歌川広重の風景画の元絵









7 その他広重作品の元絵


7.1 WEBでたまたま見つけた広重作品の元絵


広重が旅してないと思われるところの風景画が多くあるので、その中に先人の作品を元絵とした作品があるはずですが、WEb上では広重の元絵に関する情報はとても少ない。また、google検索で、「広重 元絵」では出てきません。

このサイトでは「元絵」として記述していますが、他では「盗作 剽窃 種本 模倣 まね 基に 転生 参考 模写 しきうつし」などいろいろな語句で表現しているため、google検索で見つけるのは難しいです。

今回、たまたま見つけたサイトでは、「金閣寺の挿絵を参考に作画」、「彼は『江戸名所図会』の挿絵をもとにした名所絵を」、「道頓堀芝居側」を基にして『浪花名所図会道とんぼりの図』が描かれている」として記述してます。



個々の作品解説にも元絵に関する記載は殆どありません。Web上で、たまたま見つけた広重作品の元絵を示します。




(1)「又兵衛~~~~~深水」で見つけた元絵三点

東博の浮世絵展示室(9/22~)3(3):広重「京都名所」と「富士」の作品 | 又兵衛~~~~~深水 - 楽天ブログ を参考にして。




■広重「京都名所之内 淀川」の元絵は、 「都名所図会」の「淀」


京都淀川の、満員の客を乗せた船と、その手前に物売りの小舟が描かれています。「都名所図会」の「淀」の船二隻をとても上手に切り取り、中央の空に満月を浮かべ雁を飛ばすと全く趣の異なる作品になります。


歌川広重「京都名所之内 淀川」

『都名所図会』(安永 9 年/1780 年)の「淀」
歌川広重「京都名所之内 淀川」(天保 5 年/1834年)

京都名所之内 淀川 文化遺産オンラインより引用
 
竹原信繁 画『都名所図会』(安永 9 年/1780 年)の「淀」

都名所図会 6巻 [5] - 国立国会図書館デジタルコレクション より引用


船二隻と船頭さんの漕ぎ方はほぼ同じ

歌川広重「京都名所之内 淀川」の下部



『都名所図会』(安永 9 年/1780 年)の「淀」の下部




船内の飲み食いする客の姿もとても似ている

歌川広重「京都名所之内 淀川」の客



『都名所図会』(安永 9 年/1780 年)の「淀」の客




満月と雁は、広重の得意技 効果抜群で元絵と趣の異なる作品になる。

満月と雁


■広重「京都名所之内 金閣寺」の元絵は、 「都名所図会」の「金閣寺」

『都名所図会』(安永 9 年/1780 年)の「金閣寺」の金閣寺と衣笠山の部分を切り取り、縦部を圧縮し、衣笠山を小さくして左に移行し、金閣寺を大きく描くと、広重「京都名所之内 金閣寺」になります。





歌川広重「京都名所之内 淀川」(天保 5 年/1834年)

歌川広重: 「京都名所之内 金閣寺」 - 立命館大学 - 浮世絵検索 より引用
 
竹原信繁 画『都名所図会』(安永 9 年/1780 年)の「金閣寺」

都名所図会 6巻 [6] - 国立国会図書館デジタルコレクション)より引用
衣笠山を小さくして左に移行、金閣寺を大きくすればほぼ同じ  金閣寺部分切取り
  縦部圧縮


 
 





■広重「京都名所之内 嶋原出口之柳」の元絵は、 「都名所図会」の「島原」






歌川広重「京都名所之内 嶋原出口之柳」



京都名所之内 淀川 文化遺産オンラインより引用
 
竹原信繁 画「都名所図会」の「島原」

都名所図会 6巻 [2] - 国立国会図書館デジタルコレクションより引用

竹原信繁 画「都名所図会」の「島原」の右側の部分を切り取り、左上に有った月を中央に移行し、手前の建屋を高くすると、構図は広重「京都名所之内 嶋原出口之柳」とほぼ同じになります。

門構え、柳、三日月などは「都名所図会」から取り込んでいます。何故か、三日月が明けの三日月になっています。 広重「京都名所之内 嶋原出口之柳」の門外の人物4人は、「都名所図会」の門内の人物4人を参考に描いています。





 
竹原信繁 画「都名所図会」の「島原」の右側の部分を切取り、上空の三日月を中央に移行してます。
 
人物4人




(2)「菅原真弓の論文」で見つけた元絵二点


菅原真弓さんは、広重「木曽海道六拾九次」でも、元絵からの制作、広重のスケッチからの制作に関して発言しています。ここでは、広重「浪花名所図会」の二点が、「摂津名所図会」を元絵にして制作していると指摘しています。


「浪花百景」に先立つ大坂名所を描いた作品といえば、まず広重「浪花名所図会」(天保 5 年/1834)を挙げることができるだろう。そしてこの時点で既に『摂津名所図会』の挿絵は錦絵作品の図柄の典拠として用いられている。たとえば『摂津名所図会』巻之四に載る「堂嶌穀糴糶(どうじまこめあきなひ)」は、「浪花名所図会堂じま米あきない」として転生する。
広重画では敢えて店舗前の景を省略し人に焦点を当てている。興味深いのは前者で描かれる喧騒の中の人物群から、広重はたとえば水を撒く人や頭を抱えて逃げ惑う姿、何やら相談している一団などを抽出して描いていることだ。

また同じく「摂津名所図会」巻之四「道頓堀芝居側」を基にして「浪花名所図会道とんぼりの図」が描かれていることも明らかである。しかし前者が俯瞰で描いているのに対し、広重は芝居小屋の立ち並ぶ風景をやや大きく遠方に描き、何らかの物語を背負っているであろう人物たちが行き交う橋を前面に大きく据えた構図に変更している。

先行する版本等の挿絵をしばしば借用して自らの作品とした広重には、こうした例はまま見られる。むしろ広重名所絵の真骨頂は、出典とするイメージを基に、どれだけ魅力ある画面を作り出すことが出来たか(=換骨奪胎)にあることは既に多く指摘がなされるところだ。


人文研究 大阪市立大学大学院文学研究科紀要 研究ノート第70巻 2019年3月 214頁
「浪花百景」―作品に見られる歌川広重学習を中心に― 菅原 真弓より引用



■広重「浪花名所図会」「堂じま米あきない」 の元絵は、「摂津名所図会」の「堂嶌穀糴糶」


大阪の堂島米会所(どうじまこめかいしょ)は江戸幕府公認のお米の取引所でした。その熱い取引の様子を描いたのが、歌川広重の「浪花名所図会」シリーズの「堂じま米あきない」です。

ところで、柄杓を持った人たちは何をしているのでしょうか。




広重「浪花名所図会」「堂じま米あきない」

広重「浪花名所図会」「堂じま米あきない」

浪花名所図会 堂じま米あきない - 国立国会図書館デジタルコレクションより引用



『摂津名所図会』巻之四に載る「堂嶌穀糴糶(どうじまこめあきなひ)」

『摂津名所図会』巻之四に載る「堂嶌穀糴糶(どうじまこめあきなひ)」


大日本名所図会. 第1輯第5編摂津名所図会 247/380- 国立国会図書館デジタルコレクション




柄杓を持った人たちはタイムキーパーでした。

「江戸幕府が公認した、大阪生まれのこの取引の仕組みと知恵は、日本国内にとどまらず、世界の商品取引所の先駆けとなったとされています。しかも堂島では、現在にも通じる先物取引がすでに存在していました。即ち「投機筋からリスクヘッジまで」行われていたので、当然取引はヒートアップします。

取引は時間を厳格にするために、「2寸(約6センチ)の火縄に火をつけて、燃え終わるときが終了時間」と定められ、取引の正当性、明確化が維持されていました。
終了時間をとっくに過ぎても売買を続ける、その燃え盛る熱気の中に登場するのが水方役さん。鉢巻まいて、着物の裾をはしょって、手桶を片手に勢いよく水を掛け、撒いています。現れた8人の〝水掛部隊〟は、取引所の職員さんです。この水方役さんたちが、勢いよく柄杓で水を掛けると、取引は強制終了。彼らは市場の正確なタイムキーパーを務めていたのです。」



『摂津名所図会』では、線と点で勢いよく水が描かれていますが、広重「堂じま米あきない」 では、水が描かれていません。この作品で最も重要となる、まかれる水が描かれていないのが不思議です。印刷される版の違いと思い他の版も見ましたが水は見えませんでした。空白部が少し白くなっているのがまかれた水でしょうか。



広重「浪花名所図会」「堂じま米あきない」の部分



『摂津名所図会』巻之四に載る「堂嶌穀糴糶(どうじまこめあきなひ)」の部分




■広重「浪花名所図会」「道とんぼりの図」 の元絵は、「摂津名所図会」の「道頓堀芝居側」


「道頓堀芝居側」が俯瞰で描いているのに対し、広重は芝居小屋の立ち並ぶ風景をやや大きく遠方に描き、多くの職種の人物が行き交う橋を前面に大きく据えた構図に変更しています。



広重「浪花名所図会」「道とんぼりの図」

広重「浪花名所図会」「道とんぼりの図」

浪花名所図会 道とんぼりの図 - 国立国会図書館デジタルコレクションより引用





広重は、「道頓堀芝居側」のこの部分を、橋の上の視点から「道とんぼりの図」に描く

「摂津名所会」巻之四「道頓堀芝居側」の部分


「摂津名所会」巻之四「道頓堀芝居側」

「摂津名所会」巻之四「道頓堀芝居側」

大日本名所図会 第1輯第5編摂津名所図会 摂津名所図会. 上,下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション より引用



7.2 広重作品を元絵とした作品




本作品を語る際、必ずと言っていいほど触れられるのが江戸の浮世絵師歌川広重の名と、その晩年の代表作「名所江戸百景」(大判錦絵目録とも120枚揃、安政 3 ~ 5 年/1856~58)である。しかし作品を比較しての構図や図様の類似や継承について指摘した研究は僅かだ。その一つが大久保純一氏による「浪花百景 堀川備前陣屋」(図12)と広重の最晩年作「冨士三十六景 武蔵小金井」(図13)の類似である53)桜の幹の配置や堤、遠景の桜並木まで酷似する54)。

また永田雄次郎氏は「浪花百景 四天王寺」と広重「名所江戸百景 浅草金龍山」、「高津」と「湯島天神坂上眺望」、「解舟町」と「深川木場」の類似を指摘している55)

「浪花百景」100図を確認すると、広重の壮年から晩年にかけて版行した縦構図の作品からの影響を受け、これを学んだ成果が見て取れる。以下、新たな図柄借用、図柄継承の作例を挙げていくことにする。たとえば大久保氏が挙げる「冨士三十六景」からは「さがみ川」(図14)、「浪花百景」からは「毛馬」(図15)がある。全く違う場所を描いた作品なのだが、画面前面に葦を大きく描いた画面構成が継承されている。また同じく「冨士三十六景 雑司かや不二見茶屋」が「浪花百景 御勝山」へと継承される。

・・・・・数点の元絵を指摘


人文研究 大阪市立大学大学院文学研究科紀要 研究ノート第70巻 2019年3月 216頁~217頁
「浪花百景」―作品に見られる歌川広重学習を中心に― 菅原 真弓より引用



■ 芳雪「浪花百景」 「堀川備前陣屋」の元絵は、広重「冨士三十六景」「武蔵小金井」



広重「冨士三十六景」「武蔵小金井」
芳雪「浪花百景」 「堀川備前陣屋」
広重「冨士三十六景」「武蔵小金井」

広重 冨士三十六景 武蔵小金井景 - Wikipedia
芳雪「浪花百景」 「堀川備前陣屋」

難波百景 ボストン美術館 - 浮世絵検索より引用



■ 芳雪「浪花百景」 「堀川備前陣屋」の元絵は、広重「冨士三十六景」「武蔵小金井」




芳雪「浪花百景 四天王子」

ファイル:四天王寺 (浪花百景)- Wikipediaより引用
広重「江戸名所百景 浅草金龍寺「武蔵小金井」

099 - 名所江戸百景 - Wikipediaより引用


■ 芳雪「浪花百景」 「堀川備前陣屋」の元絵は、広重「冨士三十六景」「武蔵小金井」



芳瀧「難波百景 新町廓中九軒夜桜」

:新町廓中九軒夜桜 (浪花百景- Wikipediaより引用
広重「江戸名所百景 猿わか町よるの景」

Saruwaka-machi - 名所江戸百景 - Wikipediaより引用