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4 東京からの富士
(1)「小さい、真白い三角 「小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。」これは書き間違いかと思てしまう記述です。東京からの富士山は、山頂部が平坦になっている台形の形状です。富士山からほぼ100㎞離れているため小さい富士山ですが、「冬にははっきり見える」と書いてあるので、太宰治の眼の調子が悪いのか、精神状態が悪いのかとおもってしまう。富士山が三角形に見えるほど私は苦しい精神状態なのだといっているのか。 太宰治は1930年代に、小説の師匠と仰ぐ井伏鱒二をしたって東京・杉並の荻窪駅の近くに移り住んだ。数回、転居したが、1936年(昭和11年)から翌年まで、杉並区天沼3丁目の下宿屋「碧雲荘(へきうんそう)」で最初の妻・初代と暮らした。 太宰治が暮らした杉並の住宅街- エキスパート - Yahoo!ニュース
「しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。」この表現もよくわからない。 ここでの「左」は画面の右か左かわからない。右の方で、船尾も右か。どちらにしても、富士山を沈没する軍艦に例える感覚がわからない。 富士山を三角形と書いたために、三角形に肩はないので全体が左に傾く状態を描くことになる。東京でこのような三角形の富士山は見れません。
「富嶽百景」の東京からの富士山がが杉並区「碧雲荘(へきうんそう)」からの富士山かい否かははっきりしない。そこで、東京からの代表的な富士山として、東京渋谷、と新宿、品川からの富士山も表示します。
(2)意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた 「三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。」 それは太宰治が精神病院入院中に彼の妻初代が津島家の親類の画学生小館善四郎と不貞行為を行ない、小館善四郎が太宰に告白したことです。太宰治 - Wikipedia この後太宰治は、初代と心中未遂をします。二人とも生きており、その後離婚しました。その心中をもとに「姥捨」を書いています。 この事件は三年まへとありますが、実際は一年前の出来事です。一年前だと、甲府で見合をするには早すぎると思い三年前にしたと思います。 健康的な十国峠からの富士山と、妻の不倫が絡む不健康な東京からの富士山で、富士山の各論は終わり、この後井伏鱒二がいる御坂峠へ出発します。 ![]() 三角の富士山 三角の富士山を書いたのは、文学界では太宰治。岡本一平が「富士は三角」(富士は三角 - Cultural Japan)という本を出している。内容は不明。 絵画関係では、北斎が富嶽三十六景「上総の海路」で三角の富士山を描いている。 ここでは帆船の帆と綱と海面が作る三角形の相似形にするため、富士山を三角形にしている。富士山を本当の三角にすると違和感が有る。 これ以外、広重など今まで見てきた絵画では三角の富士山は無い。 「富士山は三角で、クリスマスの飾り菓子」はよい比喩では無い。 ![]() ![]() 北斎 富嶽三十六景「上総の海路」 富嶽三十六景 - Wikipediaより引用 次へ
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