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3 十国峠からの富士
(1)納得できない点 その1:十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかった。 ここでも納得できないことがあります。 「はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた」 下記の方法で十国峠の山頂部を求めましたが、その推察した山頂部の高さは実際の山頂部部とほぼ同じか少し高い所でした。「青い頂がすっと見えた」と有るので冠雪がない富士山と思いますがここでは一月の冠雪が有る富士山を使いました。
太宰治が十国峠で推察した雲の中の富士山の山頂と山体を標示します。「私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた。」から推察した高さです。 富士山頂角が141度になる平べったい富士山です。「富嶽百景」登等で示した裾野の傾き30°からかなり小さい傾き17-22°の富士山になります。 太宰治の文章は簡潔で無駄がないため、そこら辺の説明がないが、山頂部をどのように推察したか聞きたいです。 以上の検討から、「私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけ」たところが根拠のない所ということがわかりました。太宰は間違ったところに山頂の印をつけて、実際の山頂がその2倍も高い所に有ったので驚いています。 (2)納得できない点 その2:十国峠からの富士山以外、高い富士山はないのか 太宰治は、十国峠からの富士山を次の様に記述して、高い富士山で、完全にたのもしい富士山としている。そのため、本文には書いていないが十国峠の富士山は高さを1.5倍にする必要はないようです。 「十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。・・・・・・・・やつてゐやがる、と思つた。人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。」 しかし、「けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。」実際の富士は鈍角も鈍角で頂角は百十七度-百二十四度とあり、十国峠からの富士山の頂角は119度で、鈍角も鈍角にはいります。それでも完全にたのもしい富士山と書いている。 読者は迷います。太宰治は頂角について何を言いたいのか。
ここまで纏めると、「十国峠の富士山だけは高く完全にたのもしい富士山」だけど、その他の富士山は、「鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。印度人がどれほど感動するかわからない、心細い山である。低い。裾のひろがつてゐる割に、低い。あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。」です。 そうすると、インド人に富士山を見せるには、ワシに頼んで十国峠に運んでもらうべきです。 また、太宰治は、何箇所から富士山を眺めたか聞きたくなります。東京と十国峠以外は何処から富士山を眺めましたか。 十国峠からの富士山は、何故高く完全にたのもしいのか。 十国峠からの富士山を見て、勝手に推察すると、➀頂角は120度以下で片側が58度以下、②山頂からの頂角を測定する裾の直線がながいこと ③なだらかな裾野を持たないこと。 上記推察から行くと、愛鷹連峰の越前岳からの富士山、達磨山高原レストハウスからの富士山も「高く完全にたのもしい富士山」にはいると思う。 この前に表示した富士市田子の浦の手前からの富士山(富士山の頂角115度)も「高く完全にたのもしい富士山」に入れても良いと思っている。 この富士山を見て「インド人もびっくり」と飛び上がり喜びます。昭和に育ってエスビ-カレ―を食べた人も喜びます。 太宰治は各地からの富士山を多く見ていないのではないか。それで、富嶽百景に「十国峠から見た富士だけは、高かつた。」と書いてはいけない。富士山愛好家から文句が出ます。「今まで見てきた富士山は少ないが、十国峠からの富士山は高かった」ぐらいが良いと思います。文学的には良い文章ではないが。
「富嶽百景」の冒頭で富士山の頂角をもとに、広重、北斎も入れて、富士山の高さについて書いていますが、富士山がたのもしい高さか満足できない低さかはっきりしない。読者は太宰治が富士山の高さについて、何を言いたいかがわからず次に進むことになります。 ![]() 納得できないこと その3
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