北斎「富嶽三十六景 甲州犬目峠」の違和感










2 葛飾北斎は「甲州犬目峠」を実際に眺めたか

北斎が実際に犬目峠をに来て、そこからの富士山を眺めて「甲州犬目峠」を描いたかは不明です。
前頁に示したように実際の富士山と全く異なる富士山を描いているため、実際には犬目峠に来てないと考えてしまう。


(1)北斎漫画七編「甲斐の巴山」

日野原氏は北斎は実際には犬目峠に来ておらず、北斎漫画七編(文化十四年 1817年)「甲斐の巴山」をもとにして、巴山を富士山に置き換えて「甲州犬目峠」を描いたと推察する。

「甲斐の巴山」は甲州街道沿いの酒折(甲府市)の風景が描かれている。巴山(伴部山)は酒折宮東方に位置する。






北斎漫画七編(文化十四年 1817年)「甲斐の巴山」

東京国立博物館デジタルライブラリー / 北斎漫画 : 七編より引用


北斎が実際に甲州を訪れたという確実な記録はないものの、「北斎漫画」七編(文化十四年 1817年)では、「甲斐の巴山」「甲斐の猿橋「甲斐 鰍沢」「甲州 矢立の杉」「甲州三嶌越」と、甲州の場所をいくつも描いている。
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「甲斐の巴山」:坂道は「甲州犬目峠」ほど険しくないが、構図の面では「甲州犬目峠」との共通点を感じさせるのである。

日野原健司編「北斎 富嶽三十六景」 岩波書店 2019年刊」より部分引用より引用



(2) 富嶽百景の「霧中の不二


富嶽百景初編に「霧中の不二があります。富岳百景は地名の記載がないため、何処の峠を描いたかはわかりません。しかし、峠の周りには樹木があって峠道らしく、富士山の下側は樹木と霧のため詳細がわからず、「富嶽三十六景 甲州犬目峠」より実景の雰囲気が出ている。富士山山頂の形も犬目地方かrの形状に近い。北斎も「富嶽三十六景 甲州犬目峠」、実景と全く異なる富士山を描いたことを反省したかと最初思いました。







葛飾北斎「富岳百景初編 霧中の不二」 1834年(天保5年)

葛飾北斎・富嶽百景/富岳百景初編《霧中の不二》【みんなの知識 ちょっと便利帳】 より引用



しかし、この作品を濃淡を変えてじっくり眺めると峠道と富士山の間には川が流れており、多くの川船が泛んでいる。この峠は犬目峠ではありません。富士山と犬目峠の間に桂川がありますが、桂川は下鳥沢宿まで下ったところにあります。そのため、犬目峠から桂川は見えません。





葛飾北斎「富岳百景初編 霧中の不二」 1834年(天保5年)





しかし、安藤広重は犬目峠と富士山の間に桂川を描いています。もしかしたら、この葛飾北斎「富岳百景初編 霧中の不二」を参考としたかもしれません。

歌川広重の(うたがわ ひろしげ、1797年・寛政9年-1858年10月12日・安政5年9月6日)の「不二三十六景 甲斐犬目峠」です.。
「不二三十六景」は、広重がはじめて手がけた富士山の連作で、横中判(19.5×26.5㎝)、全36枚揃で1852年(嘉永5年、版元)佐野喜より出版されました。



歌川広重  「不二三十六景 甲斐犬目峠」作年代:嘉永5(1852)年

歌川広重  「不二三十六景 甲斐犬目峠」 横中判(19.5×26.5㎝) 制作年代:嘉永5(1852)年

歌川広重 不二三十六景甲斐犬目峠 館蔵品検索|コレクション|静岡県立美術館|より引用


歌川広重  「不二三十六景 甲斐犬目峠」の解説

  本図は、甲州を旅した折に残したスケッチとよく似ているものの、やはり見えないはずの桂川を描きこんでいる。
『甲州日記』の中で、4月の往路で開店したばかりの「しがらき」という茶屋で休憩し、11月の復路でも立ち寄っているが、右手の茶屋はこれを思い出してモチーフに選んだのかもしれない。

 
     歌川広重  「不二三十六景 甲斐犬目峠」博物館資料のなかの『富士山』: 山梨県立博物館より引用






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