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4. 大山の「来迎谷」を、その名前から探す。 4.1 大山で「来迎」するところを探す。 来迎とは、、仏教において、念仏行者の臨終の際に阿弥陀三尊が25人の菩薩と共に白雲に乗ってその死者を迎えに来て極楽に引き取ること。その様子を描いた図様は来迎図という。( ウィキペディア) その来迎図に、阿弥陀如来が山を越えて来迎する様を強調した「山越来迎図があります。 ![]() 京都市 永観堂禅林寺の「山越阿弥陀図」 山の向こう(極楽浄土)から姿を現したところを表現したもの。 一幅 絹本着色 縦138.0 横118.0 平安時代末期~鎌倉時代 12~13世紀 永観堂の寺宝一覧 より引用 大山の「来迎谷」の名前は、阿弥陀如来が山並みを越えて、富士山に重なり合うようにして現れる現象を想定したのが由来と推定します。 阿弥陀仏の極楽浄土は西方にあり、富士山も大山の西方にあり、方向的には一致します。大山の御中道から眺めた昼間の富士山です。 ![]() 阿弥陀仏は日暮れとともにその姿を現します。丹沢山地の塔ノ岳の登山道にある二ノ塔、三ノ塔の上の富士山と重なるようにして現れます。 ![]() 阿弥陀仏の姿が鮮明になってきます ![]() 阿弥陀仏脇侍(きょうじ)として控える左の観世音菩薩と右の勢至菩薩も見えてきました。 ![]() 江戸時代の大山の参詣者は、富士山を来迎する阿弥陀仏としてみていたと思います。そこで、「来迎谷」は「富士山が見える谷」と考えます。 4.2 大山で「谷」を探す。 御中道で谷を探す 次に、大山で「谷」を探します。 谷というと、山や丘、尾根、山脈に挟まれた、周囲より標高の低い箇所が細長く溝状に伸びた地形ですので、 広重の「不二三十六景 相模大山来迎谷」のように両側から崖がせまるところを連想します。しかし、このような谷が見えるところは、大山の登山道にありません。 大山の明治大正時代の絵葉書に「谿」が出てきます。 この絵葉書は、明治~大正時代の御中道を歩く参詣者の写真です。その説明文に「其處は千仭の谿に沿ひ壯絶の大景以て心膽を練り晧然の氣養をふべし」とあります。ご中道は「千仭の谿」に沿う道です。 ![]()
「谿(たに、たにがわ)」は「谷」の中でも河川の浸食によりできた河谷を指すようです。 谷で一番多いのは河川侵食谷であり、谷は狭義には河川の浸食によりできた河谷(かこく)のことをいう。谷を流れる川のことを渓流といい、そのような谷は渓や谿とも表記され、渓谷(けいこく)ともいう。(ウィキペディアより) 大山の御中道から富士山を眺める場合、この大きな谿(谷)を挟んで眺めることになります。谷の一部にいて谷を挟んで富士山を眺める。江戸時代にこの大きな谿を「来迎谷」と呼んだと推察します
二十五丁目ヤビツ峠分道から二十七丁目御中道で谷を探す 現在の大山頂上の裏側の展望地が「来迎谷」の名前にふさわしい場所であることがわかりましたが、江戸時代にはすでに御中道の名前がついています。そこで、ご中道を除き、江戸時代の参詣道で「来迎谷」にふさわしい道を探します。 直接丹沢山地に面した二十五丁目ヤビツ峠分道から二十七丁目御中道の登山道においては、現在富士山を見れるころはありません。ヤビツ峠分道横の展望地から富士山が見られます。まずそこからの富士山を見てから、二十五丁目ヤビツ峠分道から二十七丁目御中道の登山道を検討します。 ![]() 大山の「25丁目ヤビツ峠分道」横下の展望地からは、谷を挟んで富士山が見られます。「来迎谷」といってもよい場所です。しかし、江戸時代にはヤビツ峠からの道はなかったので、「来迎谷」の候補から除外されます。
大山27丁目「御中道」から25丁目「ヤビツ峠分道」までの登山道からの富士山展望を下に示します。 この間の登山道は尾根の中央にあるが、掘割状にえぐられた凹部の下にあります。その両側は樹木でおおわれているため視界はほとんどありません。しかし、江戸時代には、尾根の中央の高いところに参詣道があり樹木も少ないところがあったとして、カシミールで富士山方向の景観を作成しました。 26丁目「迎合谷」石柱があるところの付近では、丹沢山地と大山が造る谷が見え、丹沢山地の上に富士山が見られ、「来迎谷」にふさわしい場所です。 大山27丁目「御中道」から25丁目「ヤビツ峠分道」までの登山道ではこのようにみえて、「来迎谷」の条件を満足すると思います。
二十丁目富士見台で谷を探す ヤビツ峠分道から阿夫利神社下社に下る道にある20丁目「富士見台」からの富士山を検討。 20丁目「富士見台」からは右側に崖状の尾根が見えるが対面に丹沢山地がなく、崖が平野に伸びていくことになり、谷の雰囲気がほとんどない。 そのため。「来迎谷」の候補としては、27丁目「御中道」から25丁目「ヤビツ峠分道」までの登山道より劣る。 現在、ここからは富士山がしっかり見えて、富士見台の名称がついているが、江戸時代に富士山が見えていたという記述は見つからない。
大山で「谷」を探すのまとめ 大山の「来迎谷」を、富士山と谷が見えるところとして、登山道からその候補地を探した。「来迎」する阿弥陀仏は富士山で、谷は丹沢山地と大山が造る谷です。二十五丁目ヤビツ峠分道から二十七丁目御中道で、富士山と谷が見えます。その道の中央に二十六丁目「来迎谷」の石柱があります。 二十丁目「来迎谷は、富士山は見えますが、谷の雰囲気はありません。 NEXT→5.「相模大山来迎谷」から描かれた場所を探す
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