十国峠(日金山)あれこれ









日金山山頂からの絵画その2 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」






1 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻(部分) 肉筆」と実景図




図11に、「富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎の「豆州日金山眺望絵巻(部分)」 を示します。日金山山頂丸山からの富士山で、,左右にまだ景観図があるようです。

実景から「豆州日金山眺望絵巻(部分)」を描いた過程を検討します。作品には地名の書き込みが有り、左端は久能山、右端は足柄〇」です。




葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻(部分)」 

図11 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻(部分)」 



十国峠(日金山)頂上から、図11の描いた範囲の写真を図12、カシバード画像を図13に示します。

図11北斎作品は、図12実景写真、図13実景のカシバード画像に比べると、大まかな構図、雰囲気は似ています。しかし、、図11北斎作品は縦方向に長く、富士山の位置も右側にあります。北斎の制作過程を追跡します。



図12 十国峠(日金山)頂上からの写真


図12 十国峠(日金山)頂上からの写真



図13 十国峠(日金山)頂上からのカシバード画像


図13 十国峠(日金山)頂上からのカシバード画像




2 実景から「豆州日金山眺望絵巻」へ




(1)図11と富士山の高さが同じになるように、図13の拡大した画像を作りそれを縮小率55.2%で横幅を圧縮します。富士山などそれぞれの箇所は図11に近づいてきました。しかし、当然富士山の位置が違います。そこで富士山の位置が合うように次に進みます。


図14  図13のカシバード画像を拡大して、横幅を55.2%圧縮した画像


図14  図13のカシバード画像を拡大して、横幅を55.2%圧縮した画像



(2)図13の拡大した画像を縦方向に三分割して横方向に61.4%、55.2%.47.4%に圧縮します。

図14の55.2%の中央部の富士山の画像を図11の富士山にあわせて、残りの画像を空いた空間に合うように横幅を変えると左側は61.4%、右側は47.4%になりました。




図15  図12のカシバード画像を拡大して、横幅を61.2%、55.2%、47.2%圧縮した画像


図15  図12のカシバード画像を拡大して、横幅を61.2%、55.2%、47.2%圧縮した画像



(3)次に手作業で
❶富士山の頂上を図12に合わせて削ります。(前に富士山と同じ高さと書きましたが、削る分だけ高くしています)
❷左の駿河湾を拡大します。
❸全体の色調をほぼ灰色にします。
❹輪郭線を描きます。空に雲を浮かべます。実景から作成した最終版の図16ができました。

同一画面で見るため図11葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻(部分)を再掲しました。

実景を縦方向に三分割した部分の横幅圧縮という意外と簡明な工程で、北斎作品に似た作品が出来上がりました。
三分割して縮小率が異なるのは次の様に推察します。北斎は、この絵の三大ポイントは富士山、足高山、コマガタケであるとして、コマガタケの位置を富士山に近づけるため、右側の縮小率を小さくした。






図16 図15に各種手入れした最終版


図16 図15に各種手入れした最終版


図11 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻(部分)」再掲


図11 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻(部分)」再掲



(4)次に富士山の形状を見ると、図11葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」の富士山は実際の富士山の富士山に比べて次の点が異なります。

❶山頂部が広くなっている
横幅を圧縮すると山頂部がとんがり帽子みたいにななります。図20のように山頂部を削ると落ち着いた富士山の形状になります。ここで作成した図16も山頂部を削っています。他の違いは訂正していません。

❷実際の富士山の左側傾斜が図17、図18、図19のように二段階になっているが、一段階の傾斜です。
この方向からの富士山は、中腹から左側の傾斜が大きくなるのが形状の特徴です。北斎画では滑らかな傾斜に描いています。

❸富士山左側の山体が、右側より長い
図21の実景の富士山は、右の傾斜が長く富士山が左から右に流れている印象を与えます。北斎画では、全体の景観は富士山、足高山、駿府の山々と右から左に流れています。それに合わせて富士山本体も右から左に流れるように、左のすそ野を長く滑らかにしたと推察します。

❸宝永山が独立した山のように描いている

実景では宝永山の周辺だけが盛り上がっていますが、北斎画では独立した山のように下のすそ野まで盛上りが続いています
ここで、この部分を宝永山としましたが北斎が宝永山を描くの珍しいらしいことです。「富嶽三十六景」では一枚も描いていません。富嶽百景の《 (宝永山出現)其二 》で描いているだけかもしれません。【みんなの知識 ちょっと便利帳】葛飾北斎・富嶽百景/富岳百景《(宝永山出現)其二》 (benricho.org)


これらの実景と異なる北斎画の富士山は、図22谷文晁【名山図譜 富士山】の富士山を元絵にしたように思います。
富士山山体の形状、山体の沢など凸凹、宝永山、山頂部の描き方がとても似ています。
谷文晁【名山図譜 富士山】は文化二年、1805年刊で、葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」は天保4年、1833年刊です。28年前に刊行された【名山図譜 富士山】は北斎も入手して参考にしたと思います。
【名山図譜 富士山】には何処から描いたかは記載されていませんが、中央左の山腹にある突起が宝永山とすると、日金山の方向から描いた富士山です。しかし、前景は実景とは異なります。


 図17 十国峠からの富士山
図17 十国峠からの富士山 
図18 十国峠からの富士山の横幅を縮小率55%で圧縮した富士山 
 図18 十国峠からの富士山の横幅を縮小率55%で圧縮した富士山
図19 カシバードで作成した十国峠からの富士山の横幅を縮小率55%で圧縮した富士山 
図19 カシバードで作成した十国峠からの富士山の横幅を縮小率55%で圧縮した富士山
 図20 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」の富士山
図20 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」の富士山
 図21 実景の55%圧縮した富士山と北斎画の富士山
図21 実景の55%圧縮した富士山と北斎画の富士山


 図22 谷文晁【名山図譜 富士山】 の富士山



図22 谷文晁【名山図譜 富士山】 と富士山の部分

日本古典ビューア 名山図譜 / 11より引用




(5)次に図23aの葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」の富士山山頂部は平坦五峰で、図23bの谷文晁【名山図譜 富士山】 の富士山山頂部とほぼ同じ形状です。
そして、それらの山頂は、図24a,24bの十国峠(日金山)頂上からの実景の富士山山頂部 とかなり似ています。




平坦五峰   平坦五峰   
 図25 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」 図24 谷文晁【名山図譜 富士山】 の富士山山頂部 
 図23a 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」
富士山山頂部 
 
図3b 谷文晁【名山図譜 富士山】 の富士山山頂部; 
平坦五(?)峰  平坦五(?)峰
 図23 十国峠(日金山)頂上からの写真画像<br>  <font size="+0">図24 十国峠(日金山)頂上からのカシバード画像
図24a 十国峠(日金山)頂上からの写真画像
富士山山頂部 
図24b 十国峠(日金山)頂上からのカシバード画像
富士山山頂部 






3 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」の地名記入



(1)図25葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」に記入された地名は、図26にしめした地名とほぼ同じ位置にあります。その中で次の二ヶ所は明らかに間違いと思います。

❶上部富士山の右横に「箱根トウゲ」とありますが、箱根峠は図27のように現在芦ノ湖の南にあり、江戸時代にもここにあった東海道の峠です。そのため、日金山山頂丸山からは見えませんが、駒ヶ岳の左横にあります。

❷「田子浦」が沼津の左に記入されてますが、現在の地図の図28では富士川の東側に「田子の浦」があります。『東海道名所図会』巻之四「駿河 江尻」の「田子浦」項に漢文で「三保従西出正東田子洲」とあり、西からせり出す三保のその東側に田子浦が位置するとあります。そのため、沼津の横の「田子浦」は間違いと思います。


図25上部右端に「足柄〇」と〇の部分が見えませんが足柄山として、足柄山を矢倉沢から金時山一帯とすると、記入された辺りに有りますが丸山からは見えません。

図29に東海道の松並木が一本一本描かれています。三島市近くに「初音が原の松並木」として残っています。




図25 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」に記入された地名

図25 葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」に記入された地名
図26 地図上に記入された地名を記入したカシバード画像
図26 地図上に記入された地名を記入したカシバード画像




図27 箱根峠地図  図28 田子の浦地図 

図27 箱根峠地図                                 図28 田子の浦地図


図29 図25の東海道並木

図29 図25の東海道並木




(2)図30に山名は有りませんが、甲州、信州と記入されています。図31のように「山伏」、「十枚山」は山梨県(甲斐、甲州)と静岡県(駿河、駿州)の県境にあり、「光岳(光岳)」は長野県(信濃、信州)と静岡県(駿河、駿州)にあります。図30はほぼ合ってます。


図30 北斎画の拡大

図30 北斎画の拡大


図31 愛鷹連峰とその後ろの山

図31 愛鷹連峰とその後ろの山



(8)山名の記入は有りませんが、富士山左側の後ろに小さな山が描かれています。カシバード画像では蝙蝠岳などが見えてます。驚きくべき観察力です。
    


図32 北斎画の富士山左側後ろの山 図32 北斎画の富士山左側後ろの山  図33 カシバード画像の富士山左側後ろの山
 図32 北斎画の富士山左側後ろの山 図33 カシバード画像の
富士山左側後ろの山
 



しかし、富士山右側後ろにも小さな山が描かれています。日金山山頂丸山(十国峠)から15m上からのカシバード画像には、富士山右側後ろには山は有りません。視点を141mまで上にすると赤岳などが見えてきます。三山の形状も似ています。北斎がよく行う「上空からの景観を描く術」、「山が見えないところに山を描く術」のようです。そのため、富士山左側後ろの山も実際の観察か否かは不明です。
    


図34 北斎画の富士山右側後ろの山  
図35カシバード画像の富士山右側後ろ状態 図35カシバード画像の富士山右側後ろ状態
 
図34 北斎画の富士山右側後ろの山

図35カシバード画像の富士山右側後ろ状態 



以上、葛飾北斎画「豆州日金山眺望絵巻」の検討を行ったが、富士山を描いた地名を入れた作品としては最も写実性に富んだ作品であることに驚きました。「富嶽三十六景」の各作品にこれほど写実性に富んだ作品は有りません。



4 何故、「富嶽三十六景」で「豆州日金山からの富士山を描かなかったのか



葛飾北斎 『豆州日金山眺望絵巻』の制作は江戸時代 天保4年(1833)です。北斎の代表作品「富嶽三十六景」は1831-34年(天保2-5年)刊行です。何故、此の素晴らしい日金山からの富士山が「富嶽三十六景」に加わらなかったかが不思議です。


次のように推察しました。

「富嶽三十六景」は、大判錦絵の量産する浮世絵です。大判とは、約39cm×約26.5cm。大奉書紙を縦二つ断ちしたものです。その作品の一つ「青山圎𫝶枩」を図36に示します。



図36 葛飾北斎「富嶽三十六景 青山圎𫝶枩」


図36 葛飾北斎「富嶽三十六景 青山圎𫝶枩」 版型:大判

富嶽三十六景 - Wikipediaより引用






日金山からの富士山を「富嶽三十六景」に加わえるには、この大判の画面に日金山からの富士山を描かなければならないという制約が有ります。
日金山からの景観としては、富士山、足高山、駿河湾を入れたい。しかし実景に近い景観を描くと図37のように大判の下部に大きな空白ができます。その空白に適当な前景を描きたいが、実景には図37と同じような山並みしかなく、図38のようになり、間が抜けた構図となる。そこで、富士山と足高山だけで描くと、図39のようになり緊張感がない構図になる。

「富嶽三十六景」は富士山そのものを描いた「凱風快晴」、「山下白雨」や「諸人登山」を除き、富士山の前景として、その土地の特徴とした景観と人物を描くのが約束事のようで、それが売れ行き好調の要因と思います。その富士山の前景となる景観が日金山からの景観には無いため、「富嶽三十六景」に日金山からの富士山を加えなかった、と推察します。


図37 富嶽三十六景の版型:大判に描く日金山山頂丸山からの富士山


図37 富嶽三十六景の版型:大判に描く日金山山頂丸山からの富士山 その1



図38 富嶽三十六景の版型:大判に描く日金山山頂丸山からの富士山


図38 富嶽三十六景の版型:大判に描く日金山山頂丸山からの富士山 その2


図39 富嶽三十六景の版型:大判に描く日金山山頂丸山からの富士山


図39 富嶽三十六景の版型:大判に描く日金山山頂丸山からの富士山 その3



5 北斎の作品で地名が記入された絵巻物は珍しい



北斎の絵巻物としては、長さが7mもある肉筆画の「隅田川両岸景色図巻」があります。約100年に及び行方不明でしたが、2015年に墨田区が取得し、現在はすみだ北斎美術館が所蔵しています。しかし、この絵巻には地名の記入は有りません。 すみだ北斎美術館 - THE北斎 ―冨嶽三十六景と幻の絵巻―
   
地名が記入した作品は、図40の1827年(文政10年)「奥州塩竈松嶋之略図」があります。題名に「略図」とありますが、山川,湖海,道路,家屋など地形・地物を記入した風景を描いた鳥瞰図で、説明語句が入っているので、これは「簡略に描いた絵図(地図)」と考えます。塩竈松嶋景観図に詳細に地名を記入しています。



図40 奥州塩竈松嶋之略図 1827年(文政10年) 木版  部分



図40 奥州塩竈松嶋之略図 1827年(文政10年) 木版

図40 奥州塩竈松嶋之略図 1827年(文政10年) 木版

Ōshū Shiogama Matsushima no ryakuzuより引用


下に示す五個の鳥観図は、詳細な地名の記入があり、その地名を入れるための景観図があり、地図そのものです。しkし、北斎は実際の地形は描かず、独自のデフォルメで描いています。

図41 東海道名所一覧では江戸から京都までを描いていますがどのような地形になっているかさっぱりわかりません。



図41 東海道名所一覧 江戸時代、文政元年/1818年 木版色刷


図41 東海道名所一覧 江戸時代、文政元年/1818年 木版色刷





誇張された富士山、京を上にして江戸を下にした構図などは、東海道の一覧図によく見られる手法。
色彩も美しく、東海道を描いた一覧図の中でも殊によい出来でしょう。



東海道名所一覧 文化遺産オンライン より引用






■木曽路名所一覧江戸時代、文政2年/1819年大広奉書全判、紙本木版色摺
起点である江戸は左下隅に位置し、街道は、
実際の地理的状況を全く無視した形で複雑な屈曲を繰り返して、終点である京都に向かいます。
木曽路名所一覧 - 神戸市立博物館




■唐土名所之絵 天保十一年(1840)頃、大々判錦絵
本作品は鳥観図の中で最後に描かれた図です。
中国大陸全土を俯瞰で捉えており、「万里長城」(関連画像)なども細緻に描かれています。
北斎の画歴 | 画狂老人卍期-新たな画境へ挑む



■総房海陸勝景奇覧文政元年(1818)頃、大々判錦絵
北斎が最初に発表した大々判の鳥瞰図で、江戸湾と三浦半島を中心に、
江戸から内房および鎌倉方面までを描いています。
永田コレクション | 島根県立美術館の浮世絵コレクション




『諸国名橋一覧(百橋一覧)』 前北斉為一・画  文政6年(1823)
北斉74才の画である。画中のタイトルは『諸国名橋一覧 』であるが、画の横に貼り込んである紙には『百橋一覧』とある。
北斉の奇想、面目躍如である。鳥瞰図は「鳥目絵(とりめえ)」とも「一覧図」とも言われた

鳥の目で空から風景を俯瞰する 諸国名橋一(覧百橋一覧)葛飾北斎



地名を記入した上記6作品と比べ、「豆州日金山眺望絵巻」では記入の地名は少なく、風景画に地名を記入した作品です。熱海の観光用に依頼されて、描かれたかもしれません。

北斎のこの作品の後に、広重などが名所絵として風景画に適当に地名を入れた作品を多く刊行してます。北斎の作品は肉筆画ですが、名所絵の最初の作品とも考えられます。この作品の依頼元など、その来歴が知りたいです。



図42 伊勢参宮略図  歌川広重 :, 安政2(1855)

図42 伊勢参宮略図  歌川広重 :, 安政2(1855)

コラム:名所絵の誕生 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 より引用













         その1





昭和の佐藤正昭画「箱根駒ヶ岳」と実景図





令和の正昭は昔のスケッチ帳から一枚の風景画を見つけました。「十国峠より駒ヶ岳 1996.11.16 M.SATO  ま 印」26年前、昭和61年の11月の土曜日です。佐藤正昭48歳の水彩の作品です。

この時は勤め人で、会社の絵画クラブで十国峠にスケッチ旅行に行ったと記憶しています。


あいにく曇りで十国峠山頂から富士山は全く見えませんが、近景の箱根駒ヶ岳が見えていました。十国峠から中腹に山道がある多くの山が重なって箱根の駒ヶ岳に向かっていく、なかなか素敵な景観です。重なり合う山並みの上に駒ヶ岳を描くという気持ちで眺めた景観をスケッチしました。其の場ですべて仕上げるのに、40分ほどかかったと思います。

現場でのスケッチなので、ほぼ見たとおりに描いたと記憶してます。作品の出来としては自分では結構満足しています。



しかし、当コラムで北斎などの作品を検討するためじっくり十国峠からの景観を眺めて驚きました。26年前の佐藤正昭が描いた駒ヶ岳の作品は、実景とはかなり異なっています。






2017.1.11に撮影した十国峠からの箱根、冨士山、愛鷹山です。1996.11.16は曇っており富士山は見えませんでした。その当時は山にカメラを持っていかないので写真は有りません。







そこで、富士山を除いて箱根の駒ヶ岳をスケッチしました。その範囲を下図に示します。スケッチしたのは、右の大観山の左横峰から鞍掛山の左の峰あたりです。上下の位置もほぼこの辺りです。


正昭作品に比べ実景は平たい。明らかに正昭は実景の横幅を圧縮して描いています。






実景の横幅を64%に圧縮した図を下に示します。近景の山の重なりは正昭作品に似てきましたが、駒ヶ岳がかなり小さい。実景全体の横幅だけの圧縮では正昭作品にならない。駒ヶ岳を大きくするため、実景を三分割する必要があります。






そこで、富士山部分を拡大して、実景の富士山に合わせて、横幅を75%に圧縮しました。残った富士山の左側部分は実景の残った空間に合わせて横幅を圧縮しました。富士山の右側も同様です。
それにより、下図のように富士山を中心に三分割して、横幅を39%、75%、49%に圧縮した図が出来上がりました。














両画像を同一画面で眺めるため再掲します。正昭画と実景を三分割して、その横幅を各割合で圧縮した画像はかなり似ています。「ほぼ見たとおりに描いたという記憶」は半分合ってます。

正昭が行った実景の変形処理は、横幅の圧縮度の数値は違いますが、北斎が「豆州日金山眺望絵巻(部分)」で行った処理とほぼ同じです。

令和の正昭は、昭和の正昭はスケッチするとき、見た景観を素直にそのまま描いていたと思っていたのでこの結果に少し驚いており、北斎と似たことをしていたのに少し喜んでいます。




 
正昭画「十国峠より駒ヶ岳 1996.11.16」  実景を縦に三分割して、横幅を39%、75%、49%に圧縮した図



これらの検討から以下のことがわかりました。

❶風景画、特に山、その中でも富士山を描く場合、描く人は横幅を圧縮して縦長に描く。意識的または無意識的にも。
❷絵画の主役である冨士山、もしくは駒ヶ岳などを他の部分より大きく描く。
❸描きたい景観の範囲がある場合、主役を描いた後に残りの景観を拡大縮小して、決められた縦横の画面に押し込める。
❹上記の構図をもとに画家の感性により手を加える。
❺20年前に行った行為を冷静に検討すると、その当時の思い込みは間違いであることが多い。それはスケッチだけではないかもしれない。











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