霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き
富士の山蚤が茶臼の覆かな
雲を根に富士は杉形の茂りかな
一尾根はしぐるる雲か富士の雪
富士の風や扇にのせて江戸土産
富士の雪慮生が夢を築かせたり
目にかかる時やことさら五月富士
問題2の「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」を「漢字、仮名で表記しなさい」。七菜さんは答「古池や 蛙飛び込む 水の音」は中学三年の教科書に書いてある表記と同じですので正解です。中学校国語科(平成22年度)第3学年国語科学習指導案参照 しかし、実際の中学の授業ではこのような「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」を「漢字、仮名で表記しなさい」という問題を出しません。芭蕉がこの句をどのように表記したか、現在どのように表記するのが正しいのかはどこにも書いていません。 「大野山の柚子胡椒に胡椒が入っていない- 8トウガラシの名称唐芥子・・・唐辛子」で芭蕉の「青くても有るべきものを唐辛子」の表記が「俳諧深川集」の刊行された版により異なることに驚き、 芭蕉の最も有名な句「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記を探索しました。探索中に興味倍増し、原稿が長くなり、独立して掲載しました。 2 「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の江戸時代の表記 (1)「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の初出は「蛙合」。①「古池や蛙飛こむ水のおと」
「蛙合」での表記は、「古池や蛙飛こむ水のおと」です。このような句会の時、芭蕉は自分で書いた句の紙を仙化に渡し、仙化はその書をもとに「可般図」を作成したと思います。それで、この表記は芭蕉が行った表記と考えます。 仙化は江戸時代前期の俳人。松尾芭蕉の門人。貞3年(1686)「蛙合(かわずあわせ)」を編む。 一番左が芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」、一番右が仙化の「いたいけに蝦(かはづ)つくばふ浮葉哉(かな)」。 なお、俳句の表記と同じように、芭蕉の肖像画も各種ありそれぞれ異なります。その肖像画の違いも見ていきます①~⑬は、当方が勝手に肖像画と句の画像を合成したものです。⑭~⑲は一つの作品です。 この肖像画の作者は、芭門十哲の杉山 杉風ですので実際に芭蕉を見ていた者の肖像画です。芭蕉は50歳まで生きたのでその頃の印象を描いたと思います。 ![]() 杉風画「松尾芭蕉肖像」と「蛙合」初版の芭蕉の句「古池や」
(2)「春の日」での表記。②「古池や蛙飛こむ水のをと」、③「古池や蛙とひこむ水のおと」
1686年(貞享3年)閏3月刊行の「蛙合」が出た年の8月に「春の日」が刊行されて「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」が掲載されています。芭蕉の句が3句しかないのに「俳諧七部集」に入っているとは意外です。 「春の日」は下記の本によると三種の版(発行元、西村、不明、寺田)が出ているようですが、初版がどれかははっきりしません。ネットで閲覧できる二種の版で検討しました。 木村三四吾著「俳書の変遷: 西鶴と芭蕉 」1998年刊の「春の日初版本考」: 284p どちらの「春の日」でも、「蛙合」の「古池や蛙飛こむ水のおと」と異なり、②「古池や蛙飛こむ水のをと」、③「古池や蛙とひこむ水のおと」になっています。荷兮 は芭蕉の信頼を得て「冬の日」に続き「春の日」を編纂しています。そのような関係で、荷兮は「春の日」初版で句の表記を意図的に変えて掲載し、芭蕉も容認していることになります。また、「春の日」の改版でもさらに初版から句の表記を変えています。 「蛙合」①「古池や蛙飛こむ水のおと」から変化した表記を赤字で示すと春の日②では「古池や蛙飛こむ水のをと」、春の日③では「古池や蛙とひこむ水のおと」になり、その変化はわずかです。しかし、わずかであれ11文字からなる作品の一部を変えることに、とても不可思議さを感じました。 荷兮が何のために表記を変えたのかがわかりません。芭蕉がどうしてその変化を容認したかがわかりません。 荷兮が「①の表記より②、③の表記の方が良いと思います」と言い、芭蕉が「今回は②、③の表記でいくか」と言ったのか。 俳句は「詠む」ものであり、音で感じるものであるとして、その表記はまったく無頓着であったのか。 「おと」と「をと」の違いが判りません。 この画「奥の細道行脚之図」も蕉門十哲の森川許六が描いています。奥の細道の旅たちは、1689年(元禄2年)ですので芭蕉は46歳の時です 杉風画「松尾芭蕉肖像」より少しふっくらとして穏やかな感じですが、目鼻立ちは似ていると思います。句を作るきは上図のように厳しい顔つきになるようです。 ![]() 森川許六作「奥の細道行脚之図」の芭蕉(左)と曾良及び「春の日」の芭蕉の句「古池や」
(3)「俳諧七部集」では五つの表記。新たに二つの表記。⑥「古池や蛙とひこむ水の音」、⑦「古池やかはつとひこむ水のおと」
「蛙合」、「春の日」の46年後に刊行された「俳諧七部集」の「春の日」に掲載された「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記です。 ①「蛙合」、②、③「春の日」の表記と同じ⑧、④、⑤に対して、⑥「古池や蛙とひこむ水の音」、⑦「古池やかわずとひこむ水のおと」が新しい表記です。 江戸時代の俳句集三冊(「蛙合」、「春の日」、「七部集」)で「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の五つの表記が出てきました。 「芭蕉の像」は画狂人北斎の「北斎漫画七編」の作品です。北斎漫画は1812年からですので、この作品は芭蕉没後130年以上後になり、北斎の持っていた芭蕉のイメージ画になります。俳諧七部集の句を画面左に並べると「よくぞこんなに異なる表記を作ったものぞ」と芭蕉が感嘆しているように見えます。 ![]() 葛飾北斎作「北斎漫画7編 芭蕉像」と「俳諧七部集・春の日」の芭蕉の句「古池や」
![]() 山東京伝画「三俳聖図 部分」と幽蘭集と加藤 暁台編「幽蘭集」 山東京伝画・村岡黒駱賛 三俳聖図(部分) 山東京伝が芭蕉・其角・千代女の坐像を描き、それに合わせて村岡黒駱がそれぞれの句を添えています。 其角は、芭蕉門下を代表する俳人の一人、千代女は、加賀国松任(現・石川県白山市)の女性俳人。千代女の着物には、「千代」の文字がみえます。 奥の細道むすびの地記念館の所蔵品を紹介します【芭蕉・俳諧関係資料】 | 大垣市公式ホームページより引用 俳句加藤 暁台編「幽蘭集」 幽蘭集七編29/43-早稲田大学より引用 この章の原稿がほぼ完成した後見つけたので補足として追加。 (5)1824年の「蛙合」改版では1686年の初版と同じ表記。 1824年の「蛙合」改版では1686年の初版と同じ表記です。 1693年「俳諧深川集」初版の芭蕉の句「青くても有へきものを唐辛子」が、1736年の「俳諧深川集」改版で「青くても有へきものを唐からし」と表記が変わっています。改版で表記が同じと安堵するのは著作権になじんだ現代人の感覚か。 ![]() 崋山画[芭蕉肖像真蹟]と芭蕉翁俳諧四部録の「蛙合」改版の句
(6)四つの短冊は全て新規表記、そのうち三つは芭蕉真蹟とされている。 ⑩「婦る池や蛙飛込水の音」、⑪「不る池やかはつ飛込水の音」⑫古池や蛙飛び込む水の音⑬婦る池や蛙飛こ無水の音 四つの短冊は、全て新規の表記です。そのうち三つ⑩。⑫、⑬は芭蕉真蹟とされています。 ⑩「婦る池や蛙飛込水の音」 ⑪「不る池やかはつ飛込水の音」 ⑫古池や蛙飛び込む水の音 ⑬婦る池や蛙飛こ無水の音 これらが本当に芭蕉真蹟とすると芭蕉自身が「蛙合」初版と異なる表記で短冊を作製したことになります。芭蕉本人が、俳句の表記は、書く人が気持ちで新しい表記を行なっても良いと認めていることになります。 短冊を眺めていると、芭蕉が短冊を作るとき依頼元の要望、その時の芭蕉の心情などから、短冊として見栄えの良い表記にしたように思えてきました。 ⑩。⑫、⑬に使われている「婦」、「かはつ」、「無」は、通常の句集本には使われておらず、短冊様の表記として使われたと思います。 また、上記の句集本での作者名は「芭蕉」ですが、短冊では「はせを」になっており、真蹟とされる⑩。⑫、⑬は⑪と比べると共通点が多い気もします。あります。
以上、全くの素人の推察です。俳句関係者、筆跡鑑定者の見解が欲しいです。 ⑩の芭蕉像は作者与謝蕪村は芭蕉没後22年後の誕生ですので、生前の面影を周囲の人から聞いて描いたと思います。しかし、他に比べて豪快な印象の芭蕉です。 ⑪の芭蕉像の作者建部巣兆は芭蕉没後67年後誕生ですので、巣兆が持つ芭蕉のイメージで描いたと思います。 ⑫、⑬は芭蕉を眺めていた人の肖像画です。二人の描いた芭蕉の雰囲気は似ています。
(7)江戸時代の「江戸名所図会. 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」 ⑫「古池や蛙飛こむ水の音」、⑬「古池や蛙とひこむ水のをと」 画と文で「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記が異なります。各自勝手にやりますというかんじです。編集者も読者も気にしていないようです。 雪旦画の⑫「古池や蛙飛こむ水の音」、は俳諧七部集の⑥と同じ表記です。 長秋文の⑬「古池や蛙とひこむ水のをと」は新しい表記です。 (8)俳画4点のうち3点は新規表記。 俳画は、俳句を賛した簡略な絵)のことで、一般には俳諧師の手によるものであり、自分の句への賛としたり(自画賛)、他人の句への賛として描かれます。 芭蕉没後の俳画で、肖像画も句の表記も、作者の好みで行っているように見えます。 俳句集では⑥でしか使われていない「水の音」が短冊では三点、俳画では四点すべてに使われています。 蕪村七部集の俳画 ⑱で、「古いけ」、「とひ込」と「池」、「飛」を平仮名で表記しています。この表記は違和感がありますが、蕪村が画面の構成上、平仮名のほうが良いと思ったとしか言えません。
(9)小築庵春湖輯「芭蕉翁古池真伝」江戸時代最後の年 ⑳「古池や蛙飛込むこむ水のをと」は新しい表記です。意外にも「飛込む」が今までありません。 ![]() 小川破笠画「松尾芭蕉肖像」と 小築庵春湖輯「芭蕉翁古池真伝」の芭蕉の句「古池や」 小川破笠 :1663-1747 江戸時代前期-中期の俳人,蒔絵(まきえ)師。⑫と同じ作者 江戸で俳諧(はいかい)を福田露言,松尾芭蕉(ばしょう)にまなぶ。 小川破笠画「松尾芭蕉肖像」-早稲田大学 小築庵春湖輯「芭蕉翁古池真伝」1868年(慶応4年)刊 芭蕉がその禅の師である仏頂を訪れて禅問答を行い、そこで句想を得た、というような伝説の基になった書物 芭蕉翁古池真伝8/14-早稲田大学より引用 (10)まとめ 「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の江戸時代の表記と肖像画 「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の初出は1868年「蛙合」。その表記は①「古池や蛙飛こむ水のおと」 同じ年の俳句集二つの「春の日」では、「蛙合」の表記と異なり、②「古池や蛙飛こむ水のをと」、③「古池や蛙とひこむ水のおと」になっています。 また芭蕉真蹟と言われている三つの短冊でも以下に示すように①②③と異なる表記です。 ⑩「婦る池や蛙飛込水の音」、⑫古池や蛙飛び込む水の音⑬婦る池や蛙飛こ無水の音 以上のように、芭蕉は句集の編者が芭蕉の表記と異なる表記を行うことを認め、自分でも短冊にはそれぞれ異なる表記を行っています。 俳句は「詠む」ものであり、音で感じるものであるとして、その表記の制限はありません。 俳句のとても短い十七音の表記は、作者の意図を表す大切な手段であると思っていたものにとって、とても意外でした。 そして、芭蕉は表記に無頓着ではなく、聞き手の心のなかの場景を大きく広げるために、無駄な情景、感情の表現を除き、表記の制限までも除いたと推察しました。 そのため、芭蕉没後の句集「俳諧七部集」、俳画等では新しい表記が行われています。「江戸名所図会」では、画と文で「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記が異なります。各自勝手にやりますというかんじです。編集者も読者も気にしていないようです。 闇雲の検索で集めた20の江戸時代の 「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記に、14種の異なった表記がありました。 江戸時代の句集編者、俳画作者、書物著者などは、 「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の新しい表記を行なうことで競い合っていたようにも思えます。 芭蕉の肖像画では、やはり芭蕉と時代に生きてに生きて、芭蕉を眺めていたものの肖像画が、芭蕉の雰囲気を描いているように思いました。 ![]() 芭蕉没後の肖像画は、北斎、崋山、蕪村等の著名な画家が、各自が持っている芭蕉像を描いておりとても興味深く眺めました。 各時代の表記「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記
「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記は 芭蕉の「青くても有るべきものを唐辛子」の表記が刊行された版により異なることに驚いたので、 最も有名な芭蕉の句「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記を調べました。 初出は1686年(貞享3年)閏3月刊行の『蛙合』(かわずあわせ)で表記は ①「古池や 蛙飛こむ 水のおと」。 しかし、同じ年に刊行された二種の「春の日」にある表記はそれぞれ異なります。 ② 古池や 蛙飛こむ 水のをと ③ 古池や 蛙とひこむ 水のおと 同じ年に刊行された「春の日」の表記が、『蛙合』と異なる。 同じ年に、二つの「春の日」が刊行され、「ふるいけの・・」の表記が異なる。 とても意外です。編者は初版の表記を変えるのが良いとされていたと思ってしまいます。 そのため、最初の『蛙合』の表記が、芭蕉の表記と思いたいのですが、芭蕉の真蹟と言われる短冊の表記は『蛙合』と異なります。 ⑨「婦る池や 蛙飛込 水のおと」、 芭蕉の真蹟自画賛を模刻した句碑の表記は『蛙合』と異なります。 ⑮「婦る池や かはつ飛こむ みつの音」 そのため、芭蕉がどの表記でこの句を書いたかは判断できません。芭蕉が句会、書物、短冊、句碑に合うように表記を変えたのではと、思ってしまいます。 明治以降の活字本でも、表記の統一はできていません。 「蛙合」、「春の日」から引用して表記する日本俳書大系. 第2巻。 殆どが江戸時代の「飛」が「飛び」に、「おと」「をと」が「音」に変わっています。 現在、各種表記の中で正岡子規の記「古池や蛙飛びこむ水の音」と、「古池や蛙飛びこ込む水の音」が多く使われているようです。 現在、ネット上では「俳句は短い十七音で表すので、漢字を使うか、平仮名を使うか、は重要なことです」と書いてありますが、「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記に関する記述は殆どありません。とても意外です。
各時代の表記「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の表記
松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句は、芭蕉自身によって変遷していると聞いたが、その変遷を知りた... | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp) 松尾芭蕉の俳句、「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」の元々の漢字を知りたい。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp) <5461726F2D92868D91874428BEDDC0B08145928691BA292E6A746463> (netin.niigata.niigata.jp 変体仮名は明治時代に学校教育の場で、 ひとつの音に対して数多くの仮名があるのは混乱するので、 現在のように一音に一字を決めました。 この字が平仮名でそれ以外の仮名を変体仮名といいます。 だから、「ふ」には「布」「不」「婦」などが使われたわけです。 答えは「へんたいがな」。![]() 日本俳書大系. 第7巻(芭蕉以前第2) (談林俳諧集) - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp) ![]() 俳諧七部集・春の日 富山県立図書館 中島文庫 N91‐201 成立年:享保一七頃? 俳諧七部集・春の日 10/108-新日本古典籍総合データベース 俳諧七部集・春の日 ノ-トルダム清心女子大学附属図書館 成立年:享保一七頃? 俳諧七部集・春の日 37/304-新日本古典籍総合データベース 松尾芭蕉霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 富士の山蚤が茶臼の覆かな 雲を根に富士は杉形の茂りかな 一尾根はしぐるる雲か富士の雪 富士の風や扇にのせて江戸土産 富士の雪慮生が夢を築かせたり 目にかかる時やことさら五月富士 富士山-言葉で描かれた「富士山」: 松尾芭蕉 (fuji3776.net) |