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山歩きでの富士山錯視 1 御坂黒岳で富士山を眺める 2008.11.14 12:18 初めて御坂黒岳の展望台から富士山を眺めた時の画像です。背中に、感動と喜びを感じます。左の息子の背中にも喜びを感じます。
実はここでの感動はつぎのように特別でした。 黒岳展望台で、唐突に富士山のいる大展望が目の前に広がった。絶句して、息を呑み、ジーーと見事な富士山を見ているうちに、胸の中で何かがはじけたようである。その時思った、多くの山から富士山を眺めてみたい。 撮影者は相棒さんです。よくぞ撮影したと感謝。 ![]() ![]() 2 御坂黒岳から富士山を眺める 2014. 11:58 黒岳展望台からはこのように見えます。展望台の先端で、富士山を眺めているのは私です。背中に富士山を眺める喜びが溢れています。胸の中で大きな声を発しているようです‥、と思ってしまいます。 ![]() 3 清八山で富士山を眺める 2011.10.17 11:57 シルエット状の富士山を眺める人物の背中から、静かに満ちてくる喜びが感じられます。素晴らしい状況で富士山を眺められる喜びです。リックを降ろす前に富士山を眺めているようです。 ![]() 4 矢倉岳の山頂から5分ほど下った富士山展望地で富士山を眺める 2012.5.17 11:17 5月の緑の樹木に囲まれ、立ち止まって富士山を眺める人物の背中から、溢れてくる喜びが感じられます。 ![]() 5 大蔵高丸で富士山を眺める 2013.5.5 9:47 背中からは中途半端な感情が出ています。富士山山腹に雲がかかっています。惜しい。しばらく待ったが雲は流れてくれない。 ![]() ![]() 6 九鬼山の天狗岩で富士山を眺める 2013.12.16 14:37 残念ながら薄い雲に覆われて富士山は見えません。富士山の方向を眺める、三原色のニット帽をかぶった男性(私です)の背中に哀愁が漂ってます。悔しそうに富士山の方向をジー――と眺めています。 ![]() 上の写真を見ると、富士山が見えずに男性は未練がましく富士山の方向を眺めているように思ってしまいます。 しかし、実際にはこのように黄昏前の富士山が見えていました。カメラの設定の違いで上の写真では写らなかったようです。 ![]() そこで、二つの写真を合成すると富士山を眺める男性の写真が出来上がります。箱庭のようなところに富士山がいる幻想的な景色です。男性の背中にはこの景観に魅せられてしっとりとした喜びが満ち溢れています。 富士山錯視です。 この天狗岩は九鬼山の登山コースから外れて5分ほど歩く必要がありますので見逃さないでください。 ![]() 7 姥子山から富士山を眺める夫婦です。2014.11.13 10:08 この日は温度は10℃ほどですが、日ざしが気持ちがよく姥子山山頂で90分ほどいたので。珍しく三脚で後ろ姿まで撮影しました。 富士山錯視が見事に表れた写真です。二人の背中には、静かに溢れてくる喜びが感じられます また、二人の背中を撮影したことで、富士山錯視に新たな発見が有りました。 ![]() 男性の背中と女性の背中に喜びが満ちているのはわかりますが、それに加えて同じ場所、同じ時間に富士山を眺めている男性と女性の間に共通の喜びがあり、連帯感が感じられます。二人は同じ富士山を眺めているという同じ喜びを持つ仲間と思ってしまいます。 実際の二人の気持ちはわかりませんが、画像を見る限りそのように思ってしまいます。富士山錯視の二つ目の効用です。 ![]() 富士山を消してしまうと、富士山錯視が無いため、二人の背中から出ている感情の表現に迷ってしまいます。 「雄大な景色だ〜 いいね」はでてきますが、喜びが満ちてくるまではいきません。「今日の登りはきつかったね、この後の下りも厳しいようだ」まで、かんじててしまいます。富士山を眺めている時の画像では、このような気持ちは出てきません。 ![]() 通常の富士山を背景にした記念撮影では富士山錯視は現れません。姥子山に登って快晴の空の下で素晴らしい富士山を眺めた、という感情は感じられますが、体から喜びが溢れてくるかんじは有りません。 富士山を入れる記念撮影は、人物が富士山を眺めている構図で行うのが正しい撮影であることがわかりました。特に60歳過ぎの夫婦には最適です。いまそれがわかったので、残念ながら、二人で登った富士山錯視の有る記念撮影はこの姥子山だけです。 ![]() この富士山錯視の発見により、北斎の「富嶽三十六景」と広重の「冨士三十六景」の違いがわかりました。 |