歌川広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」の「来迎谷」を探す










歌川広重が描いた「不二三十六景 相模大山来迎谷」の「来迎谷」は、現在の山の地図等には記載されていません。

大山の登山道の「二十丁目富士見台」に「「富士見台 大山の中で、この場所からの富士山は絶景であり、江戸時代は、浮世絵にも描かれ茶屋が置かれ来迎谷(らいごうだに)と呼ばれている。 大山観光青年専業者研究会」とありますが、その二十丁目富士見台の景色は「不二三十六景 相模大山来迎谷」と全く異なります。

広重が描いた「来迎谷」がどこにあるか探しました。


 歌川広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」  
 歌川広重「不二三十六景 相模大山来迎谷」 

「不二三十六景 相模大山来迎谷」 | 神奈川デジタルアーカイブより引用
  大山二十丁目富士見台からの富士山

2018.1.27 10:56 撮影






1 丹沢山地大山に登る。



1.1 小田急線秦野駅から大山


大山は、神奈川県北西部に広がる丹沢山地の東部にある標高1252mの山です。大山は別名を「阿夫利(あふり)山」、「雨降(あふ)り山」ともいい、大山および阿夫利神社は雨乞いの神ともされています。江戸時代の中ごろから、大山御師の布教活動により「大山講」が組織化され、庶民は盛んに「大山参り」を行い、各地から大山に通じる大山道や大山道標が開かれて、大山の麓には宿坊等を擁する門前町が栄えることとなりました。現在でも大山周辺にその面影が残っています。

丹沢山地の中では、富士山からの距離が46kmと最も長いが、富士山は、ニノ塔、三ノ塔、塔ノ岳を前景にして、大きく裾野を拡げた美しい姿を見せてくれます。
富士山展望場所は、(1)二十丁目富士見台(2)二十五丁目ヤビツ峠分道から2分程のところ(3)大山頂上裏側です。



大山と富士山の地図




2018年1月27日に、その大山に登りました。私たちが、一年に最も多く登る山ですので、今回は20数回目ぐらいです。小田急線伊勢原駅から大山の麓の「大山ケーブル」バス停までは路線バスで行き、ケーブルには乗らず、女坂経由で阿夫利神社下社に登ります。







阿夫利神社下社の左側にある登山口から大山山頂を目指して登ります。このコ-スには、道のりを示す石柱があり登山口は「大山口登山道 一丁目」で、大山山頂の鳥居が「大山口登山道二十八丁目」です。



大山登山口




1.2 大山十六丁目「本坂追分」



登山道にある名所の八丁目の「夫婦杉」、十四丁目の「ぼたん岩」、十五丁目の「天狗の鼻突き岩」を眺めて登り、十六丁目の「本坂追分」にある蓑毛からの合流点の広場で休憩。 追分(おいわけ)は、道が二つに分かれる場所をさす言葉である。



ここに「本坂追分 十六丁目」の石柱があります。「昭和四十一年七月吉日」に立てられた新しい石柱です。

また、ここには「追分の碑」が建っています。「この碑は、一七一六年に初建され総高三米六十八センチメートルもあり、江戸期の大山信仰の深さをしめしている。この石は麓から強力たちが担ぎあげた。」と説明版にあります。

大山の江戸時代には、頂上の雨降神社内に「石尊大権現」を祀る石尊宮があり、そこに参詣することが「大山参り」と呼ばれていました。



「本坂追分 十六丁目




「本坂追分 十六丁目の石柱          追分の碑  



石尊権現(せきそんごんげん)は、大山の山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合の神であり、十一面観音を本地仏とする。大山寺の本尊が不動明王であったため誤解されることが多いが、門前町の観音寺の本尊が本地仏である。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、相模国雨降山大山寺から勧請されて全国の石尊社で祀られた。石尊大権現、大山石尊大権現ともいう。(ウィキペディアより引用
 



この十六丁目追分の碑あたりから、樹木の間に富士山が見えます。ここで二十丁目富士見台、山頂での富士山の見え方が予測します。



十六丁目追分の碑あたりからの富士山