広瀬台山画 |
1 広瀬台山画「日金山頂望富岳図」と実景」 前ページに示したように、江戸時代から多くの著名な画家が日金山山頂の丸山から雄大な作品を描いております。 富士山を中央にして、左に駿河湾、右に相模湾を描く大胆な構図は安永6年(1777年)中山高陽「八州勝地図」が始まりで、この構図で数点の作品が描かれています。大岡雲峰《日金山富嶽眺望図》について参照 そのなかで、最も自然に見える景観として描いた図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」寛政11年(1799)について検討しました。 ![]() 図1 広瀬台山画「日金山頂望富岳図」寛政11年(1799) 図2に日金山山頂の丸山(十国峠)からの360度のパノラマ図を示します。カシバードで作成した図です。 写真での360度のパノラマ図は十国峠 2016/12/19 - 山からの眺望で見られます。 ![]() 図2 日金山山頂の丸山(十国峠)からの360度のパノラマ図(カシバード図) 図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」の右端は岩戸山、左端は大瀬崎の付け根付近として図2のカシバード図を切り取ります。 全景観のほぼ67%の240°です。首を二回ほど回して眺める広さですです。またこの実景を図1のように纏めた技量には驚きます。 ![]() 図3 広瀬台山画「日金山頂望富岳図」が描いた景観 ![]() 図4 広瀬台山画「日金山頂望富岳図」が描いた景観、ほぼ240°全景観の67% 2 実景から「日金山頂望富岳図」へ(1)浮世絵の風景画などで行われている実景の横幅の圧縮を行います。図5は実景を横幅だけ50%に圧縮した図(縦方向を2倍に伸ばした図)です。 図1「日金山頂望富岳図」に比べ富士山がかなり小さく左側に寄っています。全体の横幅の圧縮では図1「日金山頂望富岳図」になりません。 ![]() 図5 実景を横幅だけ50%に圧縮した図 (2)図3の画面を縦方向に三画面に分けて横幅の縮小率を変えて圧縮し図6を作成した(赤点の所で分割)。富士山と富士山の左側上部は、図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」に似てきました。しかし、富士山の下部、右側が不自然となり図1とかなり異なっています。 ![]() 図6 実景を図3の画面を縦方向に三画面に分け、異なる縮小率で圧縮 (3)単純な横幅の圧縮では図1「日金山頂望富岳図」にならないため、実景の画面を、図7のように4個の画面を作り、それぞれに拡大、横幅の圧縮を行いました。 この画面構成のポイントは、①日金山山頂丸山から箱根に行く尾根道です。この山並み全体の横幅を圧縮して前景にすると図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」に近づいてきます。 それに左側の駿河湾を広くするために横幅を30%にして縦長にした②を重ねます。 その前景の上に大きさと形状を調節した③富士山と④愛鷹山連峰を載せます。各部品実景からの長さと横幅の縮小率は、図1に合わせて拡大、圧縮を行い適当な形状に決めた後に、測定した値です。 ![]() 図7 実景から取りだし形状を変化させた4個の画面 (4)4個の画面を重ね合わせたのが図8です。かなり、図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」に近づいています。 ![]() 図8 4個の画面で構成した日金山山頂丸山からの景観 (5)4個の画面を重ね合わせた図8に次の処理を行います。 ❶重ね合わせた③と④の周辺を、違和感のないように手を加えます。 ❷長く伸びすぎた富士山山頂部を削ります。 ❸富士山中腹に雲を加えます。 ❹③全体の色調を黄土色にします。 ❺部分的に輪郭線を入れます。 ![]() 図9 図8に各種手入れした図 (5)この時点では広瀬台山になった気持ちで画面を構成しています。そのため、次の様に、さらに手を加えます。 ❻図8の空の配色を図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」と同じにして、右側に賛を入れます。 ❼相模湾を広げます。 ❽富士山の下に移動して消された箱根の駒ヶ岳を前景の山並みの右側の上に加えます。 ❾最後に輪郭線を加えます。 同一画面で見るため図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」を再掲しました。上記の手順によって図1広瀬台山画「日金山頂望富岳図」に似た図を描くことができます。 ![]() 図10 カシバードの実景図から作成した日金山山頂丸山からの景観の最終版 ![]() 図1 再掲:広瀬台山画「日金山頂望富岳図」 図1「日金山頂望富岳図」は、広瀬台山が丸山から富士山を眺めその左右にある相模湾と駿河湾を入れた雄大な景観を描こうとして、それらの景観を頭の中で大胆に再構成して出てきた作品と思います。その中で、丸山から箱根に行く尾根道の山並みから真鶴半島が相模湾に伸びる構図は、広瀬台山の独創性と高い技量を感じます。実景図からは容易には出てきません。 |