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2 地図、登山案内書、Webサイトで御坂峠はどこにある 2.1 地図で御坂峠はどこにある (1)国土地理院地図(Webサイト) 図26に再掲載した国土地理院の御坂山周辺の地図には、「西の御坂峠」のみに「御坂峠」の記入があります。「東の御坂峠」には、何も記載されていません。
なお、「東の御坂トンネル」が「旧御坂トンネル」、「西の御坂トンネル」は「御坂トンネル」の記載があります。この記載は国土地理院地図とヤマケイオンラインとYAMAPがしています。 (2)昭文社の山と高原地図 昭文社の山と高原地図は、山登りの時に持っていく必需品です。この地図を頼りに山を歩きます。 「御坂峠」に関しては、記載の変化が多く、同じ地図帳で、同じ場所に異なる峠名記載もあります。 周辺図を除いた地図で、発行年度により西の御坂峠」と「東の御坂峠」にある峠の名称は変化してます。 2017年度版では、笛吹市と富士河口湖が管理する場所に、二つの「御坂峠」があることになります。 表1 昭文社の山と高原地図の主要地図のおける「西の御坂峠」と「 東の御坂峠」
周辺図は何故か2008年度より「東の御坂峠」が「御坂峠」になってます。そのため、2008年度地図では本地図と周辺地図では御坂峠の場所が異なっています。 表2 昭文社の山と高原地図の周辺図のおける「西の御坂峠」と「 東の御坂峠」
登山地図は、「国土地理院地図」を基本として、制作元が登山者にとって有益と思う情報を記載して、完成させていると思います。 地図による事故がない、各地点のその場所の表示板、行き先表示板と地図の地名の一致、世の中のその場所の認識度などいろんな項目を考えて必要事項を記載している。「御坂峠」の場合、発行年度により、各項目が変動ために混乱が起きていると考えます。 各地図の詳細を以下に示します。 ■昭文社 山と高原地図24 大菩薩嶺 2008年版 表・大菩薩嶺
御坂峠の標高は記載されない。 ![]() 図27 昭文社 山と高原地図24 大菩薩嶺 2008年版 表・大菩薩嶺 ■昭文社 山と高原地図24 大菩薩嶺 2008年版 裏・周辺図
*「御坂峠」は表・大菩薩嶺では「西の御坂峠」に、裏・周辺図では「東の御坂峠」に有ります。 ![]() 図28 昭文社 山と高原地図25 大菩薩嶺 2008年版 裏・周辺図 ■昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2008年版 裏・三ツ峠山
同じ2008年発行でも、山と高原地図25大菩薩嶺と山と高原地図31富士山・御坂・愛鷹では、黒岳-御坂峠-御坂山 の歩行時間が異なります。 ![]() 図29 昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2008年版 裏・三ツ峠山 ■昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2008年版 裏・周辺図
*「御坂峠」は裏・三ツ峠山では「西の御坂峠」に、裏・周辺図では「東の御坂峠」に有ります。 ![]() 図30 昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2008年版 裏・周辺図 2013年になると ■昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2013年版 裏・三ツ峠山
2013年度から「御坂峠」は「東の御坂峠」になります」。「東の御坂峠」の観光客が増えたためでしょうか。 ![]() 図31 昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2013年版 裏・三ツ峠山 ■昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2013年版 裏・周辺図
![]() 図32 昭文社 山と高原地図31 富士山・御坂・愛鷹 2013年版 裏・周辺図 ■昭文社 山と高原地図25 大菩薩嶺 2017年版
二つの御坂峠が登場します。 「西の御坂峠」の御坂茶屋は2013年には休業中ですが、2017年は「御坂茶屋跡」になっています。 ![]() 図33 昭文社 山と高原地図25 大菩薩嶺 2017年版 (図7と同じ。再掲) (3)Google マップ (Webサイト) Googleマップの「東の御坂峠」付近を見ると、御坂隧道の富士河口湖町側の「東の御坂峠」に「天下茶屋」が出てきます。その地図を拡大していくと、図34のように、天下茶屋の左上に「旧御坂峠」が出てきます。 この「東の御坂峠」を「旧御坂峠」として、「西の御坂峠」を「御坂峠」としている地図は、Googleマップとヤマケイオンライン / 山と溪谷社の地図だけです。。この「東の御坂峠」は、「西の御坂峠」の後に出てきた峠ですので、「旧御坂峠」とする理由はありません。このGoogleマップの「旧御坂峠」は、記載ミスと思います。 Google マップを使い旅行記を書いているサイトもあるため、この記載ミスがネット上で「御坂峠はどこ」、「旧御坂峠はどこ」の混乱を進めています。 (4)YAHOO地図(Webサイト) 図35のYAHOO地図の御坂山周辺の地図では、「西の御坂峠」を「御坂峠」として、「東の御坂峠」を「天下茶屋」とてしています。 図36のゼンリン地図・いつもNAVIの御坂周辺地図では、「西の御坂峠」を「御坂峠」として「東の御坂峠」には記載がありません。国土地理院地図と同じです。
■ゼンリン地図・いつでもNAVIの御坂山周辺の地図
![]() 図36 ゼンリン地図・いつでもNAVIの御坂山周辺の地図(ゼンリン地図・いつもNAVII 2020.11.25) (6)ヤマケイオンライン の地図 Googleマップと同じように、「西の御坂峠」を「御坂峠」として、「東の御坂峠」を「旧御坂峠」としています。 この「東の御坂峠」は、「西の御坂峠」の後に出てきた峠ですので、「旧御坂峠」とする理由はありません。この地図とGoogleマップの「旧御坂峠」は、記載ミスと思います。 (7)YAMAPの地図 「御坂峠」と「記載無し」の組みあわせ4通りがすべて出てきます。 御坂峠の位置が、YAMAPの地図の見るところで変わります。
![]() 図36B YAMAPの三ツ峠山が含まれる地図A 三ツ峠が含まれる地図-YAMAP 2021.1.21 ↓ 地図の切り替えをクリック ↓ ![]() 図36C YAMAPの三ツ峠山が含まれる地図B ![]() 図36D YAMAPの黒岳が含まれる地図A 黒岳が含まれる地図-YAMAP 2021.1.21 ↓ 地図の切り替えをクリック ↓ ![]() 右の部分拡大 ↓ ![]() 図36E YAMAPの黒岳が含まれる地図B WEBサイト地図のまとめ 「西の御坂峠」を「御坂峠」、「東の御坂峠」には「記載無し」か「天下茶屋」が4個。 「西の御坂峠」を「記載無し」、「東の御坂峠」には「御坂峠」か「記載無し」は2個。 「西の御坂峠」を「御坂峠」、「東の御坂峠」には「旧御坂峠」としているは、Googleマップと山地図- ヤマケイオンラインですが、記載ミスと推察します。記載ミスでないとすると、その理由が知りたいです。 表3 WEB地図の「西の御坂峠」と「 東の御坂峠」
2.2 登山案内書で御坂峠はどこにある 手持ちの登山案内書だけで調べています。 私の予想に反して、頂上に「御坂峠」の表示板がある「西の御坂峠」を「旧御坂峠」と記載している登山案内書が半分ほどありました。他の半分は「御坂峠」です。 「東の御坂峠」は、「天下茶屋」が多く。「御坂峠」は一冊だけです。「旧御坂峠」が一冊有ります。 地図と同様に、登山案内書でも「御坂峠はどこ」、「旧御坂峠はどこ」の混乱があります。 ・「西の御坂峠」を、黒岳のページでは「旧御坂峠」、本社ヶ丸のページでは「御坂峠」と異なる。(富士を眺める山歩き) ・地図は「御坂峠」で、それの説明文では「旧御坂峠」としています。(山梨の富士)) ・記載ミスと思いますが、東の御坂峠」を「旧御坂峠」としている。(富士山が見える日帰り100低山) 表4 登山案内書の「西の御坂峠」と「 東の御坂峠」
2.3 Webサイトで御坂峠はどこにある 「御坂峠」のGoogle検索結果を表5に示します。 Google検索の「御坂峠」の2ページまでに出てくる「御坂峠」は16サイトあります。そのうち10サイトは「東の御坂峠」を「御坂峠」としており、ほとんどが観光用のサイトで、天下茶屋と太宰治と峠道からの富士山が出てきます。現在、旅の話で「御坂峠」が出てくる場合は「東の御坂峠」と思ったほうが良いようです。 「東の御坂峠」を「御坂峠」として紹介して、「東の御坂峠」を「旧御坂峠」としているGoogle地図を載せているサイトが4サイトあります。サイトの訪問者は悩みます。 Webサイト「旧御坂峠(御坂隧道)」は「東の御坂峠」を「旧御坂峠」としています。googleマップを参考にしたかもしれません。 「新御坂峠」を記載する二つのWebサイト ①富士山NETに、山梨県が平成6年に設定した「山梨県の新富嶽百景」の一つとして「新御坂峠」がでています。「山梨県の新富嶽百景」は「東の御坂峠」を「御坂峠」として、国道137号の御坂トンネルを河口湖方面に出たところを「新御坂峠」としています。トンネルを出てしばらくすると富士見橋があり、橋の山側には小さな展望台があります。ここからの富士は、山あいからの河口湖の三角形と富士の三角形が合わさって、菱形に見えるので「菱形富士」と呼ばれています。「山梨県の新富嶽百景」の「新御坂峠」のためか、「新御坂峠」を紹介するサイトが5サイトほど有ります。 ![]() 図37 「山梨県の新富嶽百景」の「新御坂峠」からの富士山 ②西の御坂峠を「旧御坂峠」、「東の御坂峠」を「新御坂峠」としているサイトは「歌川広重の甲斐御坂越(冨士三十六景)の解説 - 富士山はどの場所の場所から描かれているのか?」。「東の御坂峠」を「新御坂峠」としているサイトはここだけと思います。 表5 Webサイトにおける表5「西の御坂峠」と「 東の御坂峠」
「西の御坂峠」を「御坂峠」としているWebサイト 検索結果の7ページ目に、「西の御坂峠」を「御坂峠」としているブリタニカ国際大百科事典が出てきます。 しかし、その「御坂峠」の解説文にも問題があります。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説の問題点
①「付近の天下茶屋」とあり、峠頂上の横に天下茶屋があると思ってしまいます。それでは、「東の御坂峠」になってしまいます。「御坂山を越えたところにある天下茶屋」がいいと思います。 ②「1926年東方の八丁峠に御坂隧道が開かれ」とあり、「西の御坂峠」が1926年まで「八丁峠」であったように書いてます。しかし、「八丁峠」は昭文社の2008年版、2017年版「大菩薩嶺」地図では「東の御坂峠」と清八山の間にあります。断定はできませんが、「八丁峠」は、1926年以前から「東の御坂峠」と清八山の間に有ったと思います。 ③「1967年付近に新御坂トンネルが完成した。」とありますが、「付近」はどっちに着くのでしょう。新御坂トンネルの完成日は1967年ですので、「1967年付近」ではないと思います。そうすると「付近に新御坂トンネルが完成した。」となりますが、「御坂峠付近に」か「御坂隧道付近に」かはっきりしません。 「隧道」と「トンネル」を、使い分けるのは何故でしょうか。 世界大百科事典 第2版の解説の問題点 >
①「富士山の眺望がすぐれ,太宰治が《富岳百景》を執筆した天下茶屋があり,その一節〈富士には,月見草がよく似合ふ〉を刻んだ文学碑が建つ。」とありますが、「西の御坂峠」を「御坂峠」としているのに、「東の御坂峠」にある天下茶屋の解説をしています。太宰治「富嶽百景」の影響力は、とても大きいです。 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説の問題点
①「八町峠(はっちょうとうげ)に御坂トンネル(国道137号)が通じ」とあり、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典と同じように、「西の御坂峠」が1926年まで「八丁峠」であったように書いてます。 ②「・・・、交通の便は倍加した。」とあります。文章構成から考えると、御坂峠の交通量が増加したとなります。しかし、そのようなことはないので、「甲府盆地と富士北麓との交通量が倍加した」の意味だと思います。 ③「旧国道は峠路として趣(おもむき)があり、近年は注目され、交通量もやや増加している。」とあります。 ここの「旧国道」は新御坂トンネルができる前に国道137号と呼ばれていた 山梨県道708号富士河口湖笛吹線と思います。そうすると、「峠道」は「東の御坂峠」の道になります。何故か、唐突に、「東の御坂峠の解説をしています。」 *自分でもおかしいと思う文章を書いているサイトで、ブリタニカ国際大百科事典 の問題点を指摘するのはおこがましいことですが、「御坂峠はどこか」の明確化のため、あえて記載しました。間違いがあったら指摘お願いします。 Google画像検索 Google画像検索では、50枚のうち「西の御坂峠」は2枚だけです。 以上の検索結果によりさらに「御坂峠」の呼び方は複雑になってきました。現在の状況を図38にまとめました。 ![]() 図38 「御坂峠」に関する三ヶ所の呼び方と周辺の富士山展望地 2.4 これまでのまとめ 表6にこれまでの調査結果をまとめ、それに基づいて、「1正規な地名の御坂山はどこにある」と「2 地図、登山案内書、Webサイトで御坂峠はどこにある」のまとめを記載しました。 表6 地図、登山案内書、Webサイト等におけるWebサイトにおける「西の御坂峠」と「 東の御坂峠」
![]() 2.5 「1正規な地名の御坂山はどこにある」と「2 地図、登山案内書、Webサイトで御坂峠はどこにある」のまとめ (1)現在、地図、現地の表示板、登山案内書、観光書、Webサイト等において、御坂山の西側と東側に二つの「御坂峠」がある。これらの地名、場所を、便宜上「西の御坂峠」と「東の御坂峠」として、「御坂峠」が二つある状況、理由を調査した。 ![]() (2)昔からあった「御坂峠」は黒岳と御坂山との中間にある「西の御坂峠」である。この御坂峠は鎌倉往還御坂路のルート上にあり、1931年まで「御坂峠」は「西の御坂峠」だけであり、富士吉田側と甲府盆地側の行き来は徒歩によりこの「御坂峠」を越えなければならなかった。 (3)1931年(昭和6年)に「西の御坂峠」より2 kmほど東の位置に、御坂隧道(御坂トンネル:延長396m)を含む旧・国道8号(現在の国道20号)が開通し、御坂隧道の富士吉田側入り口地点(標高1300m)付近を、新たに「御坂峠」とした。天下茶屋があるところに「東の御坂峠」の出現です。誰が、名付けたか不明です。 (4)、地名は各地方公共団体が歴史的地名として継承し、住居表示に関する法律に基づき、各地方公共団体が決めています。 「西の御坂峠」管理元は笛吹市と富士河口湖町、「東の御坂峠」の管理元は富士河口湖町です。 ①「西の御坂峠」には製作元未記入の「御坂峠」の表示板しかない。「東の御坂峠」には天下茶屋制作の「御坂峠」表示板しかない。そのため、峠の表示板からは正規な峠名の認定はできなかった。 ②笛吹市及び富士河口湖のHPのトレッキングのページで、「西の御坂峠」を「御坂峠」、「東の御坂峠」を天下茶屋としている。これにより、地名管理元は、「西の御坂峠」にある「御坂峠」だけを認定しており、「東の御坂峠」には地名をつけていないと判断した。 ③天下茶屋の上にある分岐にある表示板の西側を示す板に「旧御坂峠」の記載があり、表示板の支柱に「御坂町」の記入があった。2004年まで「西の御坂峠」を管理していた「御坂町」がある時点で、「西の御坂峠」を「旧御坂峠」としていた可能性があります。今回の調査の中の最大の謎です。 ![]() (5)地図で御坂峠はどこにある。7地図すべてで「御坂峠」は、「西の御坂峠」にあります。しかし昭文社山と高原地図252017年版では「東の御坂峠」も「御坂峠として、河口湖町内に二つの「御坂峠」を記載してます。Googleマップとヤマケイオンラインは記載ミスと思いますが、「東の御坂峠」を旧御坂峠」としてます。この地図が「御坂峠はどこにある」を混乱させています。
(7)Google検索の「御坂峠」の2ページまでに出てくる「御坂峠」は16サイトあります。そのうち10サイトは「東の御坂峠」を「御坂峠」としており、ほとんどが観光用のサイトで、天下茶屋と太宰治と富士山が出てきます。現在、旅の話で「御坂峠」が出てくる場合は「東の御坂峠」と思ったほうが良いようです。 (8)国道137号の御坂トンネルを河口湖方面に出たところを「新御坂峠」として、「山梨県の新富嶽百景に選んでいます。県認定の「新御坂峠」が出てきて、「御坂峠はどこ」はさらに混乱していきます。「御坂峠」関連の場所三ヶ所についてその呼び方などをまとめ、富士山展望所も記載しました。 ![]() (9)現在、「西の御坂峠」と「東の御坂峠」をどのように記載しても、問題は残ります。当サイトでは、登山用のサイトのため「昭文社 山と高原地図」に基づく記載を行ってきました。しかし、それに従うと、富士河口湖町に「御坂峠」を二つ記載することになります。そのため、今回は、国土地理院地図にのっとり、「西の御坂峠」を「御坂峠」として、「東の御坂峠」には天下茶屋がありますという記載を加えました。 ![]() NEXT ⇒ 3 「富士見三景」の御坂峠はどこにある
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