2 実像は夏の富士山、虚像は冬の富士山 | ||||||||||||||||||||||||||||||
2-1 自由な発想で虚構の景観 この「甲州三坂水面」の逆さ富士は、自由な構図で虚構の景観を作り、次の二点で見るものを驚かせます。 (1)実際の湖面に映る逆さ富士は線対称の富士であるが、「甲州三坂水面」では点対称の逆さ富士になっている。 (2)実像の富士山は夏の富士山であるが、水面の虚像の富士山は冠雪した富士山 ![]() 葛飾北斎 富嶽三十六景 甲州三坂水面 1831-34年(天保2-5年)
ウィキペディア 「逆さ富士」より引用
2-2 冠雪した冬の富士山 この夏と冬の富士山が同一画面にある風景には、驚きました。北斎は、実際にはありえない風景を平然として描いています。
この作品で「富嶽三十六景」とは、単なる名所図会ではなく、北斎のいろいろな「企み」を含んだ連作であり、その「企み」を見つけて理解するのが作品鑑賞の重要な一項目であると思います。その「試み」を挙げます。 (1)「甲州三坂水面」の夏と冬の富士山は、北斎の「遊び心」
この「遊び心」が読者を喜ばし、作品の売り上げが増えて、版元の西村屋与八も喜ぶ。富嶽三十六景は単に芸術作品に溢れた連作集ではなく、このような奇抜の試みが、読者に受けられる商業的な作品集です。 (2)日本絵画の「四季絵」の伝統を受け継ぐ作品 同一画面に各季節の風景を描いたのは、北斎が始めてではありません。日本画には「四季絵」という、春夏秋冬の自然や人事・風俗の移り変わりが一目で見られるように屏風や障子などに描いた絵画があります。 平安時代、和歌を主題にした屏風絵、障子絵の流行は、四季おりおりの自然や人事を詠じた和歌の内容を趣深く描き出す四季絵を生み、一年12ヶ月の月々の行事、景趣を描き分けた月次絵とともに、大和絵の主要な題材となりました。 著名な作品としては「日月山水図屏風」(作者不明、室町時代)があります。 画面真ん中の海を中心に春夏秋冬が循環している。春の山と夏の山の間に丸い太陽があり、秋の山と冬の山の間に欠けた月がある。そして夏と秋、冬と夏の間には雲。つまり季節の変わり目に太陽、月、雲を配置。 ![]() ![]() 紙本著色日月四季山水図 (作者不明、室町時代)
画狂老人の前北斎為一は、さらに発展し、浮世絵の風景画で実像と水面の虚像に夏と冬の富士山を描いた。 (3)空間的多視点と時間的多視点の作品 北斎は浮世絵で空間的な多視点で風景を描いた最初の画家と思います。世界的に見ても、近代画ではセザンヌが遠近法を否定し、多視点描画法を用いて静物や風景を描きましたが、そのセザンヌより先に多視点で風景画を描いています。 「富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略圖」の三井見世の建物は、この時代としては驚くべき技法で描かれています。二つの視点から三井見世の建物を描いています。画面ほぼ中央の「視点」から本店の屋根、本店看板の屋根と支店看板の屋根を描き、画面の左側の「視点2」から三井支店の屋根を描いています。 上図より30年ほど前の「阿蘭陀画鏡 江戸八景 駿河町」では、なんと4個の視点で駿河町を描いていました。 ![]() 葛飾北斎 「富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略圖」の視点 1831-34年(天保2-5年) 富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略圖- Wikipediaより引用 ![]() 阿蘭陀画鏡 江戸八景 駿河町 (文化初期 1804年) 阿蘭陀画鏡 江戸八景 駿河町 | ToMuCo - Tokyo Museum Collectionより引用 北斎の多視点描画による驚くべき作品は「諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」(天保4年 1833年)です。瀧は、正面からの視点1と上部からの視点2で描かれています。視点1から描いた白抜きの瀧の流れの上の丸い空間に、視点2から眺めた川の流れが描かれています。ピカソが始めたキュービズの原点となる作品と言われています。 ![]() 二つの視点から描いた「阿弥陀ヶ瀧」を見た後に、次のように思いました。 「阿弥陀ヶ瀧」は二つの空間的視点から描いた作品で、「三坂水面」は二つの時間的視点から描いた作品です。
画狂老人の前北斎為一は単なる「遊び心」だけではなく、二つの「時間的視点」を「三坂水面」に取り込む試みを意欲的に行いました。
![]() 富嶽三十六景「甲州三坂水面」の「時間的視点
日本絵画の「四季絵」の伝統を受け継ぐ作品と同じ推察ですが、時間的視点の観点からまとめました。 2-3 甲州三坂水面の実像と虚像の富士山 「甲州三坂水面」は、河口湖畔の太石公園周辺といわれています。太石公園からの富士山を下に示します。 ![]() 「甲州三坂水面」の実像と虚像の富士山は太石公園から眺める実際の富士山と異なります。 実像の富士山は、河口湖からの富士山に比べると、山頂部が尖り過ぎており、吉田大沢が長すぎます。 虚像の富士山も、河口湖からの富士山に比べると、山頂部が丸く、山体もたおやかです。
(1)「甲州三坂水面」の実像の富士山 実像の富士山と太石公園からの富士山 実像の富士山は、太石公園からの富士山に比べると、 ①吉田大沢に比べ、実像の富士山の沢が長い。 ②太石公園からの富士山の横幅を圧縮して山頂部の形状を合わせると、実像の富士山の左のすそ野部が広い。 ③実像の富士山の山頂部が尖り過ぎている。 大石公園からの富士山 2014.12.27 16:26 ![]() 大石公園からの富士山 吉田大沢を薄赤色に着色 ![]() 甲州三坂水面の実像の富士山と大石公園からの富士山の重ね合わせ
「甲州三坂水面」の実像の富士山に似た形状の富士山を探しました。 三ツ峠山からの富士山 横幅だけを57%にした三ツ峠山からの富士山が「甲州三坂水面」の実像の富士山とかなり一致します。 しかし、富士山山頂部が平坦で、澤の長さ短く、「甲州三坂水面」の実像と異なります。 ![]() 三ツ峠山からの富士山 ![]() 甲州三坂水面の実像の富士山と三ツ峠山からの富士山の重ね合わせ
白鳥山からの富士山 富士山で最も長い沢は「大沢崩れ」です。その大沢崩れが左側の同じ所にに見える富士山を示します。富士山の南西にある白鳥山からの富士山です・ 白鳥山からの富士山と「甲州三坂水面」の実像を比べます。 ①大沢崩れの沢の険しい形状も似ており、沢の長さは「甲州三坂水面」の実像の沢の長さの7割ぐらいあります。 ②横幅だけを52%にした白鳥山からの富士山形状は宝永山の凸部を除きかなり一致しています。 ③白鳥山山頂のの三峰構造は各地からの三峰構造の中で最もとがった構造をしており、甲州三坂水面の実像の富士山山頂部の三峰構造とかなり一致しています。 以上の検討から甲州三坂水面の実像の富士山は、富士山の南西部からの富士山を参考に描かれたと推察します。 ![]() 富士山の南西にある白鳥山からの富士山 2015.03.18 ![]() 甲州三坂水面の実像の富士山と白鳥山からの富士山の重ね合わせ
(2)「甲州三坂水面」の虚像の富士山 太石公園からの富士山 太石公園からの富士山を、虚像の富士山に比べます。 ①山頂部を合わせると、太石公園からの富士山の両側のすそ野の広がりが大きい。 ②太石公園からの富士山の山頂部の凸凹部が大きい。 ![]() 甲州三坂水面の虚像の富士山と大西からの富士山の重ね合わせ
雪頭ヶ岳からの富士山 富士山展望の山の中で、最もたおやかな富士山です。 雪頭ヶ岳からの富士山を、虚像の富士山に比べます。 ①山頂部を合わせても、雪頭ヶ岳からの富士山の両側のすそ野の広がりはかなり一致します。 ②雪頭ヶ岳からの富士山の山頂部はゆるい三峰構造で、最も虚像の丸井山頂部に近い。 これより、 「甲州三坂水面」の虚像の富士山に最も似ている富士山は、雪頭ヶ岳からの富士山です。 北斎がこの方面から富士山を眺めたか否かは不明です。 ![]() 雪頭ヶ岳からの富士山 ![]() 甲州三坂水面の虚像の富士山と雪頭ヶ岳からの富士山
2-3 空間的多視点で描いた「甲州三坂水面」 「富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略圖」の多視点とは異なりますが、「甲州三坂水面」は空間的多視点で描いた作品と思います。 視点1:富士山を眺めた場所は河口湖湖畔の太石公園付近 視点2:実像の富士山は、白鳥山からの富士山 視点3:虚像の富士山は雪頭ヶ岳からの富士山
「甲州三坂水面」は時間的多視点と空間的多視点により描かれた作品です。
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