大野山・御中道からの富士山がいる大展望-その合成画像の作成




「富士山展望」の殆どのページで「富士山がいる大展望」の画像を掲載しています。「富士山がいる大展望」は数枚の写真を合成して作ります。

1 富士山展望の山の殆どは富士山から12㎞以上離れたところにあり、そこからの「富士山がいる大展望」の合成作成は問題なくできました。
  「大野山からの富士山がいる大展望」で記述します。

2 しかし、富士山の中腹にある、御中道、宝永山、二ツ塚からの「富士山がいる大展望」では、これが私の眺めた富士山であるというなかなか画像ができません。
  その経過について、御中道からの富士山がいる大展望で記述します。




大野山からの
富士山がいる大展望
御中道からの
富士山がいる大展望
その1

御中道からの
富士山がいる大展望
その2
御中道からの
富士山がいる大展望
その3

   その1、2、3






 御中道からの富士山いる大展望 その3 御中道で眺めた富士山はどのように見えたか。




3、御中道で眺めた富士山はどのように見えたか。

今回の検討の目的は、「御中道で眺めた富士山全体の景観画像を掲載したい」です。富士山全体の画像はPhotoshopの写真合成機能より作成できました。では、その「合成画像(B)」と「自分が眺めた富士山全体の景観」を比較し、異なっている場合、さらに画像処理を行えばよい。

しかし、最大の問題点は、自分が眺めた景観は脳内にしかなく、その画像が作れないということです。

御中道に立ちジーと眺め写真を撮りました。その時ジーと眺めた景観がどのようなものであったかわからない。特に違いが大きい山頂部が写真③と合成画像(B)のどちらに近いかはわかるだろうと自分に問いかけても、答えは「わからない」。これほどの違いがあるからわかるようであるが、両方に見えた気持ちになってしまいます。


写真③
合成画像(B)中央部
写真③   
   合成画像(B)中央部


写真③は実際に撮った写真ですから、広角レンズのひずみがあるとしてもこのように見えたのではないかと思っていた。しかし、角度を変えた写真4枚を見ると、すそ野と空の境界線の傾斜はやはり③では無く②④にようにかなり大きな傾斜があったように思う。そうすると、合成画像(B)に近くなる。

そこから、富士山全体の合成写真だけでなく、実写した①②③④の各写真が、自分が眺め脳内に収めた景観と同じか否かがわからない状態になっている。自分の脳の処理範囲を超えている状態です。


写真①
写真②
写真③
写真④
富士山の写真① 富士山の写真② 富士山の写真③ 富士山の写真④


これらの混乱した状況を解きほぐしてくれる、簡潔で明解な記述を見つけたので、引用させてていただいた。



 そもそもわれわれが目で外界を見るという行為は、レンズで外界をフィルムの上に写し取るといった、カメラがやっているようなメカニカルな客観的行為ではないのである。たしかに、外観は眼球の水晶体のレンズ作用によって網膜の上に光点の集合として写し取られる。しかし、見るという行為は網膜のうえで成立するものではない。光信号は網膜で電気信号に変換され、脳に運ばれて非常に複雑な信号処理を次々に受けていく。はじめ、網膜から脳の後頭葉に運ばれた電気信号は、そこで、第一次情報処理を受けてから、その情報が、その後脳の各部をめぐりながら、2次、3次の情報処理を受けていくのである。ヒトの見るという行為は、結局、脳が作り出したイメージをみるということに他ならない。

 「自分は世界がこのようにあるということをこの目で見て知っている。」

とヒトはいうかもしれないが、実際には、ヒトは脳が見せるように世界を見ているだけの話なのである。そういった意味では、人間の視覚とカメラは違う仕組みで世界を見ている。写真に写った像と、自分が見た像が同じように見えるのは、写真で取った下界の像をもう一度見て、脳が下界を見たときと同じ信号処理をほどこすから同じようにように見えるのである。

 信号処理を変えたら、もちろん違って見えるのである。写真をコンピューターで画像化するときに、ストレートに画像化するかわりに、途中でいろんな信号処理を施せば、コンピューターグラフィックスでよく見るように、どんな画像でも自由自在に作り出すことができる。基本的には脳でも同じなのである。



サイト「筑波大学 芸術」内の 高山誉史:任天堂(株) の修士論文。




注:現在上記リンク先は、削除されているようで、見ることはできません。しかし、上記文章は当コラムの核心となるものですので、掲載を続けさせてもらいます。(2025.1.18)



学術上この記述がどのように認定されているかは不明ですが、自分としては「全くその通り」と全面的に受け入れました。

上記検討から、次のようにまとめました。


(1)御中道で眺めた富士山の全体画像

富士山の景観をジーと見る凝視の視野角は60-90度ですので、富士山全体を眺めるには首を2,3回まわす。脳内でその凝視画像を3,4枚ほど重ねて合わせて富士山全体の合成画像を作成する。写真を使うPhotshopの場合円筒法を用いているが、脳内ではその人の情報、技法に基づく信号処理法を用いて合成画像を作成する。合成画像の各部分は、凝視画像とは異なった画像になっていると思われる。これによって作成された富士山の全体像は脳内の引き出しに保管される。(実際には視線を水平に移動して連続して景観を眺めているとしたら、多数の画像が合成することになるが、その合成過程は基本的には同じと考える。)


(2)脳内の富士山の全体画像とPhotshop円筒法による合成画像

山歩き記の富士山の全体像を作るには、①②③④の各写真を合成しなければならない。Photshop円筒法で合成画像を作成する。この合成画像を、脳内にある富士山全体像と比較して、修正を行う、または、「山の傾斜角度はもう少しなだらかです」などのコメントを出せばよい。しかし、脳内の富士山全体像がはっきりしない。Photshop円筒法の合成画像及び合成画像と各部が異なる①②③④の各写真を見たことにより、脳内の信号処理系が乱れて、脳内の引き出しにある画像を取り出すことができないようである。


(3)写真の景観

遮断板を左右に置き、視野角を100度にしてそこだけ眺めたら写真③のように見えるかもしれません。しかし富士山全体を眺めた後、③の景観を見ているので、富士山全体像の情報が脳にあるため合成画像像の中央部に近い景観に見えるかもしれません。

各写真においても引用文にある「写真で取った下界の像をもう一度見て、脳が下界を見たときと同じ信号処理をほどこすから同じようにように見えるのである」さえもできない状態です。


(4)富士山全体の合成画像および写真をHPに載せる

首を2,3回まわせば眺められる地点があることを記載し、その地点からの富士山全体画像をHPに載せる。また、合成してない写真③も載せる。しかし、自分が眺めた景観とそれらの画像とのの違いはわからない。

そのためHPを見ていただいた方の違和感を解消するため、(解消するには不充分であるが)次のメントを記載する。



掲載画像について


「小御岳-御庭の御中道歩き記」をここまでご覧になって、富士山の各景観に違和感を持った方もいると思います。富士山のすそ野と空の境界線の傾斜が異なる富士山が出てくる。そのため、各画像の景観から受けるイメージが異なる。

そこで、あえて同じ時刻12:02、同じ地点からの画像を二枚載せました。

【12:02Aの画像】PENTAXQ7、広角ズームレンズ08により撮影して、上下をトリミングした画像です。

   

【12:02Bの画像】12:02Aと他3枚の写真を、Photoshopで合成してトリミングした画像です。広角のレンズを使っても一枚では富富士山の全体像を撮影できないため写真合成が必要です。

   


2枚の画像の富士山山頂部の形状は明らかに異なります。では、自分が眺めた富士山はどちらの画像に近いか。無責任と思われますが、わかりません。自分の眺めた富士山の形状がでてきません。

これより、以下のことをお願いします。
「小御岳-御庭の御中道歩き記」の各掲載画像は上記の2方法により作成した画像であり、それらによって作成された富士山像は異なった形状となることを了解して、各掲載画像を見ていただきたいと思います。

合成画像作成方法と自分が眺めた富士山との比較検討はこちらで








(4)景観の感想

合成画像(B)の景観には「窪地がほぼ正面に来て、なだらかに延びる左右のすそ野を見られる展望地点。」と記載します。これは間違ってはいない。

他の景観も、自分が眺めた景観と写真の景観は全く同じものではないという前提をもちながら、掲載画像に基づいて感想を記載します。


次→その1、2、3