新説:歌川広重「甲斐御坂越」の元絵は椿椿山「御坂嶺河口湖両景」






4 「実景」と椿椿山「御坂嶺河口湖両景」と歌川広重「冨士三十六景・甲斐御坂越」との相違点


4.1 相違点のまとめ

これまでの検討をもとに、歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」が、「実景」および椿椿山「御坂嶺河口湖両景」からどのような影響を受けているかをみていきます。

その6ヶ所検討のまとめを先に述べます。

(1)歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」は4ヶ所を椿椿山「御坂嶺河口湖両景」をもとに制作している。また、それらは実景と異なっている。

 4.2 河口湖北岸の小山の山道と一本松
 4.3 作品全体の構図
 4.4 富士山の形状と山頂部
 4.6 河口湖の南岸のは凸(つばく)んでいるか、凹(へこ)んでいるか


2)歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」は2ヶ所で椿椿山「御坂嶺河口湖両景」と異なる描き方をしている、しかし、それらは実景とも異なる。
 
 4.5 河口湖南岸の上に山があるか
 4.7 「甲斐御坂越」の産屋嵜の位置が下側


(3)歌川広重は御坂峠、河口湖を眺めたことはなく、「甲斐叢記」の挿絵である椿椿山の「御坂嶺河口湖両景」を元絵にして、「冨士三十六景 甲斐御坂越」を描いた。



4.2 河口湖北岸の小山の山道と一本松

歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」が、「御坂嶺河口湖両景」をもとにして描いた場合、その枠内を「御坂嶺河口湖両景」と同じように空色にしています。


河口湖北岸の小山の山道と一本松
図33a 「実景」  図33b  椿椿山「御坂嶺河口湖両景」 図33c 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」
一本松の「実景」

椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の一本松
歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の一本松
広重「甲斐御坂越」の前景となる山道と一本松は、椿「御坂嶺河口湖両景」の山道の部分をもとに変形して作成した。実景にこのような山道と一本松が有ったか否かは不明。
      


4.3 作品全体の構図

作品全体の構図
図34a 「実景」   図34b 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」  図34c 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」
「実景」の構図 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の構図 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の構図
図35a 河口湖南北の長さ:富士山の高さ=1:5.1

「実景」の構図
 図35b 河口湖南北の長さ:富士山の高さ=1:1.2

椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の構図
 図35c 河口湖南北の長さ:富士山の高さ
        =1:0.7

歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の構図
河口湖南北の長さ富士山の高さの比が「実景」、では5.1、「御坂嶺河口湖両景」では1.2、「甲斐御坂越」では0.7です。「甲斐御坂越」は河口湖の南北が極端に長くなっています。「御坂嶺 河口湖 両景」をもとにして描き、広重がさらに長くしています。

「甲斐御坂越」の富士山、足和田山、鵜島、産屋嵜の位置関係は、「御坂嶺河口湖両景」をもとに決めています。しかし、「甲斐御坂越」の産屋嵜の位置が下側にあるところは異なります。
      




4.4 富士山の形状と山頂部

富士山の形状と山頂部
図36a 「実景」
図36b 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」  図36c 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」
「実景」の富士山

「実景」の富士山
 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の富士山 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の富士山
「御坂嶺河口湖両景」、「甲斐御坂越」では、「実際」に見えた富士山の山頂部を切り取り、それの高さを2倍、横幅を1.5倍ほどにして大きな富士山を描いています。
「実景」の富士山の形状は吉田大沢の溝と小御岳の出っ張りが特徴です。その特徴は、「御坂嶺 河口湖 両景」 では少し見えますが「甲斐御坂越」では殆どありません。
「甲斐御坂越」の平坦な山頂部は「御坂嶺河口湖両景」をもとにして描かれているようです。しkし、広重の他の富士山山頂部も殆どこのような平坦な富士山山頂部です。
      



4.5 河口湖南岸の上に山があるか

河口湖南岸の上に山があるか
図37a 「実景」
図37b 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」  図37c 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」
「実景」に山なし  椿椿山「御坂嶺河口湖両景」に山無し 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」に山有り
図37d 「甲斐御坂越」の河口湖南岸の上には、人家4軒と林があり、その上に二重の山並みが描かれています。しかし、「実景」、「御坂嶺河口湖両景」では山は有りません。これにより、富士山のすそ野の先に河口湖があるという、景観の基本が変わっています。広重が河口湖を実際に見ていない証拠です。

   歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の山



図37e 「御坂嶺河口湖両景」では人家と鳥居があり林がありますが、雲が描かれていたため、何があるかはっきりせず、広重はかすかに描かれた横線を山並みにしたかもしれません。しかし、その線が山並みには見えません。


    「御坂嶺河口湖両景」の雲

     



「甲斐叢記」の「河口湖」には東西北に山を環(めぐ)らし南に富士山峙立・・・」と、山は東西北で南は富士山が有り、南の岸は舟津、勝山、大嵐などの村があると書いています。
広重は、図は熱心にみたが、河口湖の紹介文は熱心には読まなかったようで、南側に山を描いてしまいました。



「甲斐叢記」の「河口湖」
 <font size="+0"><font size="+0"><font size="+1">「甲斐叢記」の「河口湖」</font></font></font>

図37f 「甲斐叢記」の「河口湖」

      



4.6 河口湖の南岸のは凸(つばく)んでいるか、凹(へこ)んでいるか

河口湖の南岸の陸地は凸(つばく)んでいるか、凹(へこ)んでいる
図38a 「実景」
 
図38b  椿椿山「御坂嶺河口湖両景」  図38c 歌川広重「冨士三十六景 御坂越え」
「実景」の南岸陸地  椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の南岸陸地 歌川広重「冨士三十六景 御坂越え」の南岸陸地
「実景」では、鵜島と産屋嵜の間の南側の陸地は河口湖に対して凸んでいます。「御坂嶺河口湖両景」、「甲斐御坂越」では、南側の陸地は大きく凹んでいます。
      



4.7 河口湖の西の陸地の出っ張りが三ヶ所

河口湖の西の陸地の出っ張りが三ヶ所
図39a 「実景」  図39b 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」  図39c 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」
「実景」の西陸地  椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の西陸地 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の西陸地
河口湖西側の陸地は実景では存在しません。陸地を凹ましたことでできた岸です。その形状は、三ヶ所の出っ張りがあり、「御坂嶺河口湖両景」と「甲斐御坂越」は殆ど同じです。明らかに広重が椿山「御坂嶺 河口湖 両景」をもとに描いたと思います。

河口湖南岸の凹みと新たにできた錦の山下よの出っ張りは「御坂嶺河口湖両景」が「甲斐御坂越」の元絵である重要な証拠です
      


4.7 「甲斐御坂越」の産屋嵜の位置が下側


「甲斐御坂越」の産屋嵜の位置が下側
図40a 「実景」  <図40b 椿椿山 「御坂嶺河口湖両景」図40b 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」  図40c 歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」
「実景」の産屋嵜 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の産屋嵜
歌川広重「冨士三十六景 甲斐御坂越」の産屋嵜

実景と「御坂嶺河口湖両景」と比べて「甲斐御坂越」の産屋嵜の位置が下側にあります。「御坂嶺河口湖両景」には、鵜島、産屋嵜と記入があり河口湖を描く場合欠かせない名所です。しかし、広重は「御坂嶺河口湖両景」と同じ位置に描くと河口湖が狭くなると判断したようです。

産屋嵜を下側に描くことにより、その上の湖な広いゆったりとした湖になり、その上に富士山がいる景観に山道から眺めている旅人は感動しているように見えます。
湖の作品としてはこの絵のほうが、ひろびろとがゆったりとして優れているようです。


しかし河口湖を山道から眺めた江戸時代の人は、図40dを見て、「なんだこの絵は・・・、産屋嵜から上の湖は全体の十分の一ほどの大きさなのに産屋嵜手前の湖より広くなっている。この湖は河口湖ではない」と言うでしょう。

現代の人が見れば、図9にある最も短い両岸に渡した河口湖湖大橋はどうやって作るのだ、と思ってしまいます。河口湖湖大橋は図40eのようになります。

この産屋嵜の位置も広重が河口湖を実際に見ていない証拠になります。



 甲斐御坂越の予想拡張図  甲斐御坂越の予想拡張図に河口湖大橋
図40d  甲斐御坂越の予想拡張図   図40e 甲斐御坂越の予想拡張図に河口湖大橋











新説:歌川広重「甲斐御坂越」の元絵は椿椿山「御坂嶺河口湖両景」