御 坂 峠 は ど こ に あ る




1 正規な地名の御坂峠はどこにある



1.1 登山地図と地名表示板に二つの御坂峠

図1の「昭文社 山と高原地図25 大菩薩嶺 2017年版 (A)大菩薩嶺」には、御坂山の西側と東側に「御坂峠」が二つあります。
この地図は登山するときは、必ず必要な部分を複写して持っていく地図です。ほぼ2㎞の間に二つの御坂峠があるため、相棒さんとコースの話をすると、「それはどっちの御坂峠」と聞き返し、なかなか先に進めません。

二つの御坂峠が記入された場所、地名を、ここでは便宜上「西の御坂峠」と「東の御坂峠」として話を進めます。
御坂山と御坂黒岳の間にあるのが「西の御坂峠」、御坂山の東側にある天下茶屋付近が「東の御坂峠」です。



図1 昭文社 山と高原地図25 大菩薩嶺 2017年版 (A)大菩薩嶺の御坂山周辺


図1 昭文社 山と高原地図25-大菩薩嶺-2017年版-(A)大菩薩嶺の御坂山周辺



「西の御坂峠」と「東の御坂峠」には、それぞれ図2、図4のような地名表示板があります。また、「西の御坂峠」には「御坂茶屋」があり、「東の御坂峠」には「天下茶屋」があります。



西の御坂峠  東の御坂峠  

図2 西の御坂峠頂上の「御坂峠」表示板

図2 西の御坂峠頂上の「御坂峠」表示板


東の御坂峠頂上の「御坂峠」表示板

図4 東の御坂峠頂上の「御坂峠」表示板


西の御坂峠頂上

図3 西の御坂峠頂上 

現在使われていない「御坂茶屋」と「御坂峠」表示板

東の御坂峠頂上

図5 東の御坂峠頂上

天下茶屋と「御坂峠」表示板と「御坂隧道




1.2 二つの「御坂峠」が出た経過


二つの「御坂峠」が出現した経過を説明しているWikipediaの「御坂峠」を引用します。記述が複雑で、最初に読んだときには理解できませんでした。そのため、赤字で注釈を加えています。



御坂峠

御坂峠(みさかとうげ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町と同県笛吹市御坂町にまたがる峠。鎌倉往還御坂路のルート上にある。御坂の名は日本武尊が東国遠征の際に越えたことに由来するとされる。
(
西の御坂峠)


 旧峠

富士吉田側と甲府盆地側にまたがる御坂山地の御坂山(1596 m)と黒岳 (1793 m) との中間付近に所在する (1520 m) 。御坂隧道開通まで、富士吉田側と甲府盆地側の行き来は徒歩により御坂峠を越えなければならなかった。
(西の御坂峠)

御坂隧道

御坂隧道(笛吹市側)
御坂山と国道137号新御坂トンネルの東に位置する山梨県道708号富士河口湖笛吹線のトンネルで、延長は396 m。県道となる以前は国道137号に指定されており、国道137号の旧道トンネルでもあった。トンネル内は薄暗く、勾配があって先を見通せない。

旧道路法により旧峠より2 kmほど東の位置に1931年(昭和6年)、御坂隧道を含む旧・国道8号(現在の国道20号)が開通した。のちに御坂隧道を通り甲府と富士吉田を結ぶ路線バスも運行され交通の便は飛躍的に向上した。1952年(昭和27年)、新道路法制定に伴い旧・国道8号が国道20号に変更された際に、国道のルートは御坂峠越えから笹子峠(大月市・甲州市)越えに変更される。1953年(昭和28年)には現在の国道137号として指定された。
(トンネルも、国道も新旧があり複雑。隧道=トンネル)

以後、「御坂峠」の呼称は御坂隧道の富士吉田側入り口地点(標高1300 m)付近を指すようになる。また、古道の峠を「旧御坂峠」、御坂隧道の峠を「新御坂峠」と分けて呼称する場合もある。
(東の御坂峠の出現。西と東の御坂峠)

1994年(平成6年)11月20日に後述の御坂トンネル有料道路が無料開放・国道指定されたのに伴い、国道指定を解除され、県道富士河口湖笛吹線のトンネルとなった。

新御坂隧道を含む新道が開通後、ほとんどの交通は新道経由にシフトしたが、旧御坂隧道と旧道はすべて残されている。 御坂隧道は1997年(平成9年)には登録有形文化財に登録された。富士河口湖側のトンネルの出口に、太宰治が滞在したことでも知られる峠の茶屋「天下茶屋」がある。
(古道は西の御坂峠の道。旧道は、東の御坂峠の道。新道は新御坂隧道を含む道。)
(新御坂トンネル=新御坂隧道  旧御坂隧道=御坂隧道)
御坂峠

御坂隧道からの眺望

御坂隧道からの眺望


画像は東の御坂峠からの富士山

所在地 山梨県南都留郡富士河口湖町
        ・笛吹市

座 標 :
北緯35度33分23秒
東経138度45分49秒

標 高: 1520 m

座標と標高は西の御坂峠


山系 :御坂山地

通過路:

国道137号(新御坂トンネル)
(西の御坂峠)
山梨県道708号富士河口湖笛吹線      (御坂隧道)

東の御坂峠)




Wikipediaの「御坂峠」から引用
赤字は当方が記入
 



引用したWikipediaの「御坂峠」は「西の御坂峠」と「東の御坂峠」と「御坂峠」が混合して、更に「御坂トンネル」と「新御坂トンネル」が加わり、とてもわかりにくい。当方の解釈で、次の様に纏めた。


(1)昔からあった「御坂峠」は黒岳と御坂山との中間にある「西の御坂峠」である。この御坂峠は鎌倉往還御坂路のルート上にあり、1931年まで「御坂峠」は「西の御坂峠」だけであり、富士吉田側と甲府盆地側の行き来は徒歩によりこの「御坂峠」を越えなければならなかった。

(2)1931年(昭和6年)に「西の御坂峠」より2 kmほど東の位置に、御坂隧道(御坂トンネル:延長396m)を含む旧・国道8号(現在の国道20号)が開通した。後に御坂隧道を通り甲府と富士吉田を結ぶ路線バスも運行され交通の便は飛躍的に向上した。
そのため、御坂隧道の富士吉田側入り口地点(標高1300m)付近を新たに「御坂峠」とした。天下茶屋がある「東の御坂峠」の出現です。
*しかしこの御坂峠の命名は、誰がしたかは不明。史料としては、「御坂峠頂上天下一茶屋発行」の絵葉書があるのみ。御坂国道バスと御坂峠と太宰治 : 峡陽文庫

(3)古道の峠の「西の御坂峠」を「旧御坂峠」、御坂隧道の峠の「東の御坂峠」を「新御坂峠」と分けて呼称する場合もある。




「西の御坂峠」と「東の御坂峠」の峠名の経過


図6 「西の御坂峠」と「東の御坂峠」の峠名の経過




Wikipediaの「御坂峠」の以下の解説が納得できません。

『以後、「御坂峠」の呼称は御坂隧道の富士吉田側入り口地点(標高1300 m)付近を指すようになる。また、古道の峠を「旧御坂峠」、御坂隧道の峠を「新御坂峠」と分けて呼称する場合もある。』


そこで、次の二点を調べました。

(1)誰が御坂隧道の富士吉田側入り口地点の「東の御坂峠」を「御坂峠」としたのか。実際にそのようになっているのか。
(2)誰がどこを「御坂峠」、「旧御坂峠」、「新御坂峠」としているか


そこで、はじめに山や峠の名前は誰が決めるのかを調査して、その後に「西の御坂峠」と「東の御坂峠」は現在どのように呼ばれているかを検討しました。




1.3 地名は誰が決めるのか

日本の地形、地名の管理元と思われる国土地理院のHPに、以下の記載が有ります。




Q2.19:地名は,誰が決めるのですか?

A2.19

行政名や居住地名は,各市町村で決めています.


なお,国土地理院が刊行する地図並びに海上保安庁海洋情報部が刊行する水路図誌及び航空図誌に記載する地名等について統一することを目的として,昭和35年に「地名等の統一に関する連絡協議会」が設置され,自然地名及びこれに準じる地名等の呼び方及び書き方について統一が図られています.
我が国の行政,居住,自然,海底地形等の標準化された地名情報については,「地名集日本」(2007)に,まとめられていますのでご覧ください.



また、日本学術会議から「報告 地名標準化の現状と課題」が出されています。

「報告 地名標準化の現状と課題」

現状及び問題点

(1) 国内の地名

国内の地名は自然地名のように国土地理院及び海上保安庁が現地調査によって確認し、あるいは地方公共団体の申請を受け調整・決定し、日本の地図及び海図に記載するものもあるが、大部分は事実上、各地方公共団体が歴史的地名として継承し、住居表示に関する法律(昭和 37 年5月 10 日法律第 119 号)の施行や市町村合併など行政区画の変動、更には地域計画・開発の実施に際し、これを変更し決定する。

これに対し、総務省、国土交通省、文部科学省などは各々が独自に対応し、国としての統一的な対応はなされていない。地名は本来、国民全体の文化的歴史的共有財産であるにも関わらず、地方公共団体が個別に命名権を保持し、私企業が駅名や施設名など地名表記に関わる場合のガイドラインはない。地名表記は漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字など多様であるが、使用方法についての明確な基準を策定する機関を欠くため、教育・文化行政において地名表記が統一されておらず、教育現場にも影響を与えている。




上記二点の記載から「地名はその場所を管理している各市町村で決めている」ことががわかりました。
また、行政名や移住地名(山の名前を含む)も各市町村で決めています。
しかし、総務省、国土交通省、文部科学省などは各々が独自に対応し、国としての統一的な対応はなされていないようです。

合併などで地名が変わると、地名も変わります。隣の各市町村に同じ地名があってもその地名をつけてはいけないという法律はないようです。そのため、「黒岳」は、13山ほど有ります。

特許庁が管理している「商標」のように、国土地理院がその地名を登録制度で管理して、法律で保護しているわけではないようです。
*「商標」は、法律で保護されており他の者には使えません。「ホテルニューオータニ」はその商標権をもっているものしか使用できません。勝手に自分の建物を「ホテルニューオータニ」とすることはできません。この商標権は「特許庁」が管理しており、特許庁が審査して登録します。


「地名集日本」は、国土地理院が刊行する地図並びに海上保安庁海洋情報部が刊行する水路図誌及び航空図誌に記載する地名等について統一することを目的とする地名集ですから、他の地図などへの強制力は持ちません。その「地名集日本」には「御坂山 (みさかやま)」は有りますが、「御坂峠」はありません。「御坂峠」はまだ標準化されていないということか。


国土地理院地図の御坂峠

国土地理院地図は、各市町村が決めた地名を地図上に記載していることになります。
図7の国土地理院が刊行する御坂山周辺の地図には、「西の御坂峠」に「御坂峠」の表記があり、「東の御坂峠」には一切の表記がありません。「東の御坂峠」の地点を「御坂峠」と認定している市町村はないため、国土地理院は「東の御坂峠」を「御坂峠」としては認めていないようです。



図7 国土地理地図の御坂山周辺


図7 国土地理地図の御坂山周辺 (国土地理院地図 2020.10.20)より引用




1.4 峠の管理元の笛吹市と富士河口湖町のHPを調べる


「西の御坂峠」は富士河口湖町と笛吹市にまたがるとされているので、その両方が管理していることになります。
「東の御坂峠」を天下茶屋辺りとすると、富士河口湖町が管理しています。富士河口湖町と笛吹市の制作した地図、観光案内に「御坂峠」の記載があればその地点が、正式な地名と考えられます。


笛吹市のHPのハイキングコース案内に、図8のように「御坂峠」の記載があります。
笛吹市のハイキングの「御坂峠コース」では、「西の御坂峠」が「御坂峠」、「東の御坂峠」は天下茶屋となっています。笛吹市は、「西の御坂峠」を「御坂峠」としているため、「東の御坂峠」は天下茶屋としています。
現在、御坂峠から富士山が見えないため、富士河口湖町にある天下茶屋からの富士山を載せて、天下茶屋に滞在した太宰治を記載しています。


図8 笛吹市のハイキングコース 5 A.黒岳コース B.御坂峠コース(PDF:679KB)5 A.黒岳コース B.御坂峠コース


図8 笛吹市のハイキングコース 5 A.黒岳コース B.御坂峠コース(PDF:679KB)5 A.黒岳コース B.御坂峠コース

笛吹市のHP -登山・ハイキングコースガイド -5 A.黒岳コース B.御坂峠コース(PDF:679KB) より引用



富士河口湖町のHPのサイト内の頁では、「御坂峠」が記載されている地図、文章を確認できません。

しかし、「富士河口湖町HP」-「富士河口湖町ご案内」-「観光情報」をクリックすると次のサイトにいきます。
一般社会法人富士河口湖町観光連盟の富士河口湖 総合観光情報サイト」。
そこにある「御坂山塊ハイキングコース」のページでは、地図は有りませんが、次の様に「西の御坂峠」が「御坂峠」、「東の御坂峠」は「天下茶屋」となっています。


備考1
①天下茶屋で下車したら、太宰治文学碑がある茶屋周辺の遊歩道から御坂山をめざす。それほどきつくはなく、最後の急な坂を登れば御坂山頂です。周りは雑木に囲まれ、展望は不明瞭。

備考2
②御坂山を下り、御坂峠でカラマツの枝越しに富士山を眺めたら、また少し尾根道を下りて、モミやブナの茂る急坂を登れば黒岳です。



河口湖公認の観光サイトの上記記載から、富士河口湖町は「西の御坂峠」を「御坂峠」と認定し、「東の御坂峠」は「天下茶屋」としていると考えます。





1.5 「東の御坂峠」から「西の御坂峠」の間の表示板等を見る


注目する場所にその市町村が制作した地名表示板があればその表示名が正式な地名と考えられます。



図9 西の御坂峠ー御坂山ー東の御坂峠にある表示板

図9 西の御坂峠ー御坂山ー東の御坂峠にある表示板



「東の御坂峠」周辺①~⑦には富士河口湖町が制作したと思われる「御坂峠」の地名表示板はありません。そのため、富士河口湖町では、「東の御坂峠」周辺を「御坂峠」と認定してないようです。これほど世の中で一般的に「御坂峠」と呼ばれている場所に、正規な「御坂峠」の地名表示板がないということに驚きました


富士急バス停表示板「御坂天下茶屋」

図11の富士急バス停表示板は「御坂天下茶屋」ですが、現在の表示板は「天下茶屋」になってます。「御坂峠」は使われていません。
しかし、富士急バスが作成元になっている「フジヤマNAVI」の図10河口湖北部ルートマップでは「東の御坂峠」が「御坂峠」、「西の御坂峠」が「旧御坂峠」になっています。
天下茶屋から坂道を登った尾根路の分岐(ここでは⑦)を「御坂峠」にしています。



天下茶屋前の地名表示板「御坂峠・お休み処 天下茶屋」

 図12 天下茶屋前の地名表示板
は、「1.1 御坂峠が二つある」のところで、「西の御坂峠」にある「御坂峠」の地名表示板として掲載しましたが、これはここの地名を決める富士河口湖町の地名表示板ではありません。「お休み処 天下茶屋」の店の看板です。天下茶屋の管理人が、その店名の横に「御坂峠」と書いて、天下茶屋としてはここが「御坂峠」と思っていますという看板です。富士河口湖町と共同で制作した地名表示板とは考えらえません。そのため、国土地理院は、この地点を「御坂峠」としては認定しなかったと思います。

天下茶屋は昭和9年に店舗を出しています。昭和6年に御坂隧道が竣工してから、3年後です。
その後、昭和9-13年の間に「御坂峠頂上天下一茶屋発行」の絵葉書を発行しています。
この時一般に「御坂峠」と呼ばれていたか、「天下茶屋」だけがそのように呼んでいたかは不明です。
太宰治が文中に「御坂峠」が出てくる「富嶽百景」を出版したの昭和14年2月ですから、その頃は、この天下茶屋あたりが世の中に「御坂峠」として知られていたようです。


天下茶屋をかまえたのは、昭和9年の秋のこと。
木造二階建て、八畳が三間の小さな茶屋で、峠を行き交う旅人に食事などをふるまったのが始まりです。

正面に臨むその絶景から富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれていましたが、徳富蘇峰が新聞に天下茶屋と紹介したことがきっかけで、皆さまに「天下茶屋」とお呼びいただくようになりました。

天下茶屋には多くの文人が訪れましたが、中でも井伏鱒二、太宰治の滞在は特に知られています。
太宰治が天下茶屋に逗留するきっかけを作ったのは井伏鱒二。創業から太宰が逗留する前までの先代とのやりとりを作品「大空の鷲」に残しています。

太宰治は昭和13年9月に井伏鱒二に連れられてやってきました。およそ三カ月の天下茶屋の滞在を、小説「富獄百景」に残しています。
その後、昭和23年に太宰治が入水自殺したのを受け、昭和28年に井伏鱒二とともに太宰治文学碑を建立。


住所:山梨県南都留郡富士河口湖町河口2739



上記2枚の他に4枚、合計6枚をセットとした「御坂八景」絵葉書のタトウである。
 この絵葉書はタトウの下部に「御坂峠頂上天下一茶屋発行」とあるように、現在も峠に建つ天下茶屋が発行したものである。
 なお、絵葉書の裏面には記念スタンプが押されているが、その日付は天下茶屋に太宰治が滞在していた時期でもある、昭和13年11月3日となっている。

御坂国道バスと御坂峠と太宰治 : 峡陽文庫より引用
同じページに絵葉書のタトウの画像が有ります。(タトウ:図面、絵葉書などを入れるための袋、箱)





③天下茶屋左横の公衆便所 の名前が 「御坂峠公衆便所」。

この公衆便所は富士河口湖町が建設運営している、施設名「御坂峠公衆便所」の公衆便所です。(富士河口湖町公共施設総合管理計画 平成29年3月富士河口湖町 p59)施設名に御坂峠が入っていますが、地名表示板ではありません。正式な「御坂峠」の地名表示板をたてないで、「御坂峠公衆便所」という名前を付けるべきではないと考えます。ここでトイレを利用した人は、ここは御坂峠と呼ばれていると思ってしまいます。富士河口湖町施設課のミスと推察します。


③天下茶屋左横の公衆便所 
御坂峠公衆便所
②天下茶屋前の地名表示板 
「お休み処 天下茶屋-御坂峠」
 ①富士急バス停表示板
「御坂天下茶屋」
図13 御坂峠公衆便所

図13 御坂峠公衆便所

図12 天下茶屋前の地名表示板 

図12 天下茶屋前の地名表示板

 富士急バス停表示板

図11 富士急バス停表示板
 (google ストレートビューで作成)



④登録有形文化財 「御坂隧道」の説明板

図14に以下の説明文があります。

「富嶽百景で知られ、太宰治も歩いたであろうこの峠は、旧国道8号線(現県道河口湖御坂線)で、昭和五年十月着工、翌十一月就労人員延べ三十六万人余りを動員し、竣工しました。」

説明文の感想
・建造物である「御坂隧道」ではなく「この峠」を竣工したような文になってます。(「隧道」は「トンネル」です。)
・ここの富嶽百景は北斎の画集「富嶽百景」ではなく、太宰治の小説「富嶽百景」と思います。それなら、「太宰治の「富嶽百景」で知られたこの峠は」でいいと思います。
・「この御坂峠」ではなく「この峠」としているのは、説明板製作者が「この峠」を「御坂峠」と承認していないためと推察します。説明板製作者は、文化庁です。

しかし、文化庁の登録有形文化財(建造物)御坂隧道の解説文には以下のように「御坂峠」とあります。文化庁では「西の御坂峠」を「御坂峠」としています。

「御坂峠を越えるために建設された道路用の隧道。旧国道8号線が笹子峠越えから路線変更されたことにともない建設された。延長394m,幅5.5m(路肩を含む)。坑口部の意匠は比較的に簡素だが,県内交通の近代化を知る上で欠くことのできない存在である。」

なお、「御坂隧道」の表示板があるのは、笛吹市御坂町側で、富士河口湖町の表示板は「天下第一」です。この「天下第一」が「天下一茶屋」店名の由来と思われます。



④登録有形文化財 第19-0023号 文化庁 「御坂隧道」の説明板

図14 「御坂隧道」横の登録有形文化財の説明板  図14 「御坂隧道」横の登録有形文化財の説明板

図14 「御坂隧道」横の登録有形文化財の説明板

上の金属板「登録有形文化財 第19-0023号 この建造物は国民的財産です  文化庁」 
 
図15 御坂隧道の表示板 図15 御坂隧道の表示板

図15 御坂隧道の表示板 (google ストレートビューで作成)

左が富士河口湖町側で「天下第一」 右が笛吹市御坂町側で「御坂隧道」 




(A)天下茶屋前の富士山展望地

笛吹市から御坂隧道を通り抜けると、目の前に大きく美しい富士山が現れます。こんな美しい富士山が見られる場所なのに、なぜか富士河口湖町はHPで紹介していません。


図16 天下茶屋前の道路からの富士山

図16 天下茶屋前の道路からの富士山



⑤御坂山への登り口にある「御坂山周辺案内図」

天下茶屋の地点は、御坂山や清八山の登山口になります。図17のように山梨県が制作した御坂山周辺案内図では、東の御坂峠」には「御坂峠」の記載はなく「天下茶屋」が記載されています。山梨県は、「東の御坂峠」を「御坂峠」と認めていないようです。



⑥御坂山への登り口にある行く先表示板「旧御坂峠」

この行き先表示板の横辺りが「御坂峠」と思っている者が設置したか。
しかし、「御坂峠」がどこにあるかが混沌としている状況下で、行き先表示板「旧御坂峠」を設置する場合は、製作元の記載が必要と思います。ネットにおける「匿名」を連想してしまいます。



⑤御坂山へ行く登り口にある御坂山周辺案内図。 ⑥「旧御坂峠」への行き先表示板 

 図17 御坂山周辺案内図と「旧御坂峠」への行き先表示板
 
図17 御坂山周辺案内図と「旧御坂峠」への行き先表示板

図17 御坂山周辺案内図と「旧御坂峠」への行き先表示板
図17 御坂山周辺案内図と「旧御坂峠」への行き先表示板



⑦天下茶屋から御坂山地の尾根に登ったところにある分岐の行き先表示板

図18の分岐にある行き先表示板が、今回の調査における最大の謎です。行き先表示板の内容を納得して、説明することができません。


この行き先表示板は2015年5月17日に撮影したのですが、行き先表示板の左側に行く表示板の文字が故意に消されたようではっきりしません「御坂峠」は読めますが、その前に一文字ありそうです。また、行き先表示板の支柱に消えかかった文字が見えます「御〇〇」のようです。


  ⑦天下茶屋上の御坂山塊尾根の分岐にある行き先表示板
 図18 天下茶屋から御坂山地の尾根に登ったところにある分岐の行き先表示板(2015年5月17日撮影)
図18 天下茶屋から御坂山地の尾根に登ったところにある分岐の行き先表示板(2015年5月17日撮影)
図18 天下茶屋から御坂山地の尾根に登ったところにある分岐の行き先表示板(2015年5月17日撮影)



Googleの画像検索で見つかりました。サイト「ミディとクレバ」の「御坂黒岳」に鮮明な画像の行き先表示板がありました。2003年10月4日の登山記録です。
その画像をもとに図19のように行き先表示板に文字を入れました。

左側へ行く表示板には「旧御坂峠」、右側へ行く表示板には「清八山」、手前に下る表示板には「天下茶屋下山道」と書かれています。
左側へ行く表示板には「旧御坂峠」とあるので、最初は、⑥御坂山への登り口にある行き先表示板「旧御坂峠と同じで、天下茶屋あたりが「御坂峠」と思っている者が設置したかと思いました。

しかし、支柱にある「御坂町」の文字には驚きました。この行き先表示板は、「御坂町」が制作設置したことになります。


*図16には、一つ不明確なところがありました。「ミディとクレバ」-「御坂黒岳」の鮮明な画像で支柱に見える文字の「御坂町」の下側は山登り犬ミディの頭に隠れて見えません。私が写した支柱部は塗料がはがれて読めません。
しかし、「名山Navi / 登山ルート / 天下茶屋バス停から・御坂山・御坂峠・三ツ峠入口バス停へ」の2002年11月撮影の御坂山分岐の写真(クリックで拡大)では、支柱の文字は正確には読み取れませんが、三文字のようなので、支柱の文字は「御坂町」と判断しました。




図19天下茶屋上の御坂山塊尾根の分岐にある行き先表示板、地名有り   

図19 天下茶屋上の御坂山塊尾根の分岐にある行き先表示板、地名有り



御坂町は2004年に近隣の各町村との合併により笛吹市なり、廃止になった町です。
図20に示すように、少なくても1955年から2004年までは富士河口町と接して、御坂山地の尾根道にある清八峠、御坂山、天下茶屋上の御坂山塊尾根の分岐点、西の御坂峠、黒岳を富士河口町と共に管理していた町です。




御坂町(みさかちょう)は、山梨県中部、東八代郡に属した町である。

2004年(平成16年)10月12日 - 石和町・一宮町・八代町・境川村・東山梨郡春日居町と合併して笛吹市が発足。
同日御坂町廃止。
図20 山梨県東八代郡御坂町 の 歴史的行政区域


図20 山梨県東八代郡御坂町 の 歴史的行政区域


図19の行き先表示板について、以下の推察を行いました。

(1)分岐から左(西側)へ進むと、旧御坂峠があります。西側にある御坂峠は、「西の御坂峠」しかありません。その峠道が鎌倉往還御坂路と呼ばれた江戸時代から「御坂峠」と呼ばれていた峠です。西の御坂峠を管理していた御坂町がこの峠を「旧御坂峠」と記載してます。御坂隧道が竣工した昭和6年から平成24年の間のある年に、「御坂町」が西の御坂峠を「御坂峠」から「旧御坂峠へ変更したことになります。また、町村合併により管理元が笛吹市となった後、再度、峠名を変更して「御坂峠」にしたことになります。

(2)御坂町が行き先表示板に、「旧御坂峠」と書いたので、「西の御坂峠」には、「旧御坂峠」の表示板を設置したと考えます。しかし、その表示板はありません。御坂町が「旧御坂峠」の表示板を設置したとしても、2004年に発足した「笛吹市」は、この「西の御坂峠」を「御坂峠」と再認定しているので、その際に「御坂町」の「旧御坂峠」の表示板を撤去したと考えます。
管理していた名残として「草や花、いたわる心忘れずに 御坂町」の小さな立て札があります。
笛吹市の「御坂峠」管理担当者が、この山頂の立て札と分岐の行き先表示板の撤去を忘れたようです。

(3)「西の御坂山」を「旧御坂峠」としたならば、御坂町は「御坂峠」か「新御坂峠」を認定したことになり、その峠は「天下茶屋」付近の「東の御坂峠」しかありません。しかし、その「西の御坂峠」へ行く道は、「天下茶屋下り道」と書かれています。「旧御坂峠」はあるが「御坂峠」もしくは「新御坂峠」はないことになります。とても奇妙な行き先表示板です。

(4)(1)-(3)の推察を証明するには、
①廃止前の「御坂町」の「旧御坂峠」に関係する文書
②図21のような「西の御坂峠」にあったと思われる「御坂町」制作の「旧御坂峠」表示板の写真
が必要ですが、Google検索だけによる調査では見つかっていません。


図21 「西の御坂峠」頂上に有ったかもしれない(旧御坂峠)の表示板

図21 「西の御坂峠」頂上に有ったかもしれない(旧御坂峠)の表示板。


(5)分岐の行き先表示板の内容がかなり奇妙で納得できないため、暴論と思いながら以下の可能性も考えました。
「分岐の行き先表示板」の制作者は「御坂町」ではなく、「西の御坂峠」は「旧御坂峠」であると主張するものが制作し、支柱に「御坂町」と記入した。


図18の行き先表示板(2015年5月17日撮影)の左側に行く表示板の文字が故意に消されたようになっていましたが、
「三ッ峠山・本社ヶ丸・鶴ヶ鳥屋山-2020-04-27 |ヤマップにある2020年4月27日撮影の写真では左側に行く表示板に赤いテープを巻いて「御坂峠」と書いてあります。「西の御坂峠は御坂峠」と「西の御坂峠は旧御坂峠」の争いは続いています。



⑧御坂山山頂に有る山頂表示板

図22の御坂山山頂に有る山頂表示板は「御坂山」。製作元の記入はありません。


⑨御坂山山頂に有る行き先表示板

図22の御坂山山頂に有る行き先表示板では、「西の御坂峠」がある左側を御坂峠・黒岳、「東の御坂峠」がある右側を「天下茶屋・清八峠」にしています。制作元は不明ですが、国土地理院と笛吹市と同じように、西の御坂峠だけを「御坂峠」としています。

しかし、このクリート作りで耐久年数が長く、表示文字も鮮明な立派な表示板に、設置した地名(ここでは御坂山)と製作元の記入がないのが不思議です。この地点の管理元の笛吹市や富士河口湖町を書き込むことで、この地名が正式な地名となり、国土院地図記載の決め手になります。
しかし、この表示板には制作元がないため、「御坂山を愛する友の会」が作成したかもしれず、地名がないため何処に設置したかもわからず、国土院地図記載の決め手にはならないと思います。


  ⑧御坂山山頂に有る山頂表示板 ⑨行き先表示板
 図22 御坂山山頂に有る山頂表示板と行き先表示板



 ⑩「西の御坂峠」頂上に有る頂上・行き先表示板

「西の御坂峠」にある峠名を書いている表示板は図23の表示板です。その中央に「御坂峠」、「東の御坂峠」方面の表示は「天下茶屋」になっています。
表示板の支柱に文字を入れるような長方形の切り込みがありますが、何も書かれていません。そのため、この表示板の制作元は不明です。

また、⑦で先に述べてしまいましたが、この頂上には「御坂町」制作の峠表示板はありません。


⑩御坂峠頂上に有る頂上・行き先表示板
 
図23 御坂峠山頂と山頂・行き先表示板  
図23 御坂峠山頂と山頂・行き先表示板
 

現在、富士山はほとんど見えません






2006年頃は富士山が見えていました

 「平成富嶽百景」東京新聞出版局2006年刊より引用



⑪「西の御坂峠」頂上に図24の御坂町制作の「草や花、いたわる心忘れずに 御坂町」表示板があり、御坂町が2004年まで管理していたことがわかります。


⑫「西の御坂峠」頂上に図25の行き先表示板があります。御坂山にあった同じ造りの行き先表示板で、設置した地点名がありません。「東の御坂峠」がある右側を「天下茶屋・清八峠」にしています。


⑪「西の御坂峠」頂上に有る御坂町制作の
「草や花、いたわる心忘れずに 御坂町」の表示板
 ⑫「西の御坂峠」頂上に有る行き先表示板 
「西の御坂峠」頂上に有る御坂町制作の表示板

図24 「西の御坂峠」頂上に有る御坂町制作の表示板
 図25 「西の御坂峠」頂上に有る行き先表示板

図25 「西の御坂峠」頂上に有る行き先表示板 



「東の御坂峠」から「西の御坂峠」間の表示板等のまとめ

(1)「東の御坂峠」にある「御坂峠」表示板は天下茶屋制作で、富士河口湖町制作の表示板ではない。「西の御坂峠」にある「御坂峠」表示板は制作元が不明で、笛吹市制作と記入した表示板はない。
そのため、峠頂上の表示板からは、管理元の富士河口湖町と笛吹市がその地点をどのように名付けているかは認定できない。

(2)天下茶屋上の御坂山塊尾根の分岐にある行き先表示板の、西側をさす表示板に「旧御坂峠」とあり、支柱に「御坂町」とある。合併前の管理元である「御坂町」が「西の御坂峠」を「旧御坂町」としていた可能性があります。表示板調査での最大の謎です。