十国峠(日金山)あれこれ



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山名の変遷
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山名の変遷
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「豆州日金山眺望絵巻」

富岡鉄斎画
「富士遠望図」

実朝の和歌







日金山山頂からの絵画その3 富岡鉄斎画「富士遠望図」








1 富岡鉄斎「富士遠望図」肉筆画と実景図


鉄斎の「富士遠望図」には圧倒されました。明治時代にこのような風景画を描く画家がいたとは驚きです。
岩盤が積み重なったような山並みの上に富士山がいます。富士山を描いた作品として、その独創性はBEST10に入ります。







図43 富岡鉄斎「富士遠望図・寒霞渓図 」 明治38年(1905年) 右隻  肉筆画  

ジョルジョ・モランディ展関連 より引用


作品解説

「70歳 伊豆日金山(十国峠)山頂から、畳々と連なる山脈と遥かに聳える富士を眺んだもの。賛する自作詩には、宋の仙人陳奇夷に夢で会い、その術を学んで白玉のように頂上の輝く富士をかいたとある。」

  富岡鉄斎の「富士遠望図」が見たい。 | レファレンス協同データベース より引用




この作品作成の検討は初めは諦めましたが、陳奇夷の術がどのようなものか知りたくて、大まかな検討を行いました。

図43 富岡鉄斎「富士遠望図」の実景の範囲を、図44に示します。その実景図を五個に分割しました。
駿河湾、富士山、相模湾で三個の領域を作り、その間の2個を加えて5個です
さらに、その5個を拡大縮小と横幅圧縮して結合しました。













図44 5個に分けた実景図

図44の実景図の分割された5個を、拡大縮小と横幅圧縮して結合して図45図を作成。



図45 実景図の分割された5個を拡大縮小と横幅圧縮して結合



図45の下図を鉄斎「富士遠望図」と同じ縦横同じ寸法比に切断して図46を作成。





図46 図4の下図5を鉄斎「富士遠望図」と同じ縦横同じ寸法比に切断


図46を彩色して、輪郭線を描きず最終版図47を作成。


鉄斎「富士遠望図」におおむね似た構図が出来上がりました

この変形の特徴は次の2点です。これが、夢であった陳奇夷の術のようです。
❶分割部4の富士山右側から真鶴半島付け根までの山並みを大幅に圧縮
❷分割部1の相模湾と分割部5の相模湾を縦方向に大幅に伸ばして海を広くした







図47 図45を鉄斎「富士遠望図」と同じ縦横同じ寸法比に切断に


それから後の処理は、鉄斎の天才の技量がないと描けません。同一画面で見るため、図43を再掲。




図43 富岡鉄斎「富士遠望図」 明治38年(1905年) 肉筆画  再掲














         その1



だまし絵のような「富士遠望図」




「岩盤が積み重なったような山並みの上に富士山がいます。」と書きましたが、実際に初めは下図のように「岩盤が積み重なったような岩壁」に見えました。







図44 「岩盤が積み重なった「富士遠望図」 *この図は山頂の間に線を書き加えています。



しかし、「富士遠望図」をじっくり眺めると10個の山頂が続く山並みに見えてきました。日金山山頂丸山から真鶴半島まで5個の山頂、それからさらに富士山まで5個の山頂が有ります。相模湾を大きくしたため、実景ではかすかに見える後半の5個の山頂を大幅に拡大したようです。

岩盤が積み重なったように見えたのは、図44のように右側の山頂が上下の線により分割されて岩盤が重なっているように見えました。
いったん図45のように山頂が続く山並みに見えると、岩盤が積み重なった形状に見えてきません。「娘と老婆」のようなだまし絵のような作品です。






図44 山頂が続く山並みの「富士遠望図」








         その2



相模湾と駿河湾にまたがる大海から上陸し、両手を広げた巨大怪物





富岡鉄斎「富士遠望図」を見た時大胆な構図と独創的な描写力に驚きました。

しかし、作品の鑑賞する見識を疑われると思い本文には記載しませんでしたが、「富士遠望図」の中に隠されたものを見ていました。

相模湾と駿河湾にまたがる大海から上陸した両手を広げた巨大な相駿怪物です。これから、日本国を散歩する雰囲気です。

この時代も、新型コロナウイルスの大感染があったためか、巨大相駿怪物も外を歩くときはマスクをしています
















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