北斎「富嶽三十六景 甲州犬目峠」の違和感










3 北斎「富嶽三十六景 甲州犬目峠」の登場人物の違和感


(1)「甲州犬目峠」の違和感

ここで不可解なのは、甲州犬目峠を登る二組の登場人物が全く富士山を眺めていないことです。

犬目峠は江戸からの、富士講信者などの旅人が初めて富士山と対面する場所です。富士山を眺めて喜ぶ人物を好んで描く北斎が、旅人が最も喜ぶと思われる犬目峠でその喜びにあふれた姿を何故描かないか不可解です。






葛飾北斎 「富嶽三十六景 甲州犬目峠」 1831-34年(天保2-5年)版行



峠の上の組は、前を行く男がわざわざ振り返り、「お前しっかり歩きなさい」と叱っているようです。








下の組は「馬の手綱をしっかり持ちなさい。そんな気持ちじゃ、世の中生きていけませんよ」と説教している、と思いたくなるほど重たい雰囲気です。富士山を眺めている人物がいる明るさが有りません。こんな明るくゆったりした富士山のもとに、このような人物を何故描いたか。






(2)北斎「富嶽三十六景」の登場人物は、殆ど富士山を眺めています。二作品掲載します



北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」


殆どの人が富士山を眺めています。そして富士山を励める背中には喜びを感じます。

隣の人も同じように富士山を眺める喜びを持っているということで富士山を眺めている人物の間に連帯感が出てきます。

登場人物の多くが一体化して喜びに包まれています。




北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」の人物の背中


北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざいどう」  富嶽三十六景 - Wikipediaより引用。




馬を引く人と釣りをする人が仲間のように富士山を眺めて、「今日の富士山は素晴らしいね」と言っています。





北斎「富嶽三十六景 武州千住」  富嶽三十六景 - Wikipediaより引用。





(3)富士講の影響

江戸から富士山へ上るには、甲州街道を通り犬目峠まで山道を登り、大月宿までくだり、富士山登山口に付き、そこから富士山頂を目指します。

ここ頃、富士山とその神霊への信仰を行うための講社である富士講がぢ流行し「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどであった。「富嶽三十六景」の爆発的売れ行きも、この富士講人気と関係しているようです。

しかし、富士講は、江戸幕府からはその宗教政策上好ましくないと見なされ寛政7(1795)年から嘉永2(1849)年までに計8回にわたり、富士講と明記した禁令を出している。出版元がそこを忖度して「甲州犬目峠」から富士講の雰囲気を除いたと思います。富士講を理由に出版禁止令を出されては大変です


その富士講信者が行う富士山登山にとっては、長い街道を歩き急阪の山道を登りたどり着いた犬目峠です、大きな富士山が迎えてくれます。木花咲耶姫までよく来られましたと歓迎に出てくるようです。喜びをもって富士山を眺めないはずはありません



出版元西村弥八と北斎は、出来れば次のような犬目峠を描きたかったと思います。






犬目峠には大きな富士山がいて木花咲耶姫がよくぞいらしゃいましたと挨拶してくれます。

富士講の一人も手を挙げて喜んでいます。ほかの旅人も皆富士山を眺めています。














ここまで書いていると、「甲州犬目峠」に2組の旅人がいますが、上の人物が下の人物に言っている言葉が聞こえてきました。

「富士山の方を向いて喜んだ顔をしてはいけませんよ。富士講信者と思われて版元に迷惑が掛かりますからね」

北斎の、幕府への批判と遊び心を感じます。














 
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