側)

その道を進むと、なんと・・・・・・次の写真のような丸ごと富士山が見られる場所がありました。



再度富士山方面を眺める










万歳








王岳展望地からの富士山

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■12:54 王岳からの富士山。富士山のすそ野が周囲の山に繋がる処まで見えています。



■12:54 王岳からの富士山。上の写真の左右下の樹木をカットします。富士外輪山に囲まれた雄大な富士山です。

王岳の山座同定もこの画像で行います。

王岳から富士五湖のうち次の四湖が見られます。左から山中湖、河口湖、西湖、本栖湖です。精進湖は本栖湖の手前にありますが、尾根で隠されています。

この西湖と精進湖は、平安時代までその間が繋がった「せの湖」という一つの湖でした。864年6月中旬の貞観の大噴火が起きて、長尾山溶岩などに
より「せの湖」は分断され西湖と精進湖が生じました。そしてその溶岩の上に樹木が育ち、青木ヶ原樹海になりました。王岳からの眺める、青木ヶ原樹海の上にいる富士山はそのような歴史を持った景観です。


■12:56 さらに富士山すそ野のところでカットします。西湖と本栖湖の間に広がる青木ヶ原樹海の上に富士山がいます。富士山の中腹から全面緑に覆われています。緑の樹海に浮かぶような富士山です。



西湖と本栖湖の間に広がる青木ヶ原樹海の上に富士山







■12:56  王岳からの富士山。富士山の下に青木ヶ原樹海が広がっていきます。




■12:56 王岳からの富士山。 青木ヶ原樹海と富士山。壁紙用。






■12:58 撮影した王岳山頂の場所は、岩場になっておりその下は急斜面です。注意して岩場の先端から下を撮影、短い木々がありますが崖状になっています。

御坂黒岳の展望台も岩場が迫出したようなところです。 注意すれば問題ありませんが、危険な場所と認識して撮影することが必要です。









■13:00 王岳からの富士山。両すそ野がなだらかに広がっています。



■14:20 王岳からの富士山。特に左すそ野のと空のなだらかな境界線が美しい。




■13:00 王岳からの富士山。富士山山体部。森林部の上に、薄茶色の山体があり、その上に濃い青紫の山体と冠雪部があります。三層構造になっています。



王岳からの富士山




■13:00 王岳からの富士山。三峰構造の富士山山頂部。左側は久須志岳、中央部は白山岳、右側は剣ヶ峰。




王岳からの富士山。三峰構造の富士山山頂部。













 富士山眺めておにぎりの時間 13:10-14:00  



葛飾北斎の富嶽三十六景「凱風快晴」と王岳


 おにぎりを食べた後、珈琲を飲みながら王岳を眺めていると、葛飾北斎の富嶽三十六景「凱風快晴」が心に浮かんできた。



王岳からの富士山

王岳からの富士山


「凱風快晴」は冨嶽三十六景の中でも、「神奈川沖浪裏」、「山下白雨」とならび三役の一つとされて人気の高い作品です。



葛飾北斎の富嶽三十六景「凱風快晴」

葛飾北斎の富嶽三十六景「凱風快晴」

フランスのギメ美術館の「HOKUSAI」から引用。「初摺」の作品といわれています。


この「凱風快晴」の富士山の山体の形状の特徴は、左の中腹が外側に膨らんでいることです。この膨らみのある富士山は、冨嶽三十六景では「相州梅澤左」がありますが、北斎以前の富士山ではありません。

実際の富士山でこのような山体の形状を持つ展望地点は、王岳、雪頭ヶ岳及び富士川河口付近の三ヶ所です。
この三ヶ所の中では最も山体の形状が似ているのは王岳と思います。



葛飾北斎の富嶽三十六景「凱風快晴」






左の中腹が外側に膨らんでいる富士山の形状を北斎が得意としたコンパスを使った円で説明します。実際にコンパスを使って描いたかもしれません





「山下白雨」の富士山

北斎の殆どの富士山及び北斎以前の富士山は、次の様に三個または4個の円で描かれています。
頂上部とすそ野の下部は異なった円で描きます。



「山下白雨」の富士山



「山下白雨」の富士山




「凱風快晴」の富士山

「凱風快晴」の富士山では、左側の山体は2個の円では描くことができず、外側に膨らむ青色の円を加えて描いています。
この青色の円が「凱風快晴」の富士山の特異な形状を作ります


「山下白雨」が男性的富士山とすると、「凱風快晴」は女性的または中性的富士山と感じます。



「凱風快晴」の富士山


「凱風快晴」の富士山


左の中腹が外側に膨らんでいる王岳からの富士山

王岳からの富士山の横幅だけを52%に収縮して、赤色の「凱風快晴」の富士山に重ねます。山頂部左右のすそ野の低いところはずれていますが山体の中心部はほぼ一致しています。




左の中腹が外側に膨らんでいる王岳からの富士山



左の中腹が外側に膨らんでいる王岳からの富士山


北斎の「凱風快晴」の富士山と王岳からの富士山(横幅52%)との重ね合わせ。




王岳からの富士山の横幅を52%に縮小し、構図を「凱風快晴」と同じにした富士山です。
実景の富士山を横幅だけ52%に縮小すると、富士山としては違和感を感じ、こんな富士山は見たことがないと思います。


しかし、北斎の「凱風快晴」の富士山は、実際にどこかで眺めた富士山のように思ってしまいます。絵画の持つ不思議な力です。いたるところで何十回も「凱風快晴」をみて、これが富士山と思いこまされているためかもしれません。





左の中腹が外側に膨らんでいる王岳からの富士山





反対に、「凱風快晴」の富士山を縦幅だけ52%に縮小した富士山は王岳からの実際の富士山と同じように見えて違和感はありません。

一般に知られている山体が赤い富士山は北斎が関与した初期の色彩ではなく、北斎が指定した色彩はギメ美術館の「HOKUSAIのようです。

あえてこの版画を引用したのは、王岳からの富士山と配色と雰囲気を比べるためです。
「凱風快晴」の富士山は冠雪部と茶褐色の頂上部、薄茶色の中腹部、緑色の森林部の三層で構成されています。
王岳からの5月12日の実際の富士山も、冠雪部と濃い青紫色の頂上部、薄茶色の中腹部、緑色の森林部で構成されています。

そのため、富士山全体の雰囲気はとても似ています。6月になって冠雪が少なくなるとさらに似てくると思います。


「凱風快晴」の富士山


立幅だけを52%に収縮した北斎の「凱風快晴」



王岳からの富士山

実景の王岳からの富士山


以上の検討から王岳からの富士山は、北斎の「凱風快晴」の富士山ととても似ていることがわかりました。
もし、北斎が王岳に登って富士山を眺めたという史料が発見されれば、北斎は王岳から富士山を眺め、「凱風快晴」を描いたといえます。しかし、北斎が王岳又は平地でもその周辺(青木ヶ原や紅葉台)に来た可能性はとても小さいです。



そのため、もし北斎が実際の富士山を眺めて「凱風快晴」を描いたとすると、平地から左中腹部が膨らんで見える富士川河口部が最有力です。
その検証は、サイト「FujigokoTV」の「凱風快晴(冨嶽三十六景)の視点」で久保覚氏が行っています。







 

大嶽から王岳へ



王岳(おうだけ)は江戸時代には、大嶽と記載されています。何時頃から大嶽から王岳になったか、調べました。


江戸時代の地誌で文化11年(1814年)に成立した松平定能 著「甲斐国志」に「大嶽」と記載されています。読み方は「おおだけ」か。

尚、この書には御坂山塊に関する面白い記述が有るので紹介します。

・「雪塔(せつたふ)ヶ嶽」は現在の「雪頭ヶ岳」ではなく、「節刀ヶ岳」のようです。「大嶽と雪塔ヶ嶽の中間に鍵掛嶺があり」という記述から推察しました。
雪頭ヶ岳はこの書には出てこず、山として名前がついていたか否か不明です。

・鍵掛(かぎかけ)嶺は大嶽と雪塔ヶ嶽の中間にあり鶯宿より根場に跨る嶺とあります。鍵掛嶺は現在の鍵掛峠と思います。その鍵掛嶺の名は、坂道が険しくて牛馬が通れないため付いた名前と記述しています。
このほか太石嶺、御坂嶺、などの峠名は現在と同じです。江戸時代では山よりも、峠が生活に密着して実際に使われていたため同じ名として残っているのかもしれません。

・貞観七年に異火之變がおこり焼石が剗海を埋めて、西湖と精進湖ができ、青木ヶ原ができたと記述してます。
その中で、「剗海(せのうみ)」と「西ノ湖(せノうみ)」が同じ読みにしている。「西湖」は現在では「さいこ」です。富士五湖の中央に有るのに「西湖」とはと思っていた。江戸時代の人が「剗海(せのうみ)」の名を残すために、「西ノ湖」と書き「せのうみ」と読ませたのか。
*この記述は明治44,45刊行の活版印刷書にあります。原書確認無しで、原書にも、「剗海(せのうみ)」、「西湖(せノうみ)」の読みかな記載があるとしての推察です。





明治37年(1904年)刊 大町桂月  「富士八湖」でも「大嶽」です。

「鬼ケ嶽となり、大嶽となり、河口、西、精進、本栖の四湖を擁し、富士山に對して、富士八湖」

検索結果 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jpより引用



明治39年(1906年)の「日本山嶽志」は日本初の山岳事典で、明治時代の最大の山案内書です。この本の著者は日本山岳会を起こして二代目会長になった高頭式(しょく、仁兵衛)です。

目次の「御坂山塊」「丹沢山地」にある山の名前は現在とかなり異なります。「御坂山塊」に、大嶽や王岳の山名がありません。御坂山塊の最高峰黒岳の山名もありません。両山は一般的な登山の山では無かったようです。

御坂山塊の十二嶽の中に、「大嶽」が出てきます。まだ「王岳」ではなく「大嶽」です。






明治43年(1910年)刊 山梨県統計書  で、初めて「王岳」が出てきます。

「釋迦岳大石峠右左口峠王岳釋迦岳龍ケ岳又川荒岳 ) ハ白根山,内相岳ノ白根山農鳥山ノ內笊ケ岳七面山身延」

山梨県統計書 明治43年度 - 国立国会図書館デジタルコレクション より引用




大正9年刊(1920年) 山梨県市町村自治名鑑,でも「王岳」 です。


「王岳は海抜五千三百五十七尺北端の上下九一色村に在り南都留郡に跨る。」

山梨県市町村自治名鑑 - 国立国会図書館デジタルコレクション より引用



大正12年刊(1923年)河田楨 著 「一日二日山の旅」では「王岳(ワウダケ) 【大嶽】」と記載され、王岳の元の名が大嶽であったことを示しています。

王岳の振り仮名(ワウダケ)は歴史的仮名遣いで、読み方は「おうだけ」になります。


江戸時代の甲斐国志で「西ノ湖(せノうみ)」とよばれた湖は、ここでは「西ノ湖(ニシノウミ)」と呼ばれています。いつ「西湖(サイコ)」になったかは調べていません。

尚、この 「一日二日山の旅」は、「本書をもって初めて山岳ガイドブックが世に現われたといっても過言ではなかろう。」と言われている



以上の調査から、江戸時代に「大嶽」と記載された山は、「王岳(おうだけ)」になったのは、明治39年(1906年)から明治43年(1910年)刊の頃と思われます。
大嶽の読み方は上記史料にはないので、(おおたけ)または(おおだけ)か不明





しかし、何故大嶽から王岳に変わったかは史料に記載がなく不明です。

以下は当方の推察。

①明治の後半に登山案内書が出版され、大嶽がに三坂山塊で一番高い山ではなく、8番目ぐらいの山であることが大嶽周辺の人々が知るようになった。それでは大嶽の山名ではまずいのではないかと思い新しい名前を探した。

②パノラマ台からを北島方面を眺めると青木ヶ原樹海を挟んで対峙する王岳の姿は凛々しく逞しく御坂山塊の王様のように見えます。パノラマ台ではなく青木ヶ原の根場近くから見ても同様に見えます。そこで根場の人々は、大嶽から王岳の変えようとした。読み方もほとんど同じだ。



















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