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1 歌川広重の風景画、その元絵の状況
1.1 歌川広重について
1.2 各作品集での元絵 歌川広重は、一般的に“旅する画家”のイメージがあり、各地の風景をスケッチし、それをもとに作品を制作したと思われていました。しかし、現在では歌川広重の風景画の多くが、他の絵師が描いた「名所図」などを参考にしていることが美術界の通念になっています。
広重の旅は①1841年甲州、②1844年房総、③1845年奥州安達、④1848年頃中山道を上がって信濃、美濃、近江方面、⑤1852年には再び上総、⑥1853年には武蔵、相模と言われています。東海道の旅はなかったという説が有力になってます。 ここでは、代表となる作品集三作を簡単に説明します。詳細検討は後の各ページで行ないます。 (1)「六十余州名所図会」(1853-1856年) 広重は、日本全国の名所の風景を描いた晩年の70枚揃物「六十余州名所図会」(1853-1856年)の描かれた場所には殆ど行っておらず、八割ほどの作品に「山水奇観」などの名所図が元絵として示されています。広重作品と元絵を並べて眺めるには最も良い作品集で、これら多くの元絵をみたあと、次のように思いました。 浮世絵版画というのは企画者、下絵師、彫師、摺師らによる総合芸術であり、「六十余州名所図会」は、それらに全国を旅してスケッチを担当した先人の画家が加わって出来上がった作品集で、その中で広重の才能が作品に輝きを与えた。 ■広重 「六十余州名所図会 丹波 鐘坂」の元絵は、淵上旭江 「山水奇観 丹波鐘坂」 「六十余州名所図会」では、淵上旭江 「山水奇観」が最も多く元絵として用いられています。 横長の風景を、縦長の画面に入れて纏め上げる構成力には驚きます。
(2)「東海道五十三次」保永堂版(1833-1834年) 広重の出世作であり、世界的にも評価が高い55枚揃物「東海道五十三次」保永堂版(1833-1834年)では、十数図の「東海道名所図会」等の元絵が示されています。また、二十年ほど前に描かれた司馬江漢の肉筆画の「東海道五十三次画帖」を元に制作したという説があり、まだ決着がついていません。 ■広重「東海道五十三次」保永堂版 「石部 目川ノ里」の元絵は、東海道名所図会 「石部 目川」 縦長の風景を、横長の画面に入れて、右側にさらに家並みと樹木を加え、遠景に山を入れて纏めます。
・広重「東海道五十三次」保永堂版 「「蒲原 夜之雪」の元絵と指摘されている、司馬江漢「東海道五十参次画帖 蒲原」 浮世絵の学会では元絵として認められていませんが、私は元絵と考えます。
(3)「木曽海道六十九次」(1835-1842年) 70枚揃物「木曽海道六十九次」(1835-1842年)は、(1)英泉の担当した部分、②広重が旅に出る前に担当した部分、③「広重が旅から帰って後に担当した部分」の三つに分かれ、②は図会等の資料を元絵にした構想図であると言われていますが、Web上では元絵となる作品はほとんど示されていません。 しかし、その中に北斎『諸国瀧廻り』《 木曽海道 小野ノ瀑布 》を元絵とした広重「木曽海道六拾九次之内 上ヶ枩」があります。縦長の絵を横長に変えていますが、ほとんど同じ構図です。これは北斎(1760-1849年)の生前の発行ですので、北斎も見ることができます。私は、この作品は尊敬している北斎翁の作品を元絵として描いた作品と思っています。 ■広重「木曽海道六拾九次之内 上ヶ枩」の元絵は、葛飾北斎「諸国瀧廻り 木曽海道 小野ノ瀑布 」
(4)「名所江戸百景」(1856-1858年) 広重最晩年の作品であり、その死の直前まで制作が続けられた代表作de119枚の図絵から成る。何気ない江戸の風景であるが、近景と遠景の極端な切り取り方や、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点、またズームアップを多岐にわたって取り入れるなど斬新な構図が多く、視覚的な面白さもさることながら、多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一ともいわれている。 この「名所江戸百景」と他の江戸名所図では、三十数図の「江戸名所図会」の挿絵(雪旦画)が元絵として示されています。これより、次の重要な二点を知りました。 ①広重作品で元絵を用いて作品を制作したのは、広重が旅をしていないため、眺めることができない景観を描くためとの考えが間違っていた。 ②広重が「江戸名所図会」の作者月岑に、題材、解説文、挿図などの借用を希望し、その挨拶をした。
(5)その他の広重作品 旅をしていない場所の広重の作品には元絵があるはずですが、Web上では元絵の表示は多くありません。美術関連の研究論文、書籍では、多くの元絵が示されているかもしれませんが、Web上では公に扱わないようです。上記の三揃物を中心に当方が見つけた元絵をこのサイトで示します。 元絵について 広重が、先人の作品を元にして自分の作品を制作したことを、このサイトでは「元絵」として記載していますが、他では「盗作 剽窃 種本 模倣 まね 元絵 転生 参考 模写 しきうつし」などいろいろな語句で表現しています。その使い方は、時代、評価する者によって異なっています。 広重の時代、浮世絵界では、先人の作品を参考にして作品を制作することは一般的であったと思います。広重も先人の作品名を、自作の作品名に入れて、元絵にしたことを隠そうとはしていません。元絵にある地名まで同じように記載してます。江戸時代の読者もそれらの元絵採用を認めていたと思います。 以前は、元絵があることで作品の評価が低くなっていたが、最近は元絵があるなしにかかわらず、その作品自体で評価するようになってきたようです。元絵がある場合は、その元絵からの制作過程を含めて、その構想力などを評価します。広重のグラフィックデザイナー的な手法を評価するのも作品鑑賞方法の一つと思います。 1.3 広重作品鑑賞に適した三枚の作品「雪 月 花」 私も、このコラムを作成する過程で広重の絵と元絵を並べて見て、広重作品を見る時、新たな楽しみが加わりました。 まず元絵の有無にかかわらず、作品自体を鑑賞します。次に元絵の存在がわかった場合、その元絵からどのような過程で広重が作品を制作したかを見て行きます。その過程での広重の構想力、グラフィックデザイナ的能力に、感銘し、堪能します。 広重作品鑑賞に適した三枚の作品があります。木曽路の雪、金澤の月、そして阿波の鳴門のうず潮の花を描いた“雪月花の三部作”です。広重の晩年期に描かれた三枚続の傑作「雪月花」で、各作品で異なった制作過程を見ていきます。 いずれも元絵のあるなしにかかわらず素晴らしい作品で、広重の風景画の傑作と思います。元絵がある場合、その風景に最も適した構図を採用しており、木曽路之山川」の大胆な構図、色彩には驚いてしまいます。 説明の順番は「雪月花」ではなく、自作スケッチからの「月」から行います。
① 月 「武陽金沢八勝夜景」 自分のスケッチ帳から制作 自作のスケッチから制作。昼間のスケッチを夜景にして、画面中央に満月と雁の群れを描くという構成力が素晴らしい。広々とした風景を描いていますが、船に乗る人、橋を渡る人などの細部も丁寧に描いています。 ![]() 歌川広重 「武陽金沢八勝夜景」 ![]() ![]() 歌川広重 武陽金沢八勝夜景 部分拡大 月に雁の群れ、橋に人物が描かれています。 武陽金沢八勝夜景 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクションより引用
![]() 広重「武相名所旅絵日記」(1851年頃)より。 『12月12日 金沢八景の今昔探訪(2)金沢七景と夏島の巻き(3/4回)』-cycling wonderより引用 ![]() 金沢八景能見堂跡にある説明板「金沢八景と能見堂」 上の図1の作品は「武相名所手鏡」嘉永6年(1853)の肉筆画か 金沢道・六浦道・浦賀みち② : 漫歩人の戯言
広重は、月と雁が好きなようで切手になった「月と雁」だけではなくいろいろな月と雁を描いています。その一部を示します。月はすべて満月です。 ② 花 「阿波鳴門之風景」 元絵にほぼ忠実に制作 元絵は「山水奇観 阿波の鳴門」で、その画とほぼ同じ構図で制作。「花」は鳴門の渦巻きです。 元絵を使い実景感豊かな風景画を制作。歌川広重、淵上旭江共画と認識して作品を眺めてもよい。 ![]() 歌川広重 「阿波鳴門之風景」 ![]() ![]() 阿波鳴門之風景の花(渦巻)と島の部分。 阿波鳴門之風景 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション ![]() 元絵とされる淵上旭江「山水奇観 阿波の鳴門」 (1800年) 広重「阿波鳴門之風景」とほぼ同じ構図ですが、渦巻はない。 山水奇観 前編4巻後編4巻. 3 14-15/27 -国立国会図書館デジタルコレクションより引用 ![]() 北斎漫画「阿波の鳴門」 渦巻はこの図を参考にしたか 北斎漫画七編 7/34- 国デジより引用 「写真をなして是に筆意を加ふる」 「山水奇観 阿波の鳴門」により「写真をなして」、広重がこの渦巻きにより「筆意を加ふる」ことにより「阿波鳴門之風景」が完成 上記の文献から、「阿波鳴門之風景」(1857年)以前の作品を表示します。 ■1796年に徳島藩の御用絵師、鈴木芙蓉の「鳴門十二勝景図巻」(1796年) ![]() 鈴木芙蓉 裸嶼望門先 ![]() 鈴木芙蓉 大毛山望鳴門 鳴門十二勝景図巻(1796年) 鳴門十二勝景図巻(なると じゅうに しょうけいずかん):徳島市公式ウェブサイト ■この後、1802年に上記の淵上旭江「山水奇観 阿波の鳴門」が描かれる。 ■1814年に探古室墨海の阿波名所図会 鳴門真景」 渦が描かれています。北斎漫画の渦と共に広重が参考にしたかもしれません。 ![]() 阿波名所図会 探古室墨海 阿波名所図会 上 7/22-早稲田大学図書館 ■1836年に仙台藩士で絵師の小池曲江の「莫逆閑友 阿波鳴門図」。「山水奇観 阿波の鳴門」とほぼ同じ場所から、同じ構図。 ![]() 莫逆日閑友 阿波鳴門図(1836年) 函館市中央図書館所蔵デジタルアーカイブ ■1835-1854年に藩の御用絵師、守住貫魚の「鳴門真景図」絹本著彩)。「山水奇観 阿波の鳴門」とほぼ同じ場所から、同じ構図。 ![]() 守住貫魚筆 鳴門真景図 絹本著彩(1835-1854年) 鳴門真景図(なると しんけいず):徳島市公式ウェブサイト これらの作品が広重の「阿波鳴門之風景」制作に集結されます。 元絵の「木曽路名所図会 馬籠から妻籠にいたる」を大胆に改変して壮大な雪景色を創っています。ここまで改変すると、元絵との関連など考えず、作品を眺めます。広重しか描けない作品です。広重の最高傑作と思っています。 ![]() 歌川広重 木曽路之山川 ![]() ![]() ![]() 木曽路之山川の集落と人物の部分。この山川の雪景色の中に村人が生活しています。 木曽路之山川 | 慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション ![]() 木曽路名所図会 馬籠から妻籠にいたる 木曽路名所図会 三 10/53 -早稲田大学図書館
この図をジ---と眺めていると、山の中の湖に、三柱の巨大な山の精霊が蹲っているように見えてきます。見る人の想像力を喚起させる作品です。 精霊の家族でしょうか。右の精霊の頭と眼の部分はわかりやすいが、中央の精霊の頭と眼をどこにするかが難しい。左は子供が後ろ向き。 広重の遊び心か、私の錯覚か。 広重最高の傑作と言いながら不謹慎な妄想ですが、北斎や広重にはこのような遊び心があったように思います。 ![]() 「木曽山中の精霊」 「木曽路之山川」は三枚続の横長の作品でその大胆な構図に圧倒されますが、 三枚の図は各々独立した竪絵としても成立する事に気づきました。 ![]() 木曽路之山川 其の一 ![]() 木曽路之山川 其の二 ![]() 木曽路之山川 其の三 次へ→ 2 「六十余州名所図会」の元絵
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