天保10年(1839年)大岡雲峰画「日金山富嶽眺望図」葛布地着色
大岡 雲峰(おおおか うんぽう、明和2年〈1765年〉 - 嘉永元年〈1848年〉)とは、江戸時代の旗本、文人画家。
名は成寛、通称次兵衛。字は公栗。雲峰と号す。江戸の生まれで筑後柳河藩士牛田忠光の子として生まれる。のちに旗本大岡助誥の養子となり、天明8年(1788年)24歳のとき家督を継ぐ。寛政3年(1791年)には表右筆に任じられる。
絵では鈴木芙蓉の高弟で、のちにふたつ年上の谷文晁の門人となった。山水画・花鳥画を得意とし、二宮尊徳とその娘の画の師にもなった。四谷大番町に住み、画風を南蘋派に転じると四谷南蘋と称され[1]、文化年間には文晁や酒井抱一などと並称された[2]。

静岡県立美術館【主な収蔵品の作家名:大岡雲峰】より引用
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大岡雲峰画の賛 |
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