北斎「富嶽三十六景 甲州犬目峠」の違和感










1 葛飾北斎の「富嶽三十六景 甲州犬目峠」と実際の犬目峠


(1)葛飾北斎の「富嶽三十六景 甲州犬目峠」と解説






葛飾北斎 「富嶽三十六景 甲州犬目峠」 1831-34年(天保2-5年)版行

富嶽三十六景 - Wikipediaより引用



葛飾北斎 「富嶽三十六景 甲州犬目峠」の解説文。二つとも、実際の犬目峠とは違うようだと言っている。



山梨県北都留郡犬目部落にある峠より眺めた富士。犬目の地元では「遠見」という高台から見た富士を北斎が描いたと伝えられているが、実際の風景はだいぶ違っているようだ。北斎は旅人がふと目にした富士の感動を、そのまま絵にしたのではないだろうか。春霞をへだて、一面緑で覆われたゆるやかな坂道。小さく描かれた人物が、この眺望の穏やかな自然と時間の流れを強調している。






犬目峠の険しい坂道を、画面の左下から右上の対角線上に配している。道らしい道は無く、また道の両側には樹木が生えておらず、峠道というには不自然な形をしている。旅人や馬子たちは目の前に広がる山間の景色を楽しんでいるのか、あるいはあまりに急な坂道に辟易してそれどころではないのか。中景に雲が漂っているためにはっきり見えないが、眼下には渓谷が広がってvいるのであろう。遠くには富士山がその雄大な姿を見せ、見晴らしの良い空間が表出されている。

さて、実際の犬目峠付近の風景を考えるて見ると、この辺りの道は山深い場所のはずである。そのため眺望の開けた場所であっても、この絵のように他の山に遮られることなく富士山を望むことは出来なかっただろう。

日野原健司編「北斎 富嶽三十六景」 岩波書店 2019年刊」より部分引用より引用





(2)甲州街道史跡案内図に犬目峠は有りません。


2015.11.21の扇山登山のついでに、前から気になっていた葛飾北斎「富嶽三十六景 甲州犬目峠」、歌川広重「不二三十六景 犬目峠」に描かれた富士山を眺めることにした。殆ど下調べはせず、犬目バス停に行けば、犬目峠はわかるだろうと思っていた。9:00に犬目バス停に降りて左側の下鳥沢宿に向け青い空の下の甲州街道を歩いた。バス停の右側に犬目宿の史跡がある。少し進むと、道の傍らに大きな上野原町教育委員会制作の「甲州街道史跡案内図」が有りました。

上野原宿-鶴川宿-野田尻宿-犬目宿-(恋塚一里塚)までの、甲州街道周辺の史跡、名所が記載されてます。



甲州街道史跡案内図


犬目宿の左側にある寶勝寺付近の案内図
>


近づいて犬目宿付近をじっくり眺めましたが、
犬目峠は有りません


甲州街道史跡案内図の拡大図



道の案内板は上野原町教育委員会制作ですので、犬目峠がこの地図にないということは、現在犬目峠がどこにあるかは不明ということです。 この「犬目峠」は葛飾北斎の「富嶽三十六景 甲州犬目峠」でも描かれており、著名な地名です。しかし、ここが葛飾北斎と歌川広重が描いた「犬目峠」です、という石柱もありません。江戸時代の浮世絵の2大巨匠が描いた峠が現在消えています。


せめて、「犬目峠はこの辺にあると言われていますが、はっきりした場所は特定されていません」と一言書いてもらいたいと思いました。

その日は、甲州街道を歩き富士山の眺めの良い処を見つけ、そこからの富士山を撮影して、扇山に登りました、


(3)犬目峠の候補地


関東富士見百景 犬目地区内 遠見

犬目地区は、旧甲州街道の犬目宿として栄え、葛飾北斎の富士三十六景のひとつに甲州街道犬目峠が描かれています。犬目地区遠見(とうみ)は地名の通り、富士山を遠く四方を見渡すことができ、天気良ければ、左右に裾野を引いた雄大な富士山が年間を通じて望めます。南の方向には、丹沢連邦が見え、展望が良い場所です。



遠見は、地元で北斎が「犬目峠」を描いた場所と言われており、他の解説書にも出てきます。


②甲州街道の案内図の手前で入った 寶勝寺の慈母観音のよこにある説明板に『葛飾北斎「富嶽三十六景」歌川広重「不二三十六景」の富士山はこの辺りから描いたと言われております。・・・・』とあります

「この辺り」を「宝勝寺の境内」ではなく、「野田尻宿と下鳥沢宿の間」と受け止めます。


  宝勝寺境内の慈母観音 

宝勝寺境内の慈母観音
 慈母観音横からの景色

慈母観音横からの景色
   慈母観音横の説明板

慈母観音横の説明板


③宝勝寺と恋塚一里塚の間の君恋温泉からも富士山が見られます。

この君恋温泉は旧甲州街道の最も高い所にあり犬目峠の候補です。


君恋温泉からの富士山

君恋温泉の看板前からの富士山



君恋温泉からの富士山

君恋温泉からの富士山


④君恋温泉からさらに下鳥沢方面へ進み、「恋塚一里塚」の先で富士山と周辺の山が最もよく見えるところを見つけました。
富士山は九鬼山と高畑山の尾根の上にいます。富士山の中央下に杓子山と鹿留山の山頂部が見えています。九鬼山の山並みの前に桂川はありません。桂川が見えるのは鳥沢に下った後です。



」の先の富士山展望地からの富士山


「恋塚一里塚」の先の富士山展望地からの富士山と九鬼山、高畑山、倉岳山、大室山







「恋塚一里塚」の先の富士山展望地からの富士山と九鬼山




(4)犬目峠の探索


犬目峠は現在の国土院地図や登山用地図にも記載されていません。江戸時代の浮世絵師の二大巨匠が描いた犬目峠ですが、江戸時代に設置された地名入りの石柱がないため、犬目地方の人もここが犬目峠と限定する地点がありません。そこで、素人の当方が犬目峠はどこかと探すことにしました。

詳細は当サイトの「歌川広重の三枚の「甲斐犬目峠」、その「犬目峠」はどこにある2」をご覧ください



犬目峠の候補地の地図と標高図

現在、犬目地方の標高図と江戸時代に書かれた「旅日誌」、甲斐志料などから、旧甲州街道の二つの場所が犬目峠の候補地としてあります。

野田宿-犬目宿-下鳥沢宿の間で、登り下りのある坂道の一番高いところが犬目峠候補地になります。標高図を見ると地図に記載したニ箇所が犬目峠候補地になります。

犬目峠候補地①は、野田尻宿と犬目宿の間にある矢坪坂の頂。
犬目峠候補地②は犬目宿と下鳥沢宿の間にある君恋温泉付近。

地図に記入した地名は「・・・宿」以外、現在の地名です。この区間に、犬目峠はもちろん「〇〇峠」の地名はありません。




旧甲州街道 野田宿-犬目宿-下鳥沢宿の地図

旧甲州街道 野田宿-犬目宿-下鳥沢宿



上図の赤線の旧甲州街道をカシミールで標高を求める

上図の赤線の旧甲州街道をカシミールで標高を求める



吉田兼信の「甲駿道中之記」、文政13年(1830年)。 〈 野田尻宿→犬目宿→鳥沢宿 〉

「甲駿道中之記」は、土浦藩主土屋家の家臣吉田兼信が文政13(1830)年武田勝頼、土屋惣蔵の二百遠忌に景徳院に詣で身延・静岡を経て土浦へ帰着するまでの紀行日記です。

「矢坪、犬目の驛過、犬目峠有、けわしき岩山なり、嶺上より冨士嶺を望、絶景の地なり、峠を下りて鳥沢の驛なり、・・・・」

犬目峠に関する情報は「犬目峠は犬目驛と鳥沢驛の間にあり、その嶺の上から富士山が見える」だけですが、「犬目峠」の文字で記載している、唯一の史料です。


犬目地方の標高図と吉田謙信の「甲駿道中之記」等から犬目峠は君恋温泉が有った処と推察しました。

尚、歌川広重の「甲州日記」では、「犬目峠」は野田尻宿と犬目宿の間にあり、そこに座頭ころばしの道」もあると記載していますが、広重の勘違いのようです。



(5)北斎の「富嶽三十六景 甲州犬目峠」


葛飾北斎の「富嶽三十六景」は江戸、甲州、駿河から富士山を眺め、各地の多彩な富士山と風景と民衆の営みを描いた作品と思っていた私にとって、「甲州犬目峠」の富士山は大きな驚きでした。何ゆえ北斎は「甲州犬目峠」で、これほど実際と異なる富士山を描いたか。この富士山を見て、どこから眺めた富士山かを当てることができない富士山です。富嶽三十六景は旅案内本の役割があるとしたら、これをみて犬目峠からの実際の富士山を眺めた読者から苦情、罵倒の声ががなかったのか。

そのあと、「富嶽三十六景」の他の作品を調べていき、「北斎は読者の求める富士山を描いた」と推論しました。そのため、「青山圓座枩」では、山中湖から眺めたような大きな富士山を青山まで持ってきました。「甲州犬目峠」では、江戸から長い道のりを歩いてきた富士講信者が求める富士山を描いたと思います。富士山の麓から木花咲耶姫があらわれて、旅人を歓迎してくれそうな優雅な富士山です。


>北斎「甲州犬目」の富士山と甲州街道犬目宿付近からの富士山の違い
<

   甲州街道犬目宿付近からの富士山  北斎「甲州犬目」の富士山
富士山


 

北斎「甲州犬目」の富士山
斜面傾斜角度はほぼ30度  斜面傾斜角度はほぼ45度
山頂部は平坦で右端部に白山岳の突起がある 山頂部は中央部に突起がある古典的な三峰構造
すそ野の両端は九鬼山の尾根に隠れる
 すそ野は手前の山に隠れず横に広がる
富士山本体は宝永山の中腹まで見え、
中央下に鹿留山・杓子山が見える
富士山本体は中腹よりかなり下まで描かれていおり、
、中央下に鹿留山・杓子山は無し
山体の左側に宝永山の段差が見える 宝永山の段差は無い
吉田大沢が中央部右にある 吉田大沢は不明、もしくは中央か
富士山の後ろに山、森はない 富士山の後ろに山か森がある


北斎は、峠と富士山の簡略化した構図で富士山を徹底的に実際と異なる富士山で描きました。広重は、大胆に実際には見えない桂川を持ってきて、富士山はほぼ忠実に描きました。実際には見られない富士山のいる景色という観点からは、甲乙つけがたしです。浮世絵で風景を見る場合、実際に見えていたものは何かという観点が必要になります。

この犬目峠の富士山を見て驚き、他の「富嶽三十六景」の富士山をじっくり眺め、探索するきっかけとなりました。













北斎の「富嶽三十六景 甲州犬目峠」の富士山





北斎の「甲州犬目峠」のような富士山が見られる山は、御坂山地の雪頭ヶ岳です。北斎は行っていないと思います。


雪頭ヶ岳からの富士山




このゆったりとして優雅な富士山の横幅だけを72.4%に縮小します。



横幅を72.4%縮小した雪頭ヶ岳からの富士山



北斎「甲州犬目峠」と実際の横幅を縮小した富士山を重ね合わせします。二つの富士山を合わせるため全体の大きさを調整します。また、「甲州犬目峠」の富士山は峠の傾きに対応してすこし左に傾いていますので、5度ほど右に傾けると左右対称の富士山になります。

両方の中腹までほぼ同じような形状です



北斎「甲州犬目峠」と実際の横幅を縮小した富士山を重ね合わせ



山頂部はほぼ同じです


北斎「甲州犬目峠」と実際の横幅を縮小した富士山を重ね合わせた山頂部



左が横幅を72.4%縮小した雪頭ヶ岳山頂部右が北斎「甲州犬目峠」の富士山山頂部      


横幅を72.4%縮小した雪頭ヶ岳山頂部          北斎「甲州犬目峠」の富士山山頂部




もとの雪頭ヶ岳山頂部



もとの雪頭ヶ岳山頂部 












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