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安藤広重「冨士三十六景」と富士山錯視 広重は「富士山錯視」を殆ど無視して「冨士三十六景」を描いています。「冨士三十六景」の作品で、富士山を眺めているのは「甲斐御坂越」の旅人と「下総小金原」の馬だけです。 以下に示すように、富士見茶屋、鳥居の富士山、桜と富士山、屋形船からの富士山、濱歩きと富士山という富士山を眺める設定がなされた場面でも登場人物は富士山を眺めません。そのため、登場人物を見ても視線は富士山へは移動しません。日常生活において富士山は眺めるものではなく、富士山に見守られて日常の生活を行うことが大事ですと広重は言っているのでしょうか。 描かれた人物が富士山を眺めないという画面の、納得する解釈が難しい。 広重は、あえて北斎の描く富士山を眺めて喜ぶ人物を描かず、縦長の長判を用いたのは、北斎と異なる富士山の連作に挑戦したためと推察します。 1 広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」 甲府盆地から御坂峠を登り、その頂上を越えたところから河口湖と富士山が見えた。旅人は正面に見える富士山を眺めている。見ているところが峠の山頂か、河口湖周辺の小山かは、ここでは検討しません。の上か 山道を歩いてきた旅人の背中には、富士山を眺めている喜びが溢れています。見事な富士山だと感動している気持ちが伝わyてきます。広重が「富士山錯視」を用いた貴重な作品です。
富士山を眺めている人物の背中に喜びを感じるのが、「富士山錯視」です。 やはり富士山がいないと背中の喜びが消えています。反対に旅の哀愁が漂っています。
2 広重「富士三十六景」の富士山を眺めない登場人物」 (1)「雑司かや不二見茶や」 (2)「相模江ノ島入口」 画面中心部に富士山へ向けて立っているのに首を右側に向けて富士山を見ていません。
(3)東都両ごく (4)東都墨田堤 富士山を眺めるには絶好の季節ですが、女同士の会話のほうが大事で富士山を見ていません。
(5)相模七里か濱 七里ヶ浜を親子で歩けば、あれが富士山、その下が江ノ島と教えながら歩くのが普通ですが、そのようにはしていません。 5作品をみていると「どうして富士山を見ないの」だと、文句を言いたくなります、 (6)下総小金原の親馬は富士山に尻を向けていますが、仔馬は富士山を眺めています。富士さんも仔馬さんを見守っています。この部分にはとても良い雰囲気が漂っています。馬にも富士山錯視は適用できます。
3 安藤広重「不二三十六景」 最初に1852年に出版された「不二三十六景」では登場人物は少なく、描かれる人物は小さいため、明らかに富士山を眺めている人物はおらず、見ているかもしれない人物は二、三人です。 「不二三十六景 東都目黒千代が崎」 下側の三人が富士山方向を見ていますが、富士山を見ているか、松林を見ているか、目黒川を見ているかはっきりせず、「富士山錯視」は起こらない。 ![]() ![]() 完 |