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5 椿椿山「御坂嶺河口湖両景」と歌川広重「冨士三十六景・甲斐御坂越」の作品名 5.1椿椿山「御坂嶺河口湖両景」の作品名 私は、図41「御坂嶺河口湖両景」の緑色で彩色した小山が、実際に存在する大石地区と河口地区との間にある長崎トンネル上の小山と考えて、椿椿山はここから眺めた河口湖と富士山をもとにして、挿絵を描いたと推察しました。そして、ここまでそのように作品を解説してきました。 しかし、「御坂嶺河口湖両景」の作品名を考えると、「両景」と書いていることから、「河口湖」と「御坂嶺」の両方を画面に描いているほうが妥当であると思い、前景の小山の道は御坂峠ではないかと考えました。そのように見ると、その坂道は峠頂上への上りの坂道で、左の小屋は峠の茶屋のように見えてきます。 よく見ると緑の部分の山と両側の山と陸地に線で繋がっていません。空気の層があり河口湖の岸から離れたところのように描いています。 そのため、「甲斐叢記」の挿絵の題名を検討しました。 ![]() 図41 「甲斐叢記」の河口湖の挿絵「御坂嶺 河口湖 両景」の緑色部は御坂峠か ![]() 図42 「甲斐叢記」の河口湖の挿絵「御坂嶺 河口湖 両景」の緑色部の拡大図 (1)「甲斐叢記」の作品名の検討 「甲斐叢記」の各巻の挿絵の紹介が目録に載っています。 巻之五の目録に「河口湖 并圖」とあり、河口湖の説明文の所に上図の「御坂嶺河口湖両景」が載っています。御坂峠はその二つ前に説明文があります。 ![]() この「并圖」と書かれた図に「御坂嶺河口湖両景」のように、「両景」と書かれているのは「塩山 并圖」だけです。一-四巻でも「両景」の挿絵は有りません。 挿絵の題名は「塩山菅田両景」で、その前に「菅田祠」と「塩山」の説明文があります。現在、甲州市塩山には菅田-天神社があります。 この図は「塩山」にある「菅田祠」を描いたので「両景」としたようです。図の中に「祠」らしき建屋は見えないのが気になります。 ![]() 図44 甲斐叢記巻之五の「塩山菅田両景」 「山中湖 并圖」の挿絵の題名は「加古嶺上眺山中湖図」で、図の前頁に「山中湖」後頁に加古坂の説明文。 山中湖南部にある籠坂峠は、古くは「加古坂」と呼ばれていました。題名の「加古嶺」は「かことうげ」と読むか。 ここでは山中湖を眺めた場所がはっきり「加古嶺上」と書いてあり、それが「并圖」の意味になります。 ![]() 図45 甲斐叢記巻之五の「加古嶺上眺山中湖図」 図43の黄色で囲った「并圖」の挿し絵の題目は「突出磯」、「石森」などのように「并圖」に関する題名は有りません。図を見ても当方の知識では何故「并圖」かはわかりません。 第三巻に挿絵の題名が「平塩岡萬松山合景」という挿絵があります。図の中にに平塩岡、萬松山、蛾岳、(四尾連湖?)など2個以上の景色が入った場合、合景を使うようです。 「御坂嶺河口湖両景」で、この図のように、図の中に地名、山名を入れてくれれば緑の小山が何かはっきりするのですが、鵜島と産屋嵜の記入しかありません。 ![]() 図46 甲斐叢記巻之四の「平塩岡萬松山合景」 「甲斐叢記」題名の検討で、題名に「両景」とある場合、その挿絵に二つの景色が描かれているようです。 そうすると、「御坂嶺河口湖両景」には、河口湖と御坂峠が描かれていることになり、下側の山並みは御坂峠になります。 下側の山並みが御坂峠とすると、江戸時代の椿椿山はとても大胆な描き方をしたことになります。 緑の山を御坂峠としても、「御坂嶺河口湖両景」の制作過程に問題はありません。緑の小山を御坂峠頂上とするだけです。描いた地点は図地点B-250m6で同じです。 椿椿山が御坂峠を越えてきた場合はその時の印象から描いたとします。御坂峠を越えてこない場合は、周りの山並みの印象から峠らしく描いたことになります。 その場合、「甲斐叢記」に書かれている御坂峠の説明文で御坂峠を想像します。 「甲斐叢記」では「實や眼に一点遮るものなく、この山の全き形を見るは、これに及ふ處をさ○なかるべし。」と富士山も河口湖もすべて見えるように書いています。椿椿山もこの文を信じて「御坂嶺河口湖両景」の見晴しの良い御坂峠を描いたと思います。
実際に御坂峠、河口湖、富士山がどのように見えるかを、カシバード画像で検討します。 図47は御坂峠の笛吹市富士野木側上空からのカシバ―度画像で御坂山と黒岳に挟まれた御坂峠ははっきり見えるが、富士山は山頂部のみです。 ![]() 図47 御坂峠の4㎞ほど後ろからのカシバード画像 ![]() 図48 御坂峠の山道に沿った断面図、御坂峠後方からの形になる。 ![]() 図49 御坂峠後ろの上空からの富士山と河口湖 富士山から24㎞、御坂峠から2㎞後方で標高1400m地点の上空1000mからの御坂峠と河口湖。河口湖の標高は831mですので河口湖から1569m上空です。 実際に御坂峠と河口湖と富士山を眺める場所はないので、椿椿山は上空からの鳥観図を描く技術をもって北側の岸にある小山のように御坂峠を描きました。 ![]() 図50 御坂峠の後ろ上空からのカシバ-ド画像 挿絵題名から、手前の緑の小山は御坂峠のようです。しかし、題名を見ずに絵だけ見ると河口湖岸にある小山のように見えます。 現時点では、「御坂嶺河口湖両景」の前景の小山の間にある山道が次の様に推察されどちらかの判断ができません。 ①河口湖の長崎トンネル上の小山の山道 ②黒岳と御坂山に挟まれた御坂峠頂上の道 もしかしたら、椿山はどちらにもとれるように描いたかも知れないと邪推してしまいます。 5.2 歌川広重「冨士三十六景・甲斐御坂越」の作品名 広重も、元絵とした「御坂嶺河口湖両景」の前景の小山の間にある山道が ①河口湖の長崎トンネル上の小山の山道②黒岳と御坂山に挟まれた御坂峠頂上の道か判断できず、「甲斐御坂越」の作品名をつけるときにはかなり迷ったと思います。 広重の「六十余州名所図会」(1853-1856年)で、作品と名所図会などの元絵を調べると、元絵にあった作品名をそのまま広重の作品名にすることが多いことがわかりました。広重の作品が元絵を参考にして描いたことを隠そうとはしていません。 「六十余州名所図会 山城 あらし山渡月橋」の元絵は、秋里籬島著、竹原春朝斎画の「都名所図会 嵐山法輪寺渡月橋」。 「六十余州名所図会 伊勢 朝熊山 峠の茶屋」の元絵は、「伊勢参宮名所図会 朝熊峠」 これは江戸時代の名所図の通常の描き方であったようです。そのため、椿山の作品名、「御坂嶺河口湖両景」をそのまま使おうとしたが「冨士三十六景」の作品名には長すぎ、「両景」の意味がはっきりしない。 諏訪湖と塩尻峠と富士山を描いた作品は5枚もあり、その題名をみると、峠が出てこない場合 「信濃諏訪湖」、 「信州諏訪湖」、「信州諏訪湖」で、湖と峠が出てくると「信濃塩尻峠」、「木曽街道塩尻峠」です。 1858年冨士三十六景「信濃塩尻峠」は峠の頂上のようで、1859年富士見百図「木曽街道塩尻峠」は峠からの下り道のように見えますが、「木曽街道塩尻峠」としています。 また、冨士三十六景「甲斐犬目峠」、不二三十六景「甲斐犬目峠」、富士見百図「甲斐犬目峠」、東海道五十三次保永堂版「由比薩埵嶺」,、「不二三十六景「駿河さった嶺」など峠がでてくる作品の題名には「峠」を付けています。 これらを見ると、「甲斐御坂越」としてきた作品は即「甲斐御坂峠」の作品名にすると思います。
それでは、何故峠らしき山道が描かれている「甲斐御坂越」に「甲斐御坂峠」という題名を付けなかったか。 「御坂嶺河口湖両景」の山道が御坂峠頂上のようには見えず、それを元絵として描いた「甲斐御坂越」の山道が広重には御坂峠頂上には見えなかったかもしれません。しかし、御坂峠からの富士山は著名な名所ですので富士三十六景には入れたい。「甲斐河口湖」の題名にはしたくない。そこで御坂峠から河口湖までの山道で描いた富士山として、あいまいな題名「甲斐御坂越」としたと推察します。 甲斐叢記に、御坂峠から見る富士山は「御坂の富士」と呼ばれていたと書いてあり、御坂は御坂峠を含む言葉です。この作品名だと、旅人がいる場所は御坂峠から河口湖の間のどの場所でも良い。その御坂を越えてきたところですから、御坂峠から河口湖の富士山が見える場所なら何処でも景色と作品名の間に違和感はない。このように広重は考えたと思います。 以上のように、広重は御坂峠と河口湖に来ないで「甲斐御坂越」を描いたため、とても曖昧な作品名にしたと思います。 NEXT ⇒ 6 新説の傍証三点
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